はじめに
「あなたはASDには見えない」
女性がASD(自閉スペクトラム症)の相談をしたときに、実際によく返ってくる言葉です。悪意で言われるわけではありません。相手が思い浮かべているASD像に、当てはまらなかったというだけのことです。
前回の女性のASDが見過ごされてきたのはなぜかでは、診断のものさしの側にある事情を扱いました。今回はその続きとして、実際に診断にたどり着くまでに、どんな遠回りが起きるのかを見ていきます。
なお、ASDは発達障害と呼ばれるもののひとつです。「発達障害かもしれない」と思ってこの記事を開いた方も、そのままお読みいただいて構いません。
「本当なら、とっくに診断がついていたはず」への答え
大人になってから相談すると、こう言われることがあります。
本当に発達障害なら、子どものうちに誰かが気づいていたはずでしょう。
長いあいだ、これは反論しにくい言葉でした。ところが2013年に改訂された診断基準(DSM-5)に、この見方をくつがえす一文が入っています。
要点はこうです。症状は、求められることが本人の力を超えるまでは、はっきりとは現れないことがある。また、その後の生活で身につけた対処のしかたによって、隠れている場合もある。
つまり、子どもの頃に気づかれなかったことは、ASDでない証拠にはならない、と診断基準そのものが書いているわけです。
これは大人になってから相談する方にとって、かなり大きな意味を持ちます。学校という守られた枠のなかでは表に出なかったものが、就職・結婚・出産・転勤といった場面で一気に表面化する。その経過は、例外ではなく想定されている形のひとつなのです。
同じ改訂では、性差についても初めて言及されました。 知的な面や言葉の発達に遅れが見られない女性の場合、人付き合いやことばのやりとりでのつまずきが表に出にくく、そのぶん実態より軽く見積もられているおそれがある——という趣旨です。診断基準の側が、自ら取りこぼしの可能性を認めた形になります。
なぜ、別の病名が先につくのか
女性がASDにたどり着くまでには、多くの場合、別の診断が先に立ちます。
理由のひとつは、目の前で困っていることのほうに、医療の注意が向くからです。食欲が落ちている、不安で動けない、気分が沈んでいる。こうした状態は本人にとっても切実で、まずそこから手をつけることになります。それ自体は自然な順序です。
ただ、そこで一段落してしまうと、背景にあるものは扱われないまま残ります。実際、成人になってからASDと診断された女性の多くが、それ以前に何年もの精神的な不調と、その治療を経験しているという報告があります。統合失調症と診断されたあと、アスペルガー症候群にたどり着くまでに二十五年かかったという当事者の記録も残っています。
ここで大事なことを書いておきます。前の診断が「間違いだった」という話ではありません。
ASDと、うつ病・不安症・強迫症などは、症状が似て見えるだけでなく、実際に重なって存在することがよくあります。どちらか一方ですべてを説明しようとしないことが大切です。この点はASDのうつ・不安(二次障害)でくわしく扱っています。
前の診断を取り消して置き換えるのではなく、説明されていなかった部分が加わる。そう考えたほうが、実際の経過に近いことが多いように思います。
診断にたどり着いた女性が、たどってきた道すじ
女性がASDの診断に至るまでの経路には、いくつか共通する特徴があることが整理されています。臨床医がこれを知っていれば、評価するときにASDを検討の候補に入れやすくなる、という趣旨のものです。
挙げられているのは、次のようなことです。
- ADHD・不安症・抑うつ・強迫症・摂食障害など、ひとつ以上の診断をすでに受けている
- 年齢が上がるほど、受けてきた診断の数が多くなる傾向がある
- 社交不安、あるいは人付き合い全般の困難として扱われてきた
- 大人になってから、統合失調症など精神病性の診断を受けた経験がある
- 家族にASDと診断された人がいる
- 思春期に、それまでできていた対処が明らかにうまくいかなくなった
- 思春期になっても、服装や人間関係といった「女の子らしい」とされる関心を示さなかった
ご自身に思い当たるものがあっても、それで診断が決まるわけではありません。これは診断のチェックリストではなく、「こういう経路をたどってきた人にはASDも検討したほうがよい」という、医療者側への注意喚起です。
とくに注目したいのは、年齢が上がるほど診断名が増えていくという点です。長く困っているほど、途中でいくつもの名前がついていく。診断名が多いことは、その人が不安定だという意味ではなく、説明が定まらないまま時間が経ったということかもしれない、という見方ができます。
同じふるまいでも、判断が変わることがある
もうひとつ、指摘されていることがあります。
ASDは男性に多いと考えている臨床医は、ある行動を男の子がとればASDと見なし、同じ行動を女の子がとれば別の障害と考える傾向がある、というものです。
同じ年齢で、同じように評価を受けて、どちらにもASDに関連する特徴が出ているのに、男の子のほうが診断に至りやすく、女の子には違う診断名がつくことがある、と報告されています。
背景には、社会的な力の見え方の問題もあります。ある研究では、ASDの女性の社会的・情緒的なスキルを測ると、ASDの男性より高く、定型発達の男性と同じくらいの水準になりました。ただし、定型発達の女性と比べると低い。
つまり、男性を基準にして見ているかぎり、その人は「問題なし」に見えてしまうわけです。実際には、同年代の女性のなかに置かれたときに苦しくなっているのに、その差は測られていない。
では、どこで見分けるのか
ここが実際の診察でいちばん大事な部分です。決定的な検査はなく、標準化された手順もありません。だからこそ、話をどう聞くかで結果が変わります。
見分けの手がかりになるのは、症状の種類そのものより、その症状がどういう形をしているかです。
ひとつめは、経過の形。 ある時期から始まったのか、それとも物心ついたときからずっと続いているのか。うつや不安には「調子が悪くなった時期」があるのが普通ですが、ASDの特性は始まりの時点がありません。「昔からこうでした」という感覚があるかどうかは、大きな手がかりになります。
