はじめに
家事に手を貸してくれない。ねぎらいの言葉がない。休みの日に一人で出かけてしまう。夫婦やパートナーへの不満は、裏を返せば「こうしてほしいのに、そうなっていない」という期待の食い違いです。この記事は、その期待を相手に届いてかなう「お願い」の形に作り直す考え方を、水島広子『対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係』を下敷きに紹介します。
先にひとつだけ。暴力や、相手からの強い支配のある関係のなかにいるときは、この記事の話をどれも当てはめないでください。頼み方の工夫より先に、身の安全の確保が優先されます。無理に話し合おうとせず、通院中の方は主治医に、そうでない方は医療機関にご相談ください。
この記事は、夫婦・パートナー関係シリーズ全15回の7回目です。第4回・第5回ですれ違いの型を、第6回では会話が空回りする形を見ました。今回は「何を頼めば実現するのか」を扱い、言い方そのものの工夫は次回に回します。
「もっと協力してほしい」では、伝わっても食い違いは解消されにくい
「もっと協力してほしい」という言い方では、そのまま届いたとしても食い違いが解ける見込みはあまり高くありません。何をもって協力的だと感じるかが、人によって違うからです。言われた側は十分にやっているつもりで、もう一方から見るとそれは協力と呼べない、ということが起こります。もともとの違いが大きいほど、感じ方は離れます(第2回で扱いました)。
ですから、どちらから見てもできたかどうかが分かる形まで具体化しておきます。週のうち何日は夕方の迎えを担ってほしい、子どもが体調を崩した日は何度かに一度は自分が仕事を空けてほしい——そういう形です。具体にするのは引き受けてもらう用事のほうで、服装や受け答えのしかたまで指定してしまう形(第5回で扱った別の型)とは違います。
気遣いも同じです。本のなかに、疲れて息をついているのに相手は笑ってテレビを見ている、という例があります。一声かけてくれるだけでも救われるのに——相手の言い分を聞くと、疲れた顔つきを察するのが得意でないのだと言います。そこで、疲れたからもんでほしい、と具体的に頼むことにしました。頼んだことを相手がしてくれることで、愛情を受け取れるようになったのです。気遣いは、中身ではなく見せ方の問題であることがあります。可能な形をこちらから挙げていくほど、受け取れるものは多くなります。
「言われてからやるのでは誠意がない」と感じるとき
言われたからやるのでは意味がない、それでは誠意が示されていない——そう感じる方もいるはずです。
これも、それ自体ひとつの期待です。本当に期待しているのは分担そのものではなく、誠意を示してもらうこと。そしてそれは、不当な期待ではありません。
ただし、言われないと動かないことを、誠意がないことと決めつけると、相手を正しくとらえられなくなります。誠意のあるなしだけで説明できる話ではなく、生まれ持った気質、育ってきた環境、いまは動かせない事情、知識の差、感じ取る力の差など、いくつもの要因が関わっているからです。そして、ずれの見立てが不正確だと、そのずれをうまく直していけなくなります。
求めすぎているのではなく、かなわないことを求めている
求めすぎている人がいるわけではなく、かなえようのないことを望んでいるだけ——下敷きにした本は、これに一節をあてています。
先に挙げた要因は、どれも自分の意思で動かせるものではありません。口数の少ない相手に多くを語ることを望んでも、心の動きを扱うのが得意でない相手にそれを望んでも、かないません。変えられないところを変えようとするあたりから、負担が生まれます。
ですから、要求の量を削るのではなく、実現できる形に作り直すほうがずっと建設的です。これは辛抱しなさいという話ではありません。誠意についても同じで、期待そのものを引っ込める必要はなく、その相手にできる示し方を話し合えばよいだけです。それが守られているあいだは誠意を受け取れる、という取り決めにしておけば、誠意を感じる機会はそれだけ増えます。
攻撃の要素が消えると、協力が得られる
第5回で見たお金の型の続きにあたる例があります。相手が趣味の車に大きなお金をかけているのが不満です。けれども、不満のまま投げているかぎり、ほかに楽しみがないと言う相手とのあいだに歩み寄れる余地は生まれません。
自分の側の期待を整理し直すと、関心は車そのものではなく、これから増える教育費への不安のほうだと分かってきます。そこで車を話題に出すのはやめ、これから必要になるお金の作り方を二人で考えてほしいと伝えました。相手も学費のことは気にかけていて、外で使うお金を減らし、教育費の積み立てを調べ、車の維持費も抑えると自分から言い出しました。車はそのまま残りましたが、気持ちはずいぶん変わっていました。
同じ話がこれほど変わったのは、不満から期待へ調子が変わり、相手を攻める色合いが消えたからです。人は攻めこまれると身構えます。言い返す、正しさを並べる、口を閉じる——どの守り方をされても、ずれを一緒に調整していく協力は得にくくなります。そして、自分が納得できる結果を出すには、相手の力を借りるほかありません。相手の手がいらないことなら、そもそもここまで悩んでいないからです。
