はじめに
40代、50代になって初めて発達障害の診断がつく。これは決して珍しいことではありません。
とくに女性の場合、女性のASDが見過ごされてきたのはなぜかで扱ったように、診断のものさしそのものが取りこぼしやすい形をしていました。その世代の方が子どもだった頃、ASD(自閉スペクトラム症)は「子どもの、それも男の子のもの」と考えられていたのです。
診断がついたあと一般に何が起きるかについては、発達障害と診断された「その後」にまとめてあります。この記事で扱うのは、遅い診断に固有のこと——つまり、すでに何十年も生きてきたあとで診断がつくときにだけ起こることです。
「この年まで生きてこられたのに、いま何の意味があるのか」
成人の診断を話題にすると、必ず出てくる問いがあります。
診断がなくても四十年、五十年やってこられたのに、なぜ今になって必要なのか。
もっともな問いに聞こえます。実際、この言葉を周囲から言われて相談をやめた方もいらっしゃるでしょう。
けれど当事者の答えは、おおむね一致しています。必要なのは治療や支援だけではなく、説明のほうだ、というものです。
ある女性は、こう表現しています。なぜ自分にこういうことが起きるのか、なぜ人と同じようにいかないのか——その理由を探して、頭のなかがずっと回り続けていた。診断がついたことで、その回転が止まった、と。
ここは大事なところだと思います。長く生きてきた方ほど、答えの出ない問いを抱えてきた時間も長いわけです。四十年、五十年ぶんの「なぜ」が積み上がっている。その意味では、遅い診断ほど説明の効き目は大きい、という言い方すらできます。
女性のほうが、反応が強く出ることがある
診断がついたときの手ごたえとして、肩の荷が下りた、ようやく自分にOKを出せるようになった、という言い方をされる方は男女を問わず多くいます。
ただ、女性のほうがその反応が強く出やすい、という指摘があります。
理由として挙げられているのは、女性が長いあいだ、まわりから求められる役柄に自分を寄せ、そのために内側を押し殺す形で切り抜けてきたことです。ふるまいを調整し、感じ方を後回しにし、その場に合う自分を作る。それを何十年も続けてきた人にとって、診断は単なる情報ではありません。
当事者の言葉では、こう表現されます。自分が肯定された。自分の正しさが裏づけられた。
必ずしも歓迎してくれるわけではない場所で生きてきて、そこで初めてそのままの自分でいてよいという足場ができた、という感覚です。
なお、診断のあと一時的に「もう合わせない」という方向へ大きく振れる方もいます。長く抑えてきたぶんの反動で、これ自体はよく見られる経過です。多くの場合、そのうち落ち着きどころが見つかります。
過去が書き換わる——同じ出来事の意味が変わる
遅い診断に特徴的なのは、過去のほうが変わるということです。
何十年ぶんの記憶が、すでに「自分はこういう人間だ」という説明とセットで保存されています。診断は、その説明のほうを差し替えます。
当事者が挙げる例を並べてみます。
- 「不機嫌そう」「暗い」と言われ続けてきた。 実際には、黙っているときは穏やかで幸せな気分だっただけだった。怒られるたびに驚いていた
- 「友達がいないのは自分が不快な人間だからだ」と思っていた。 そうではなく、関係を築くやり方が自分には難しかっただけだった
- 旅行に行かなかったこと、大きな仕事を続けられなかったこと、誘いを断り続けたこと。 これらを長く後ろめたく思ってきたが、その後ろめたさから解放された
つまり、同じ出来事が、別の意味を持ち直すわけです。起きたことは変わりません。変わるのは、それを自分の欠陥として数えるかどうかです。
そしてもうひとつ、当事者から繰り返し語られることがあります。自分に厳しくしなくなった、という変化です。「なぜ人より苦労するのか分からないまま頑張ってきた」状態が終わるからだと思われます。
診断は、これまでの努力を否定するものではありません。 むしろ、その努力が何と戦っていたのかが見えるようになる、という順序です。
家族に伝えるとき
遅い診断でとくに難しいのが、ここです。
十代で診断がつく場合と違い、40代・50代の方には、すでに長い関係を築いてきた相手がいます。親、配偶者やパートナー、そして自分の子ども。相手はこれまでのあなたを、これまでの説明で理解してきました。
反応はさまざまです。
理解が進む場合。 長年の噛み合わなさに説明がつき、関係が楽になることがあります。
信じてもらえない場合。 「そんなふうには見えない」と言われる。周囲が思い浮かべるASD像に当てはまらないためです。この経験は珍しくありません。
言い訳と受け取られる場合。 ある当事者は、元の婚約者から、都合の悪いふるまいを正当化するために診断を持ち出しているという趣旨の非難を受けたと書いています。これはかなり傷つく反応です。
伝えるかどうか、誰にどこまで伝えるかは、すべてご自身が決めてよいことです。 全員に伝える必要はありませんし、急ぐ必要もありません。
お子さんがいる方には、もうひとつの論点があります。ASDは遺伝的な要素があることが知られているため、自分の診断がお子さんのことを考えるきっかけになる場合があります。ただし当院は18歳以上を診療の対象としているため、お子さんご自身の受診については、児童・思春期に対応している医療機関へご相談ください。
「もっと早く分かっていれば」に、どう向き合うか
これはほとんどの方が通る場所です。そして、答えがひとつに決まらない場所でもあります。
本書の調査では、当事者の答えが割れています。
早く分かっていればよかった、という声。 支援がなかったために閉ざされた機会があった。「自分のどこかが悪いのだ」という感覚を長年抱えずに済んだはずだ。人に合わせることに人生を費やさなくてよかったはずだ。そのぶんのエネルギーを、本当にやりたいことに使えたはずだ——。こう語る方が多数派です。
