はじめに
「あなたはASDには見えない」。そう言われた経験のある方は少なくありません。
はじめに言葉の整理をしておきます。ASD(自閉スペクトラム症)は、発達障害と呼ばれるもののひとつです。 発達障害には、ほかにADHD(注意欠如多動症)や学習障害なども含まれます。「発達障害かもしれない」と思ってこの記事にたどり着いた方も、そのまま読み進めていただいて構いません。日常では「発達障害」という言葉がASDとほぼ同じ意味で使われることも多く、どちらの言葉で探されたかを気にしていただく必要はありません。
さて、女性のASDが気づかれにくいことは、これまでにも指摘されてきました。その説明として多いのは、周囲に合わせてふるまいを調整する「カモフラージュ」の話です。これは本人の側から見た説明で、当院でも女性のASD|気づかれにくい理由とカモフラージュ(過剰適応)の落とし穴で扱っています。
この記事では、その裏側を扱います。本人がどうふるまったかとは関係なく、ASDを見つけるための道具そのものが、男性の姿をもとに作られてきたという話です。これは性格や努力の問題ではなく、医学の側の事情です。
一九四〇年代には、すでに気づかれていた
ASDが最初に記述されたのは一九四〇年代のことです。レオ・カナーとハンス・アスペルガーという二人の医師が、それぞれ別に報告しました。
あまり知られていませんが、この二人はどちらも、女性に現れる症状の違いについて言及していました。カナーの記録には、遊びのルールがのみこめず、自分を犬に見立てて四つ足で移動し、その鳴き声をまねていた女の子が出てきます。
ただ、当時それは重要なこととは考えられませんでした。その後の診断の基準は、もっぱら男性に現れる姿をもとに作られていきます。八十年近く前に一度は目に入っていたものが、そのまま脇に置かれた、ということになります。
「見えない」のは、本人の自覚がないからではない
ここがこの記事でいちばんお伝えしたい点です。
ASDの診断では、専門家が本人の様子を観察して評価する方法が使われることがあります。その代表的なものを用いた研究で、次のことがわかっています。外から見てとれるふるまいは女性のほうが少ないのに、自分自身について特性を申告する量は男性と変わらない(あるいはそれ以上になる)、というものです。
これは、順序を逆にすると意味がはっきりします。
- 本人は気づいている
- けれど、観察という方法ではそれが拾えない
つまり「見えない」のは、本人に自覚がないからではありません。見る側の方法が、その人の困難を捉えられていないのです。専門書はこの結果について、目に見える特徴が乏しい場合であっても、自分の特性とその影響をどれだけ理解しているかという点では男女に差がないことをうかがわせる、という趣旨の説明をしています。
同じことは、周囲の見立てにも起こります。保護者に子どもの行動を評価してもらう研究では、保護者は男の子よりも女の子の社会的なふるまいに高い期待を抱きやすく、そのぶん評価がゆがむことが指摘されています。「女の子なんだから、これくらいはできて当たり前」という前提が入ると、同じ困り方をしていても報告に上がりにくくなります。
典型像と正反対に見えることがある
もうひとつ、ものさしのずれがはっきり出る場面があります。思い浮かべられるASD像と、逆向きに見えるという現象です。
最初に記述されたときの自閉症は、極端に孤立した状態として書かれました。ひとりでいる、話さない、人に関心を向けない。いまでも多くの方が思い浮かべるのは、この姿だと思います。
ところが女の子を対象にした研究では、これと反対に見える特徴が報告されています。
- 他の子にまとわりつくように、そばを離れない
- 質問を次々に投げかける
- よくしゃべる
一見すると社交的で、人が好きで、やりとりも成立しているように見えます。しかし内実を調べると、決まった言い回しを口にしているだけだったり、あとから覚えた型をなぞっているだけだったり、話の中身が自分の関心に寄りきっていたりする、と指摘されています。
つまり、やりとりの「量」は多いのに、その組み立て方が違う。人付き合いの暗黙のきまりを深いところで理解しないまま、他の人の話し方や動き方をまねている、という説明がされています。
