はじめに
恋愛は、他の人間関係とは別のものです。
友人関係なら、会う頻度を落とすことも、距離を置くこともできます。ところが恋愛関係には、感情のやりとりと、身体的な距離の近さと、時間・場所・持ち物を長く共有することが同時に含まれます。逃げ場が少ない、と言い換えてもいいかもしれません。
この記事では、関係が始まってからの調整を扱います。パートナーに特性をどう伝えるかという話は結婚・妊娠・育児——ライフイベントのたびにつまずく気がするあなたへに、パートナーの側から見た話はパートナー・家族が発達障害(ASD)かもにまとめてあります。
「女性なら自然にできるはず」という前提
まず、いちばん重い部分から書きます。
恋愛関係で求められることの多くは、女性であれば自然に、本能的にできるはずだと思われています。相手の気持ちを察する。細やかに世話をする。近い距離を心地よく感じる。
この前提があるために、それらを負担だと感じる女性は、「冷たい人」「どこか壊れている人」「変わった人」として扱われやすいという構造があります。
同じことが苦手な男性は、「男性はそういうもの」で説明されることがあります。女性にはその逃げ道がありません。
もうひとつ。恋愛は一般に、本当の自分を受け入れてもらえる関係として語られます。良いところも悪いところも含めて、ということです。
けれど、長いあいだ人前で自分を調整して過ごしてきた方にとって、素の自分を見せることは、そのまま拒絶されるかもしれないという賭けになります。ここまで隠してきたものを開いた結果、断られたら——という恐れが、関係を進めることそのものを重くします。
シグナルが読めない、ということ
恋愛の入口には、言葉になっていないやりとりが大量にあります。ほのめかし、駆け引き、なんとなくの了解。
ここが読めない。 そうすると、こういうことが起こります。
- 誰が自分に関心を持っているのか分からない
- いつから好かれていたのかも、あとになって人から聞いて知る
- 相手が本気なのか、その場のノリなのかが判別できない
ある方は、雑誌を人付き合いの教本として読み込んでいたのに、それでも実際の場面のきまりは分からなかったと書いています。思わせぶりな態度に何の意味があるのかも、分からなかった、と。
これは注意力や努力の問題ではありません。 そこに情報があると分かっていても、その形式で送られたものは受け取れない、という話です。
結果として、二つの方向にずれます。ひとつは、関心のない相手に自分が強く向かってしまう方向。もうひとつは、自分に向けられた関心に気づかないまま過ぎる方向です。
「重すぎる」と言われるとき
この記事でいちばんお伝えしたいのは、ここです。
本書の著者は、交際相手から何度も「重すぎる」と言われてきたと書いています。理由は、この関係をどう進めていくつもりなのかを聞いたからです。しかもそれは、二度目に会ったときのことでした。
相手には、性急な思い入れの表れに見えたわけです。けれど本人の説明はまったく違います。
どちらでも構わなかった。ただ、それが何なのかを正確に知りたかっただけだった。
多くの人が好む「流れに任せる」「様子を見る」という進め方は、この方にとっては不確定要素が多すぎて、それ自体が負担でした。
同じずれは、いろいろな場面で起こります。
- 相手が自分と性的な関係を持ちたいのかどうかを、名前を知る前に率直に尋ねてしまう
- 逆に、そのつもりはないと早い段階ではっきり告げてしまう
どちらも、先を急いでいるのではありません。 宙ぶらりんの状態に耐えるコストが高いだけです。
伝え方のこつ。 「早く進めたい」ではなく、「見通しが立たないと、こちらが落ち着かない」と言い換えると、意図が伝わりやすくなります。相手を試しているのでも、決断を迫っているのでもない、と分かるからです。
親密さが進む速度を、どう調整するか
関係が始まると、次は速度の問題が出てきます。
会う頻度、連絡の頻度、一緒にいる時間の長さ、生活の重なり方。これらは普通、はっきり相談されないまま、なんとなく決まっていきます。その「なんとなく」がいちばん苦手なところです。
実際的な考え方を挙げておきます。
- 頻度は先に言葉にしておく。 「毎日連絡があると嬉しい」「週に一度くらいが続けやすい」。あとから減らすより、最初に言っておくほうが角が立ちません
- 同居と交際を分けて考える。 パートナーはほしいが、同じ空間で暮らすのは難しい、という方は実際にいらっしゃいます。常に誰かがいて、そのつど調整が必要な状態が苦しいというのは、十分に正当な理由です
- 一人になる時間を、あらかじめ予定に組み込む。 関係が悪いから離れるのではなく、続けるために必要な時間だと位置づける
強い関心が、執着の形になるとき
ここは慎重に書きます。
ASDのある女性では、関心が人そのものに向かい、そのまま深く没入していくことが知られています。男性では物や領域に向かいやすい関心が、人に向かう、という説明がされています。
本書の著者も自身の経験として、ある時期に夢中になった相手が頭から離れず、その人の居場所も行動も残らず把握したくなり、偶然を装って会えるように段取りを組んでいたと書いています。そして、相手も同じように喜んでくれるはずだと思っていた、と。
別の方は、好きになると生活が回らなくなり、電話のそばで何時間も待ち、一日じゅうその人のことを考えて過ごしていた、と語っています。
ここで大事なのは、二つのことを分けて考えることです。
ひとつ。気持ちの強さそのものは、悪ではありません。 誰かを強く思うことは、責められることではありません。
ふたつ。相手にどう届くかは、別の問題です。 相手の受け止め方を読み取りにくいために、相手が怖がっていることに気づけないことがあります。本人にその意図はまったくないのに、です。
この二つは同時に成り立ちます。だからこそ、本書は周囲の支援の必要性を書いています。何が社会的に受け入れられる範囲で、何が相手を怖がらせるのかを、遠回しにではなく、はっきり言葉で説明してくれる人がいると助けになる、と。