ふたつめは、状況によって変わるかどうか。 環境が変わると楽になるのか、どこへ行っても同じ場面でつまずくのか。理解のある職場では何年も働けていたのに、異動や上司の交代で一気に崩れる、という形は特徴的です。
みっつめは、疲れ方。 何をして消耗しているのか。人と会うこと自体で消耗し、帰宅後に動けなくなる、翌日まで回復しない、という形は、気分の落ち込みによる意欲低下とは別のものです。
よっつめは、良くなり方。 治療で気分は持ち直したのに、生活の行き詰まりだけが同じ形で残っている。この「良くなりきらなさ」が、背景を見直すきっかけになることがあります。
そしてこれらを確かめるために、子どもの頃までさかのぼって経過をたどり直すことになります。この作業については、次回の記事でくわしく扱います。
自分で調べてきた人のほうが、見立てが正確になりやすい
意外に思われるかもしれませんが、こういう指摘があります。
パートナーや家族に「あなたはASDではないか」と言われて連れてこられた場合は、評価の結果ASDではないとなることが多い。反対に、本人が自分で調べたうえで、自分の意思で相談の場までやってきたときは、見立てが当たっていることが多い。
理由は単純です。人は軽々しく診断を求めたりしないからです。ここまで来た方は、その前に自分でずいぶん調べ、考え、結論を出しています。自分自身について、そしてしばしば自分の状態について、診る側より詳しいことすらあります。
ですから、調べてきたことを遠慮する必要はありません。「素人考えですが」と前置きしなくて構いません。その調べものは、診察のための重要な材料です。
相談するときに持っていくとよいもの
診断を求める側が根拠になるものを用意しておくと、話は進みやすくなります。
- 通知表・連絡帳・作文など、子どもの頃の記録
- 母子手帳
- 当時の写真
- ご家族から聞いた、小さい頃の様子
- いま困っていることを書き出したメモ
ただし、揃わないことを理由に受診をためらわないでください。 親が亡くなっている、記録が残っていない、実家と距離がある——そういう方はたくさんいらっしゃいます。手元に何もなくても相談は始められます。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
受診の目安
- これまでうつや不安の治療を受けてきたが、良くなりきらない感じが続いている
- 診断名が何度か変わってきた
- 治療で気分は持ち直したのに、生活の行き詰まりだけが同じ形で残る
- 過去に相談したとき「あなたはそうは見えない」で終わってしまった
- 環境が変わったタイミングで、一気に立ちゆかなくなった経験がある
診断がつくかどうかより先に、いま何に行き詰まっているかを持ってきていただければ十分です。
まとめ
- 2013年のDSM-5改訂で、「症状は求められることが本人の力を超えるまで明らかにならないことがある」と書き加えられた。 子どもの頃に気づかれなかったことは、ASDでない証拠にはならない
- 同じ改訂で性差にも初めて言及され、知的・言語の遅れがない女性では困難が過小評価されうると明記された
- 別の診断が先に立つのは自然な順序。ただし前の診断が間違いだったという話ではなく、重なって存在することが多い
- 診断に至った女性には、複数の診断歴・年齢とともに増える診断名・思春期での対処の破綻といった共通の経路がある
- 同じふるまいでも、男の子ならASD、女の子なら別の障害と判断されうる。男性を基準にすると「問題なし」に見えてしまう
- 見分けの手がかりは、経過の形・状況による変化・疲れ方・良くなり方の4つ
- 自分で調べてたどり着いた人のほうが、見立ては正確になりやすい。 調べてきたことを遠慮する必要はない
次回は、その「子どもの頃までさかのぼる」作業を、ご自身の言葉にしていくための回です。
参考にした書籍
- サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』
よくある質問
「発達障害」と「ASD」は、同じものですか。
同じではありません。発達障害は、生まれつきの脳の働き方の違いから生活のしづらさが生じる状態をまとめた呼び方で、そのなかにASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)などが含まれます。ASDは発達障害のひとつ、という関係です。日常では「発達障害」がASDとほぼ同じ意味で使われることも多いので、どちらの言葉で探されたかを気にしていただく必要はありません。
「本当に発達障害なら、子どものうちに診断がついていたはずだ」と言われました。
そうとは限らないことが、診断基準そのものに書き加えられています。2013年に改訂されたDSM-5には、症状は求められることが本人の力を超えるまでははっきり現れないことがあり、また身につけた対処のしかたによって隠れている場合もある、という趣旨の一文が入りました。大人になって環境が変わってから困りごとが表に出てくることは、想定されている経過のひとつです。
これまでうつや不安の治療を受けてきました。あの診断は間違いだったのでしょうか。
間違いだったとは限りません。ASDと、うつ病・不安症・強迫症などは、症状が似て見えるだけでなく、実際に重なって存在することがよくあります。前の診断を取り消して置き換える、という話ではなく、説明されていなかった部分が加わる、と考えたほうが実際に近いことが多いです。
自分でいろいろ調べてから受診するのは、迷惑でしょうか。
迷惑ではありません。むしろ、ご自身で調べたうえで相談に来られた方は、見立てが結果的に正確になりやすいことが指摘されています。診断を軽々しく求める方はほとんどいない、というのが専門家側の実感でもあります。調べてきたことは遠慮なくお話しください。
受診のときに、何を持っていけばよいですか。
子どもの頃の様子がわかるものがあると助けになります。通知表や連絡帳、母子手帳、当時の写真、ご家族から聞いた話などです。ただし必ずしも必要ではありません。手元に何もなくても相談は始められますので、揃わないことを理由に受診をためらわないでください。