同じ研究の流れでは、女の子のほうに多く見られる特徴として、求められたことを避けようとする、意志が固い、身なりに関心が向かない、年下の子と過ごすことが多いといったものも挙がっています。孤立した無口な子という像から出発すると、これらはどれも視野に入ってきません。
なお、こうした特徴のリストは診断のためのものではありません。当てはまる項目を数える種類の話ではなく、「ものさしが一方向にできていると、逆向きの現れ方は最初から数えられない」という例として読んでください。
男女比の数字が定まらないのは、まだわかっていないから
ASDの男女比としてよく挙げられる数字にも、実は大きな幅があります。
- 一九六〇年代半ばから二〇〇〇年代半ばにかけての三十七件の疫学研究を見渡した報告では、幅のある範囲として示された
- ある専門医が自身のクリニックで十二年間・百件以上の診断評価を分析した結果は 四対一
- 英国の成人向け支援サービス二か所での比率は 二対一と三対一
同じものを測っているはずなのに、これだけばらつきます。専門書はこの点をはっきり書いています。数字がこれほど散らばること自体が、比率はまだ突き止められていないという事実の表れにすぎない、という趣旨です。
比率に影響しうる要素は多くあります。どの診断基準を使ったか、紹介元がASDにどんなイメージを持っていたか、評価した臨床医が誰か、対象者の人数と集め方、知的な水準はどうか。
そしてもっと根本的な問題があります。診断されていない女性が相当数いるなら、いま数えられている比率そのものが当てにならない、ということです。数えられるのは、診断がついた人だけだからです。
研究が女性を取りこぼしつづける仕組み
この「当てにならなさ」は、放っておくと自然に解消するものではありません。次のような循環が起きるためです。
- 診断の基準が、作られた時点で女性を想定していない
- そのため、女性に診断がつきにくい
- 診断がついた人が研究に参加するので、研究に入る女性が少ない
- 少ない女性のなかでも、男性の基準に一致した人が中心になる
- その集団から結論が出て、また基準が確かめられる
- 1に戻る
専門書は、この構造をかなり率直に書いています。研究は男性の基準に一致する数少ない女性のサンプルから結論を導き出すことになり、その繰り返しになる、と。
女性を対象にした研究がなぜ少ないのかという問いには、「関心が持たれてこなかったから」だけでなく、そもそも研究に参加できる人が見つけにくいという現実的な事情もあるわけです。
ここには、もうひとつ奇妙な非対称があります。当事者が自分の言葉で書いた本は、女性の書き手のほうが目立つのです。自伝や体験記の分野では、よく知られた名前の多くが女性です。一方で、学術的な文献のなかで女性の姿が扱われる量は限られてきました。
語られてはいた。ただ、それが医学の側のデータとして数え上げられてこなかった、ということになります。
同じくらい困っていても、診断されにくい
もうひとつ、示唆的な知見があります。同程度に重い状態であっても、女の子のほうが診断名にたどり着く確率はかなり下がると報告されています。
その背景として考えられているのは、周囲の性役割への期待や、固定したイメージです。「ASDは男性のもの」という見方が広まっていると、専門家が女性を診るときに、そもそもASDの可能性を検討の候補に入れないことが起こりえます。
長いあいだ、女性がASDになるには男性より神経や認知の状態が「悪い」必要があるのだろう、という考え方も置かれていました。この前提に立つと、知的な力が保たれている女性は最初から候補から外れます。近年の研究は、この前提のほうを問い直しています。
検査は「答え」ではなく「入口」
こうした話を読むと、「では検査を受ければはっきりするのか」と思われるかもしれません。
ここは大事なところなので、はっきり書いておきます。質問紙や観察による評価は、診断そのものを決めるものではありません。 点数が高くても低くても、それだけで結論は出ません。検査の位置づけについては大人のASDの診断|何科で・どう調べる?生育歴やAQ検査の流れでくわしく説明しています。
この記事でお伝えしたかったのは、その手前のことです。点数が低かったことを「可能性がない証拠」として受け取る必要はない、という点です。ここまで見てきたとおり、その道具は、女性を取りこぼしうる作られ方をしてきました。