一度は変わったのにまた戻ることもあります。それは期待がまだ現実に合っていなかったということなので、人柄を責め立てるのではなく、何ならできそうかを探しにいくことになります。
相手の側の期待も同じように確かめます。言われたとおりにするためではなく、何を望んでいるのか分からなければ調整のしようがないからです。休みの日に一人で出かけてしまう相手も、よく聞けば、仕事の負担で気持ちが折れそうで、休みの楽しみでなんとか保っている——その人なりに家族を大事に思っている形だった、ということがあります。事情が分かれば、出かける時間は残したまま子どもと過ごす時間を足してもらう形もあります。
なお、相手に向かって言えない事情があるときに、無理に言葉にする必要はありません。その事情のほうを、診察の場でご相談いただいて構いません。責め方を変えれば協力が得られるというこの節の話も、相手を思いどおりに動かすために怒りや沈黙、お金が使われている関係には当てはまりません。身の安全の確保が先です。
価値観の違いが突き出すとき ── モラルの物差しを持ち込まない
価値観が食い違っていても、違うということが二人のあいだで確かめ合えていれば、ふだんはそれほど関係を損ないません。ところが、子ども、お金、介護——それまでになかった新しいテーマが出てきたとき、その違いが急に突き出すことがあります。新しい問題への向き合い方を見て、もう無理だと感じるのです。
ここで本が置いている見方が独特です。新しいテーマの出現は、自分の側にとっても役割が変わる時期——自分も変化に慣れなければならず、何もかもが重く感じられる時期にあたります。そんな時期に見えている「相手」は、現実の相手そのものではなく、自分の不安が上乗せされたものかもしれません。相手のふるまいのほうも、そのとき相手の側に起きていた動揺が表に出ただけかもしれない。ただし、表に現れた問題が本物の問題であることもあるので、何があっても耐えるべきだという話ではなく、感じ方の違いが大きすぎて耐えられないなら、別れることを考えてよいのです(役割の変わり目そのものは転職・離婚・進学…生活の変わり目がつらいときをご覧ください)。
やっかいなのは、片方が明らかに正しく見えてしまうテーマです。節電や節水、片づけや清潔。片づいているかいないかなら、片づいているほうが正しいでしょう。つまり、善悪の問題に見えてしまいます。そうなると正しく見える側が一方的に責め、もう一方は言い過ぎだと感じて守りに回り、違いとして向き合えなくなります。けれども、清潔も片づけも完璧にすることは誰にもできません。要は、どのあたりで手を打つかという感覚の差です。ここに善悪の物差しを持ち込まず、受け取り方の異なる二人が、互いを追い詰めずに暮らせる形を考えます。足りない側が正しい側の求めに合わせて努力する、という向きの話ではありません。みんなで使う場所は散らかさないでおいて、そのかわり自分の場所は自由、という分け方もあります。
なお、正しさを盾に責められ続けていて、従わないと家の中が収まらないところまで来ているなら、それは受け取り方の差ではなく、身の安全の確保が優先される場面です。
「これは自分の側の事情かもしれない」という見方
最後に、この食い違いは自分の側の事情から来ているのではないか、という問いです。
相手はよく家事をしてくれるのに、洗い方や掃除のしかたがどうしても気になって、あとからやり直してしまう方の例があります。やり直されるほうは、文句をつけられていると感じて嫌な気持ちになります。これを表面的な期待の話として扱うと、話がねじれてしまいます。相手の家事の腕が上がることには限りがあり、しかもそのやり方は世間の水準からすればひどいものではないからです。理屈ではひどくないと分かっていて、それでも片づかない気がかり——専門的には強迫観念と呼ばれるものです。まだ十分ではないのではないか、という思いが繰り返し浮かび、抑えのきかない形で自分に迫ってくる。強く出て暮らしに差し障りが出るほどになると、強迫症(強迫性障害)という病気として診断されます。この例の方は、診断がつく状態ではありません。
この見方をとると、組み立てがまるごと変わります。できない相手を直す話ではなく、不安を抱えている側と、それを支える側という形になるからです。この例でも、あてつけだと思っていた側は相手の不安として理解してからは、このやり方でよいかと確かめるようになり、気になる側も、自分の不安が強いのだと口にしながら家事を進められるようになりました。どちら側の事情かを明らかにするのは、どちらかを異常だと決めつけるためではなく、事情を抱えていないほうが気持ちの余裕を持てるようにするためです。自分の事情なのだから一人で片づけよ、と突き放す話でもなく、自分の側の事情だと認めたうえで、折り合いをつけるために手を貸してもらうのです。
気になり方が生活を圧迫するほどになっているときは、それは伝え方の問題ではありません。確認や手伝いを求めることが日課になっているなら、強迫症の『巻き込み』|家族が確認や手洗いを求められて困っているときをご覧ください。
当院での考え方
当院では、対人関係療法を含む専門的な心理療法プログラムを提供しておりません。また、当院には心理士がおらず、カウンセリングも行っていません。カップル療法・夫婦カウンセリング(お二人で来ていただいて行う治療)も行っていません。プログラムとしての心理療法をご希望の場合は、実施している医療機関をご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