もしご自身が「生活が回らなくなっている」と感じているなら、それは診察で扱える話題です。眠れない、仕事に支障が出ている、頭から離れない——そういう状態であれば、一度ご相談ください。
パートナーに何を求めるか
パートナー選びの基準も、一般に語られるものとは違うことがあります。
本書の調査で挙がったのは、趣味や生活のしかたが共有できることでした。「相性」や「関係性」といった言葉は、ほとんど出てこなかったといいます。
ある方は、相手の持っていた設備を自分も使いたかったから、と率直に書いています。別の方は、自分の関心事のほとんどに興味を示してくれた、誰も関心を持たなかったことにまで興味を持ってくれた、と語っています。
生活の支えを求める形もあります。 日々の管理が苦手で、一人暮らしが続かないという方が、パートナーにその部分を担ってもらうという形です。
そしてもうひとつ、興味深い基準があります。感覚的な心地よさです。ある当事者は、夫の顔を美的な観点から描写しています。整った直線、左右のつり合い、平行や直角。その顔を見ていると、視覚が休まり、心が静まる、と。
これは一般的な「魅力」とは別のものです。けれど、その人のそばにいると自分の感覚が落ち着くというのは、関係を続けるうえで小さくない要素です。
どの基準も、間違っていません。 気持ちの通い合いだけが関係の根拠である必要はありません。
「選べる立場ではない」と感じてしまうとき
最後に、注意して読んでいただきたいことがあります。
長く否定され続けてきた結果、自分はパートナーを選べる立場ではないと感じ、言い寄られたら誰とでも付き合うことにしている、という方がいます。
ある方は、自分が選んだというより相手が選んでくれた、自分を望んでくれる人がいたこと自体がありがたい、という趣旨のことを書いています。
この感覚は、危うさを含みます。 選ばない、という判断ができないと、関係の質を確かめる手順が丸ごと抜けてしまうからです。
このことについては、次回の記事でくわしく扱います。ここでは一点だけ書いておきます。あなたには断る権利があり、それは誰かに好かれているかどうかとは関係がありません。
なお、パートナーがいないこと自体を負担に感じている方もいらっしゃいます。大人になるとパートナーの有無は周囲から見えやすく、そこに価値づけがされやすいためです。けれど、パートナーがいるかどうかと、その人に価値があるかどうかは無関係です。 引け目のほうが生活を圧迫しているなら、それ自体を相談していただいて構いません。
受診の目安
- 好きになると生活が回らなくなり、眠れない・仕事に支障が出ている
- 相手との距離感が分からず、関係のたびに同じ形で行き詰まる
- 断れないまま関係が進んでしまい、あとで苦しくなる
- 恋人がいないことへの引け目が強く、気分の落ち込みにつながっている
- 関係が終わったあと、立て直すのに極端に時間がかかる
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
まとめ
- 恋愛には感情のやりとり・身体的な近さ・長期の共有が同時に含まれ、他の関係より逃げ場が少ない
- 「女性なら自然にできるはず」という前提があるため、負担だと感じること自体が人格の問題にされやすい
- ほのめかしや駆け引きは形式として読み取りにくい。関心を向けられていることに気づかないことも起こる
- 「重すぎる」と言われるのは先を急いでいるのではなく、宙ぶらりんに耐えるコストが高いから。「見通しが立たないと落ち着かない」と言い換えると伝わりやすい
- 頻度・同居・一人の時間は、なんとなくに任せず先に言葉にする
- 強い関心そのものは悪ではない。ただし相手にどう届くかは別問題で、そこは読み取りにくい。生活が回らないなら相談の対象
- パートナーに求めるものが趣味の共有・生活の支え・感覚的な心地よさであっても、間違いではない
- 「選べる立場ではない」という感覚は危うさを含む。 断る権利は、好かれているかどうかと無関係
次回は、セクシュアリティ・性自認と、性をめぐる安全を扱います。
参考にした書籍
- サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』
よくある質問
「発達障害」と「ASD」は、同じものですか。
同じではありません。発達障害は、生まれつきの脳の働き方の違いから生活のしづらさが生じる状態をまとめた呼び方で、そのなかにASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)などが含まれます。ASDは発達障害のひとつ、という関係です。日常では「発達障害」がASDとほぼ同じ意味で使われることも多いので、どちらの言葉で探されたかを気にしていただく必要はありません。
「重い」「先を急ぎすぎる」と言われてしまいます。
関係がどこへ向かっているのかをはっきりさせたい、というだけのことが多いようです。先を急いでいるのではなく、宙ぶらりんの状態そのものが負担なのです。相手には「早く進めたい」ではなく「見通しが立たないとこちらが落ち着かない」と伝えると、意図が伝わりやすくなります。
相手が自分に好意を持っているのかどうかが、まったく分かりません。
ASDのある方に共通してみられることです。ほのめかしや駆け引きは、言葉になっていない部分でやりとりされるため、読み取りにくくて当然です。分からないまま推測を重ねるより、確かめてよい場面では確かめたほうが結果的に消耗しません。
好きになると、その人のことばかり考えて生活が回らなくなります。
ASDのある女性では、関心が人に強く向き、そのまま没入していく形が知られています。ご自身が困っているのであれば、診察で扱える話題です。生活が回らない、眠れない、仕事に支障が出ているといった状態であれば、一度ご相談ください。
恋人がいないことに、強い引け目を感じます。
大人になるとパートナーの有無は周囲から見えやすく、そこに価値づけがされやすいという事情があります。ただ、パートナーがいるかどうかと、その人に価値があるかどうかは無関係です。引け目のほうが生活を圧迫しているなら、それ自体を相談していただいて構いません。