はじめに
シリーズの最終回です。
この記事では、年を重ねることについて書きます。ただ、はじめにお断りしておかなければならないことがあります。
この領域は、ほとんど何も分かっていません。
研究が、ほぼ存在しない
本書の著者は、こう書いています。この本を書いている時点で、年をとることとASDの女性を結びつけて調べた研究は、自分の知るかぎり見当たらない。 女性に限らず、加齢そのものを扱った研究さえ数えるほどしかない、と。
ある専門家の言葉も引かれています。歳を重ねたときにASDの特徴がどう変わるのかは、まだ見えていない。 身体の面で何か特定の不調が目立って増えるのかどうかも、はっきりしていない——。
なぜこうなったのか。理由はある意味で単純です。
一九四〇年代に子どもとして自閉症と診断された最初の世代が、いままさに高齢期を迎えつつあるところだからです。つまり、追いかけるべき対象がようやく現れた段階なのです。
ですからこの記事は、「こうなります」という見通しを示すものではありません。分かっていないということを、そのままお伝えします。
五五歳以上の多くが、最近になって診断されている
そのうえで、はっきりしている数字がひとつあります。
五五歳以上のASDの人のうち、およそ七割が、直近の十年のあいだに診断を受けています。
つまり高齢のASD者とは、子どもの頃に診断された人たちのことではありません。大半が、人生の後半になってから初めて分かった人たちです。
これは前回までに書いてきたことと、まっすぐつながります。診断のものさしが取りこぼしてきた人たちが、いま高齢期に入っている——ということです。
本書の調査に参加した女性のうち、およそ三分の一が四十代以上で、そのほとんどがここ数年で診断を受けた方でした。
ある方の言葉が紹介されています。情報は若い当事者向けのものばかりだ。けれど自分は「自閉症の若者」だったことがない。自分がそうだと知らなかったからだ。当時の自分は、ただ問題を抱えた若者だった——。
高齢での診断が難しい理由
年齢が上がるほど、診断は難しくなります。理由は三つあります。
ひとつ。子どもの頃を知る人がいない。 親や年長の家族が既に亡くなっていることがあります。本書の著者は、両親が既にいないというだけの理由で診断を受けられなかった人を担当したことがある、と書いています。
そのうえで、こう述べています。家族などからの情報は「可能であれば」得るべきものであって、それが無いことが診断を断る理由にはならない、と。
ふたつ。家族がいても、協力が得られないことがある。 存命でもご本人が高齢で、細かいことを覚えていない。あるいは、年老いた親を動揺させたくなくて、この話題を出せない、ということもあります。
みっつ。診断の道具が、子ども向けに作られている。 そのため高齢の方には合いません。加えて、長い年月をかけて作り上げてきた対処のしかたが、特性を覆い隠していることがあります。その下を見るには、成人を数多く診てきた経験が要る、と本書は書いています。
親のことを理由に、相談をあきらめる必要はありません。
「今さら」と言われることについて
高齢での診断には、こういう反応がつきものです。これまで何とかなってきたのだから、いま診断を受けても大して変わらないのではないか。
本書には、当事者のこんな指摘が載っています。四十代までやってこられたのなら、それほど重いはずがない、という考え方がある。実際には、口にしていないだけで、計り知れない苦しさがある——。
やってこられたことは、苦しくなかったことの証明にはなりません。
そのうえで、診断がもたらしたものについての言葉があります。
五十年以上、自分のことを欠陥のある人間だと思って生きてきた。診断のおかげで、そうではないと分かった。 それによって、自分の考えを主張し、必要なことを求められるようになった。欠陥があるのは自分のほうだと思っているあいだは、それができなかった——。
これは、シリーズ全体を通じていちばん重い言葉かもしれません。
年をとることは、楽になるのか
当事者の見方は分かれます。楽になったという方もいれば、年々つらくなっていると語る方もいます。
ただ、後者の方の言葉には続きがあります。ただ流されて適応できなくなっていくのではなく、よい年のとり方をしようと努めてはどうか。 前向きに考え、賢く選ぶことで暮らしは良くなる。そして、若い人たちにとってのお手本になろう、と。
そのうえで、本書はこう書きます。当たり前のようだが大事なことだ、と前置きして——ASDの女の子は、いずれASDの高齢女性になる。
だからこそ、何に気をつければよいかを早めに知っておけば、悪い影響を小さくするための準備を始められる、という趣旨です。
更年期と、親の介護
この時期に重なりやすい二つのことに触れておきます。
更年期。 身体の変化が起き、これまで成り立っていた均衡が揺らぐ時期です。感覚の受け取り方に特徴がある方では、その影響が出方を変えることがあります。更年期そのものについては更年期のイライラ・落ち込み、婦人科と精神科どちらに相談する?をご覧ください。
親の介護。 これは負荷のかかり方として、かなり厳しいものです。
- 予定が読めない。 相手の状態で一日が変わる
- 人とのやりとりが急に増える。 医療者、ケアマネジャー、きょうだい、行政
- 感覚の刺激が多い。 病院、施設、においや音
- 自分の時間が消える。 回復のための時間が確保できなくなる
これまでの記事で見てきた「苦手なこと」が、そのまま全部出てくる構造になっています。持たないと感じるのは、自然なことです。
なお、当院は認知症の診療は積極的には行っておりません。 ご家族の認知症についてのご相談は、専門の医療機関へお願いしています。ただし、介護されているご本人の不調については、当院でもご相談いただけます。