そのうえで、当院の通常の診察のなかでは、この記事で紹介したような考え方——身近な人との関係を整理する、期待のずれを言葉にする、伝え方を一緒に考える——を取り入れた助言を行っています。何をどうしたいかがまだ決まっていない段階でも、そのままお話しいただいて構いません。
診察への同席については、当院ではご家族のみのご相談はお受けしておりませんが、ご本人が受診され、同席に同意されている場合には、診察に同席していただくことは可能です。ご本人が受診できない状況のときは、公的な相談先や、受診を予定している医療機関へお問い合わせいただく形をご案内しています。
受診の目安
次のようなときは、一度ご相談ください。
- 相手のやり方が理屈では片づかないほど気になり、確かめ直さずにいられない
- 何を頼んでも変わらないという徒労感が続き、話し合う気力がなくなっている
- 期待を伝えるたびに責め合いになり、そのあとで自分を責めている
- やりとりのあとに、気分の落ち込みや体の不調が出る日が続いている
- 眠れない、食べられない、仕事や家事が回らないという状態が2週間以上続いている
- 自分を傷つけたいという考えが浮かぶことがある
当てはまるからといって、すぐに病気だということではありません。診断は医師が診察のうえで行います。なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
気持ちが差し迫っているとき、体調が急に変わったときは、様子を見ずに、通院中の方は主治医に、急を要する場合は救急(119番)にご連絡ください。
まとめ
不満は、裏を返せば期待です。芯はひとつ——求める量を削るのではなく、どちらから見てもかなったかどうかが分かる形に作り直すこと。責める調子が消えるだけで、同じ話し合いから協力が生まれはじめます。どうしても片づかない気がかりは、自分の側の事情として理解したほうが二人とも楽になることがあります。
次回は、その期待をどう頼むか——他人には頼めるのに、いちばん身近な相手には指示になってしまう、という話を扱います。
そのほか近いところにあるもの ── 家族や夫婦との「すれ違い」がつらい 役割期待のずれと心理療法・対人関係療法(IPT)の4つの問題領域とは?・生理前のつらさを家族・パートナーにどう伝えるか
参考にした書籍
この記事は、次の書籍の記述を要約・再構成して作成しました(原文の転載ではありません)。
- 水島広子『対人関係療法で改善する 夫婦・パートナー関係』創元社
よくある質問
「もっと協力してほしい」と何度も伝えているのに、何も変わりません。
その言い方では、伝わっても食い違いは解けにくいのです。何を協力的だと感じるかは人によって違い、言われた側は十分にやっているつもりで、もう一方から見るとそう呼べない、ということが起こります。どちらから見ても果たされたかどうかが分かる形まで、引き受けてもらう用事のほうを具体化してみてください。相手のふるまいそのものを細かく決めることとは別です。
言われてからやるのでは誠意がない、と思ってしまいます。
本当に期待しているのは家事の分担そのものではなく、誠意を示してもらうことなのだと思います。その期待は不当ではありません。ただ、言われないと動かないことを誠意のなさと決めつけると、見立てを誤ります。生まれ持った気質、育ってきた環境、知識の差、感じ取る力の差などが関わっているからです。その相手にできる示し方を話し合うことが、誠意を受け取る機会を増やします。
自分が求めすぎなのだろうか、と考えてしまいます。
求めすぎているのではなく、かなえようのないことを望んでいるだけかもしれません。それなら、求める量を削るのではなく、届く形に作り直すほうが建設的です。辛抱しなさいという話ではありません。
相手のやり方がどうしても気になって、あとからやり直してしまいます。
理屈では片づかない気がかりは、自分の側の不安として理解できることがあります。専門的には強迫観念と呼ばれ、強く出て暮らしに差し障りが出るほどになると強迫症(強迫性障害)と診断されます。見立てがそう変わると、できない相手を直す話ではなく、不安を抱えている側とそれを支える側という組み立てになります。どちらかを異常だと決めつける話でも、自分の事情なのだから一人で片づけよと突き放す話でもありません。診断は医師が診察のうえで行いますので、気になり方が生活を圧迫しているときは、一度ご相談ください。
暴力や強い支配のある関係でも、同じように考えてよいのでしょうか。
当てはめないでください。この記事が扱っているのは、どちらの側も相手を傷つけようとしていない場面での期待の食い違いです。相手を思いどおりに動かすために怒りや沈黙、お金が使われている関係や、正しさを盾に責められ続けている関係は、それとは別のものです。頼み方を工夫することより先に、身の安全を確保することが優先されます。無理に話し合おうとせず、通院中の方は主治医に、そうでない方は医療機関にご相談ください。相手に向かって言えない事情があるときは、無理に言葉にせず、その事情のほうを診察でご相談いただけます。この点はシリーズの最終回で扱います。