一方で、そうとも言い切れないという声もあります。 子どもの頃に分かっていたら、自分で自分の限界を決めてしまったかもしれない。あるいは、守ろうとしてくれる大人たちから「あなたには無理」「負担が大きすぎる」と言われ、自分を過小評価するようになっていたかもしれない、という見方です。
苦労した分だけ強くなり、大人としての自立につながった、と振り返る方もいます。
どちらが正しいという話ではありません。 ただ、「もっと早く」という気持ちの裏側には、こういう見方もありうる、ということは知っておいてよいと思います。その気持ちごと、診察でお話しいただいて構いません。
年齢を重ねてからのほうが、受け止めやすいこともある
最後に、少し意外に聞こえるかもしれないことを書いておきます。
診断を前向きに受け止められるかどうかには、年齢が関係しているようだ、という観察があります。
若いうちは、まわりと同じでありたいという願いが前に出ます。そのため診断が「みんなと違う」ことの証明のように感じられ、受け入れにくいことがあります。
対して、年齢を重ねてからの診断では、すでに自分のやり方がある程度定まっている。そのうえで説明が加わるので、受け止めやすい。実際、本書の調査に答えた女性の大半は、さんざん苦労してきた人たちであるにもかかわらず、自分がASDでない人生を望みはしない、と答えています。
ただし、ここには但し書きがついています。こうした調査に進んで協力する人は、もともと自分の状態をよく理解し、前向きに捉えている人が多い——という点です。著者自身がその偏りを認めています。ですから「みんな前向きになれる」と読むべきではありません。
つらいままの方もいます。それも含めて、遅い診断のあとに起きることです。
受診の目安
- これまでの人生を振り返って、説明がつかないままの部分が多いと感じている
- 何十年も「なぜ自分だけ」と考え続けてきた
- 子どもや親族が発達障害の診断を受け、自分にも思い当たった
- 定年や子どもの独立など、生活の枠が変わったところで立ちゆかなくなった
- 周囲に「今さら調べても仕方ない」と言われて、相談をためらっている
年齢を理由に相談をあきらめる必要はありません。 ただし、診断がつけば環境が自動的に変わるわけでもありません。何に困っているかを持ってきていただくところから始まります。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
まとめ
- 「この年まで生きてこられたのに今さら」への当事者の答えは、必要なのは説明のほうだというもの。長く生きた人ほど、答えの出ない問いを抱えてきた時間も長い
- 女性は反応が強く出やすい。 期待される役割に合わせて自分を抑えてきた期間が長いぶん、診断が「そのままでよい」という足場になる
- 遅い診断では過去のほうが書き換わる。 起きたことは変わらないが、それを自分の欠陥として数えるかどうかが変わる
- 診断は、これまでの努力を否定しない。 何と戦っていたのかが見えるようになる
- 家族への伝え方に決まりはない。信じてもらえない・言い訳と取られるという反応も実際にある。誰にどこまで伝えるかは自分で決めてよい
- 「もっと早く」には、早期診断が自己過小評価につながったかもしれないという反対側の見方もある。答えはひとつに決まらない
- 年齢を重ねてからのほうが受け止めやすい面はあるが、前向きになれる人ばかりではない
次回は、大人になってからの友人関係を扱います。
参考にした書籍
- サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』
よくある質問
「発達障害」と「ASD」は、同じものですか。
同じではありません。発達障害は、生まれつきの脳の働き方の違いから生活のしづらさが生じる状態をまとめた呼び方で、そのなかにASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)などが含まれます。ASDは発達障害のひとつ、という関係です。日常では「発達障害」がASDとほぼ同じ意味で使われることも多いので、どちらの言葉で探されたかを気にしていただく必要はありません。
この年齢で診断を受けて、何か変わるのでしょうか。
変わる方は多いです。当事者が挙げるのは、治療の内容よりも、これまでの人生に説明がついたという感覚です。何が起きていたのか分からないまま考え続けていた状態が止まる、という言い方をされる方もいます。一方で、診断がついても環境が自動的に変わるわけではありません。過大な期待も過小な期待もせずに考えていただくのがよいと思います。
家族に伝えるべきでしょうか。
伝えなければならないものではありません。伝えたことで理解が進む場合もあれば、「自分の都合の悪いことを障害のせいにしている」と受け取られてしまう場合もあります。誰に、どこまで、どの順番で伝えるかは、ご自身が決めてよいことです。急いで結論を出す必要はありません。
もっと早く気づいてほしかった、という気持ちが消えません。
自然な気持ちです。当事者のなかにも、早く分かっていれば違ったはずだと語る方は多くいらっしゃいます。同時に、子どもの頃に分かっていたら周囲から制限をかけられていたかもしれない、と考える方もいます。どちらが正しいという話ではありません。その気持ちごと診察でお話しいただいて構いません。
診断がつくと、これまでの努力が否定される気がします。
否定されるものではありません。当事者から繰り返し語られるのは、むしろ逆のことです。「なぜ人より苦労するのか分からないまま頑張ってきた」という状態に、ようやく説明がついた、という受け止め方をされる方が多くいらっしゃいます。