当事者が挙げた「これからの暮らし」
最後に、本書の締めくくりを紹介します。
著者は調査の最後に、こう尋ねています。義務も、周囲への適応も、お金のことも考えなくていいとしたら、何をしたいですか。
返ってきた答えを、いくつか挙げます。
- 犬をはじめ、たくさんの動物と暮らすこと。自宅で仕事をして、人との行き来も少しは保てること
- 連れ合いがいて、休みの日を一緒に過ごせること。ただし四六時中そばにいなくてよい。負担にならない仕事と、気の合う友人が二、三人
- 旅をすること。一人旅が好きだ
- 生計の心配をしなくて済むこと。贅沢ではなく、落ち着いて暮らせるだけのもの
- 一人で暮らすこと。ただし、支えてくれる人の家まで歩いていける距離に
- 自分を掘り下げて理解する時間。手を動かして何かを作る時間。外に出て自然にふれる時間
生活の質を上げるために何が必要かという問いには、こんな答えもありました。もうすぐ五十歳になるが、人付き合いはいまだに地雷原のように感じる。 片付けや整理を手伝ってくれる人がほしい。年配の当事者を支える場所が、あちこちにあってほしい——。
ここには、派手なものがひとつもありません。
静かで、予測がついて、自分のペースが守られて、少しだけ人とつながっている。それが、長く生きてきた人たちの出した答えでした。
シリーズを終えるにあたって
全11回を通じて見てきたのは、ひとつのことだったように思います。
足りていなかったのは、その人の努力ではなく、説明のほうだった。
診断のものさしが取りこぼし、周囲の像が合わず、本人も自分に何が起きているのか分からないまま、それでも何十年もやってきた。その説明がつくかどうかで、同じ人生の見え方が変わります。
「今さら」ということはありません。 そして、分かっていないことがまだ多いというのも、正直に受け止めておいてよいことだと思います。
受診の目安
- 中高年になってから、自分の生きづらさに説明がつかないままでいる
- 更年期のあたりから、これまでのやり方が通じなくなった
- 親の介護が始まり、自分の生活が保てなくなっている
- 子どもや孫が発達障害の診断を受け、自分にも思い当たった
- 定年や子どもの独立で生活の枠が変わり、立ちゆかなくなった
年齢を理由に相談をあきらめる必要はありません。 ご家族に当時のことを聞けなくても、相談は始められます。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただきます。初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
まとめ
- 加齢とASDの女性についての研究は、ほとんど存在しない。 見通しをお伝えできないのが現状
- 五五歳以上のASDの人の約七割が、直近十年で診断を受けている。 高齢の当事者とは、人生の後半で分かった人たちのこと
- 高齢での診断が難しい理由は、子どもの頃を知る人がいない/家族の協力が得にくい/道具が子ども向けの三つ。ただし家族の情報が無いことは診断を断る理由にならない
- 「今さら」への答え——やってこられたことは、苦しくなかったことの証明にはならない
- 五十年以上「欠陥のある人間だ」と思ってきた方が、そうではないと分かって自分の必要を求められるようになったという報告がある
- 楽になるかどうかは分かれる。ただし早めに知っておけば準備ができる
- 更年期と親の介護は、これまで見てきた苦手が全部出てくる時期。持たないと感じるのは自然なこと
- 当事者が挙げた理想の暮らしには、派手なものがひとつもなかった
シリーズは以上です。第1回からお読みいただく場合は女性のASDが見過ごされてきたのはなぜかからどうぞ。
参考にした書籍
- サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』
よくある質問
「発達障害」と「ASD」は、同じものですか。
同じではありません。発達障害は、生まれつきの脳の働き方の違いから生活のしづらさが生じる状態をまとめた呼び方で、そのなかにASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)などが含まれます。ASDは発達障害のひとつ、という関係です。日常では「発達障害」がASDとほぼ同じ意味で使われることも多いので、どちらの言葉で探されたかを気にしていただく必要はありません。
この年齢になってから相談しても、意味があるのでしょうか。
実際、55歳以上でASDの診断を受けている方の多くは、ここ10年のあいだに診断されています。決して珍しいことではありません。ご自身を長く「欠陥のある人間」と思ってこられた方が、そうではないと分かって生活が変わったという報告もあります。
親が亡くなっていて、子どもの頃のことを聞ける人がいません。
それだけを理由に相談をあきらめる必要はありません。ご家族からの情報があれば助けにはなりますが、無いから判断できないというものではありません。ご自身の記憶と、いま困っていることから相談を始めることができます。
年をとると、特性は軽くなりますか。
はっきりしたことは分かっていません。楽になったと感じる方もいれば、年々つらくなっていると語る方もいます。加齢とASDについての研究がほとんどないため、一般的な見通しをお伝えできないというのが正直なところです。
親の介護が始まり、自分が持たなくなりそうです。
介護は、予定が読めず、感覚の刺激も多く、人とのやりとりが急に増える状況です。負荷のかかり方としては相当なものですので、持たないと感じるのは自然なことです。ご自身の不調として相談していただける内容です。