はじめに
困りごとが起きた。その場で話そうとする。けんかになって終わる。——夫婦やパートナーのあいだで、この形がくり返されている方は少なくないと思います。
先にひとつだけ。暴力や、相手からの強い支配がある関係には、この記事の話を当てはめないでください。 習慣やルールを整えることより先に、身の安全を確保することが優先されます。くわしくは安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面にまとめてあります。
この記事は、夫婦・パートナー関係をテーマにした全15回のシリーズの9回目です。前回は、組み替えた期待をどう頼むかを見ました。今回扱うのは、そのやりとりを一度きりにせず続けていくための土台——何も起きていない時期に、話す時間をどう設計しておくかです。伝え方そのもののコツは家族や夫婦との『すれ違い』がつらい 役割期待のずれと心理療法に譲ります。この記事は、巻末に挙げた対人関係療法の書籍を下敷きにしています。
やりとりが始まること自体が、いちばん本質的な変化
もう別れるしかない、というところまで来て治療に訪れた二人が、その過程でずいぶん実りのある間柄になっていく——下敷きにした本の著者は、そういう例が多かったと自分の治療の経験を書いています。そして、治療のなかで起きることのうち、いちばん本質的な変化は、やりとりが生まれることのほうだというのです。
意外に聞こえるかもしれません。これまでも、言い争いという形でならやりとりはあったはずです。けれども、そこで交わされている中身は、実際に見てみるときわめて乏しいものです。声は行き交っているのに、伝わっているものがほとんどない。そして、中身のあるやりとりがなければ、食い違いを直すこともできません。
だから順番としては、中身の工夫より前に、やりとりの器のほうを作ることになります。治療の場がない二人でも、二人で話す時間を意識して設けるところから始められます。
時間を決めて、そこに集中する
器の作り方は、話し合いを習慣にすることです。
先に知っておきたいのは、それまで話し合う習慣がなかった二人にとって、一回目はぎこちなく、会話がなかなか転がらないことが多い、ということです。最初にうまくいかなかったから向いていない、という話ではありません。二回、三回と重ねるにつれて、質は格段に上がっていきます。
質を押し上げているのは、食い違いを直すという見方を持って話すことでもありますが、それ以上に、決めた時間のあいだ、二人ともその話し合いだけに向かうという点です。ほかのことに気を散らさない。途中で切り上げない。そのつもりでいることが効いてきます。
恋愛の時期を含めて、そういう形で腰を据えて向き合った経験がない二人は、とても多いものです。それも無理はありません。恋愛の時期は相手に合わせることを優先するので、そもそも違いと向き合う場面が少ないからです(この点は第2回で扱いました)。
枠の作り方としては、二人にとって無理のない時間を選びます。その場での切り出し方ではなく、定例の枠を決める話です。枠のあいだは相手とのやりとりに完全に向かうことになるので、お子さんがいるなら、寝かせたあとの時間になるかもしれません。単身赴任などで離れているなら、電話でその枠を設ける形もあります。
取りやめにせず、日を移す
ここが、この回でいちばん実際に効くところだと思います。
仕事で遅くなった。急な用事が入った。子どもが途中で起きてきた。決めておいた時間にできなくなることは、当然あります。そのときは、取りやめにするのではなく、日を移してください。 取りやめることに慣れてしまうと、せっかくの習慣がそのまま立ち消えになりやすいからです。振り替えた回と次の回が近くなってしまってもかまいません。どうしても代わりの日がとれないほど立て込んでいる時期なら、手紙やメールでそのぶんのやりとりを済ませておく形もあります。まとまった長さを確保して、そのあいだは相手とのやりとりだけに向かう——それが要点です。
ただし、決めた時間から抜けられない、切り上げると後がもっとひどくなる、という関係では、この取り決めを守ろうとしないでください。 話しているあいだに怖くなったら、その場でやめてかまいません。安全の確保が先です。
取り決めは、つまずいた場所から作る
続けていくための取り決めは、先に理想の形を並べるのではなく、引っかかった場面のほうに目を向けて、そこを手当てするものを足していきます。
例は、どれも生活に即したものです。お酒を飲んで話すとお互い感情的になってしまうと気づいて、話すときは飲まないことにする。テレビを消して話すと決める。画面まで消すとかえって気まずいので、音だけ落とす形にする。話し合いのときは外で食べることにする。並べてみると小さなことばかりですが、どれも、その時間帯を二人のものとして扱う気持ちがなければ守れない取り決めです。 取り決めの中身よりも、二人がその時間を共有物として扱っているかどうかのほうが本体です。
そこに足すなら、いつ話すか、終わりの時刻、その回は持ち出さないことにする話題、そして結論を出さない回があってよいことまで先に決めておくと、始めやすくなります。決着させなければならない、と思うと、話し合いそのものが重くなります。
話すこと自体が苦手なとき
ここまで読んで、そもそもそれができないのだ、と思われた方もいるはずです。本当にやりとりが苦手で、話そうとすると心臓が鳴りはじめ、言葉が出てこなくなる方もいます。
この話し合いに、顔を合わせることが欠かせない条件だというわけではありません。 顔を合わせたほうが相手の様子も分かり、その場の流れで話も広がるので効率はよいのですが、顔を合わせるからこそ話が進まなくなるのなら、別の手段を考えてよいのです。手紙やメールで話し合いを進めていって、少し落ち着いてきたところで顔を合わせる。顔を合わせると気が立って、言わずにすむことまで口にしてしまうなら、それぞれの事情と気持ちを先に文字で渡しておいて、そのあとを対面にする。それぞれに合った形で進めれば足ります。 文字でやりとりするときも、伝え方の考え方は同じように効いてきます。
ひとつ線を引いておくと、相手と向き合うのが怖いのが、その相手の暴力や支配のためであれば、それは話し合いの工夫の問題ではなく、文字にすれば進められるという話でもありません。身の安全の確保が先です。また、相手に向かって言えない事情があるときに、無理に言葉にする必要はありません。その事情のほうを、診察でご相談いただいて構いません。
話し合っても、決着しないことがある
話し合いが続くと、何が起きるでしょうか。
真正面から向き合って、それぞれが自分の側の事情を語り出すと、それまで見えていなかった一面が見えてきます。相手が単に手のつけられない人なのではなく、いくつもの事情と深みを抱えて懸命に生きている一人の人だと分かってくる。その結果としてたどり着く形は、一つではありません。頼んで相手のふるまいのほうを変えてもらう形もあれば、自分の受け取り方が変わって、相手のふるまいがそのままでも受け入れられるようになる形もあります。話し合いの成果を「相手が変わったかどうか」だけで測ると、この後のほうの形を数え落とすことになります。
食い違いの直り方の一つとして、お互いに納得のうえで別れる形もありえます。 そのうえで下敷きにした本の著者は、自分の治療の経験からは、はじめは別れると言っていた方でも、何らかの形で関係を立て直して続けていくことが圧倒的に多かった、と書いています。これは著者が自分の経験として述べていることで、この記事は、どちらを選ぶべきかという材料としては扱いません。 安全が脅かされている関係が、この比較の外にあることも、上に書いたとおりです。別れが視野に入るときのことは、後の回で扱います。
話し合いを続けても、決着しないことはあります。そのときに残る道は、相手を動かすことだけではありません。自分の側の期待を見直すこと、距離のとり方を変えること、いまは結論を出さないままにしておくこと。どれも選択肢で、どれを選ぶかを決めるのはご自身です(この立場は第3回で述べました)。そこを一人で抱えなくてよい、というのがこの記事の立場です。
当院での考え方
当院では、対人関係療法を含む専門的な心理療法プログラムを提供しておりません。また、当院には心理士がおらず、カウンセリングも行っていません。カップル療法・夫婦カウンセリング(お二人で来ていただいて行う治療)も行っていません。 プログラムとしての心理療法をご希望の場合は、実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
そのうえで、当院の通常の診察のなかでは、この記事で紹介したような考え方——身近な人との関係を整理する、期待のずれを言葉にする、伝え方を一緒に考える——を取り入れた助言を行っています。何をどうしたいかがまだ決まっていない段階でも、そのままお話しいただいて構いません。
診察への同席については、当院ではご家族のみのご相談はお受けしておりませんが、ご本人が受診され、同席に同意されている場合には、診察に同席していただくことは可能です。ご本人が受診できない状況のときは、公的な相談先や、受診を予定している医療機関へお問い合わせいただく形をご案内しています。
受診の目安
次のようなときは、一度ご相談ください。
- 話そうとすると動悸がして、言葉が出てこなくなる
- 話し合いを持ちかけること自体をあきらめ、家のなかで気を張ったまま過ごしている
- 話し合うたびに決着しないまま消耗し、そのあとで自分を責めている
- 話し合いのあとに、気分の落ち込みや体の不調が出る日が続いている
- 眠れない、食べられない、仕事や家事が回らないという状態が2週間以上続いている
- 自分を傷つけたいという考えが浮かぶことがある
当てはまるからといって、すぐに病気だということではありません。診断は医師が診察のうえで行います。なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
気持ちが差し迫っているとき、体調が急に変わったときは、様子を見ずに、通院中の方は主治医に、急を要する場合は救急(119番)にご連絡ください。
まとめ
- 言い争いという形のやりとりには、中身がほとんど乗っていません。中身のあるやりとりが生まれること自体が、いちばん本質的な変化です
- 何も起きていない時期に、二人で話す時間を決めます。一回目はぎこちなくて当然で、決めた時間のあいだその話し合いだけに向かうことが質を押し上げます
- できなくなった日は、取りやめにせず日を移します。 取りやめに慣れると、習慣ごと立ち消えになりやすいからです
- 取り決めは、つまずいた場面を手当てする形で足します。中身よりも、その時間を二人のものとして扱っているかどうかが本体です
- 対面が欠かせない条件ではありません。手紙やメールから始める形もあります
- 話し合っても決着しないとき、残る道は相手を動かすことだけではありません。期待を見直す、距離を変える、いまは結論を出さない——どれも選択肢です
次回は、相手の過去が引っかかって離れないとき、そこで何が起きているのかを扱います。
そのほか近いところにあるもの ── パートナーが発達障害かもしれないとき・何度言っても伝わらないとき・本人が受診を嫌がるとき・オープンダイアローグとは?
参考にした書籍
この記事は、次の書籍の記述を要約・再構成して作成しました(原文の転載ではありません)。
- 水島広子『対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係』創元社
よくある質問
問題が起きたときに話そうとすると、いつもけんかになって終わります。
言い争いという形でならやりとりがあっても、そこで交わされている中身はきわめて乏しい、というのが下敷きにした本の見方です。そして中身のあるやりとりがなければ、食い違いを直すこともできません。ですから、困りごとが起きてからその場で話すのではなく、何も起きていない時期に話す時間を持っておくほうに重心があります。
話す時間を決めても、最初は気まずくて続きません。
一回目はぎこちなく、会話がなかなか転がらないことが多いものです。二回、三回と重ねるにつれて質は格段に上がります。とくに効くのは、決めた時間のあいだ二人ともその話し合いだけに向かうことです。ほかのことに気を散らさず、途中で切り上げないつもりでいることが、質を押し上げていきます。
決めていた時間に話せなくなったときは、どうすればよいでしょうか。
取りやめにせず、日を移してください。取りやめることに慣れてしまうと、せっかくの習慣がそのまま立ち消えになりやすいからです。振り替えた回と次の回が近くなってもかまいません。どうしても代わりの日がとれないほど立て込んでいる時期なら、手紙やメールでそのぶんのやりとりを済ませておく形もあります。ただし、決めた時間から抜けられない、切り上げると後がもっとひどくなるという関係では、この取り決めを守ろうとしないでください。安全の確保が先です。
対面だと緊張してしまって、まともに話せません。
話し合いは対面でなければならない、というものではありません。顔を合わせたほうが相手の様子も分かって効率はよいのですが、顔を合わせるからこそ話が進まなくなる方は、別の手段を考えてよいのです。手紙やメールで進めておいて、少し落ち着いてきたところで顔を合わせる。あるいは、それぞれの事情と気持ちを先に文字で渡しておいて、そのあとを対面にする。そういうやり方があります。
暴力や強い支配のある関係でも、同じように考えてよいのでしょうか。
当てはめないでください。相手が怖くて向き合えないのが、その相手の暴力や支配のためであれば、それは話し合いの工夫の問題ではありません。安全が脅かされている関係では、習慣やルールを整えることよりも先に、身の安全を確保することが優先されます。無理に話し合おうとせず、通院中の方は主治医に、そうでない方は医療機関にご相談ください。なお、相手に向かって言えない事情があるときに、無理に言葉にする必要はありません。その事情のほうを診察でご相談いただいて構いません。この点はシリーズの最終回で扱っています。