なお、ここで扱ったのはASDの話です。ADHDでも評価のものさしが男性の特徴に寄りやすかったことが指摘されており、そちらは女性のADHDが見逃されやすい理由と特徴にまとめています。
受診の目安
診断の名前がつくかどうかより先に、いま生活のどこで行き詰まっているかのほうが相談の入口になります。
- 子どもの頃から「みんなができていることが、なぜか自分には難しい」という感覚が続いている
- 職場や家庭で、人といるだけで消耗し、帰宅後に動けなくなる
- 気分の落ち込みや不安で治療を受けてきたが、良くなりきらない感じがある
- 過去に相談したとき「あなたはそうは見えない」で終わってしまった
こうしたことが重なっているなら、一度整理して話してみる価値があります。チェックリストで自己判断をする必要はありません。困りごとをそのまま持ってきていただければ十分です。
当院では初診の前にWEB問診にご記入いただき、初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
まとめ
- ASDを最初に報告した一九四〇年代の医師たちは、すでに女性の症状の違いに触れていたが、重要とはされなかった
- 観察による評価では拾えなくても、本人は自分の特性を自覚していることが研究で示されている。「見えない」のは見る側の方法の問題でもある
- 保護者の評価にも、女の子に高い期待を置きやすいという偏りが入りうる
- 男女比の数字が定まらないのは、まだわかっていないということ。診断されていない女性が多ければ、比率自体が当てにならない
- 診断基準が女性を取りこぼす → 研究に入る女性が減る → その集団から結論が出る、という循環が起きてきた
- 症状の重さが同程度でも、女の子は診断されにくいことがわかっている
- 検査は入口であって答えではない。点数が低かったことを「可能性がない証拠」と受け取る必要はない
次回は、女性が診断にたどり着くまでにどんな遠回りをするのかを扱います。
参考にした書籍
- サラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』
よくある質問
「発達障害」と「ASD」は、同じものですか。
同じではありません。発達障害というのは、生まれつきの脳の働き方の違いから生活のしづらさが生じる状態をまとめた呼び方で、そのなかにASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如多動症)、学習障害などが含まれます。ASDは発達障害のひとつ、という関係です。ただ、日常では「発達障害」がASDとほぼ同じ意味で使われることも多く、ご自身がどちらの言葉で探されたかを気にする必要はありません。
女性のASDは、男性より軽いということですか。
そうではありません。むしろ長いあいだ「女性がASDと診断されるには、男性より状態が悪くなければならない」という前提が置かれていた時期がありました。その前提そのものが、診断の入口を狭めていた可能性が指摘されています。困りごとの重さと、診断のつきやすさは別の問題です。
ASDの男女比は、実際にはどれくらいなのでしょうか。
はっきりしていません。研究によって幅があり、4対1という報告もあれば、2対1や3対1という報告もあります。この幅の広さは「本当の比率がこれくらい」という意味ではなく、「まだわかっていない」ということを示しているにすぎない、と専門書では説明されています。診断されていない女性が相当数いるなら、いま数えられている比率そのものが当てになりません。
検査の点数が低かったので、可能性はないと考えてよいですか。
点数だけで判断はできません。質問紙や観察による評価は診断そのものを決めるものではなく、あくまで補助的な位置づけです。とくに女性では、観察される行動が少なくても本人が感じている困難は大きい、という報告もあります。点数は入口であって答えではありません。
この記事を読んで、自分もそうかもしれないと思いました。まず何をすればよいですか。
チェックリストで自己判断をする必要はありません。いま生活のどこで困っているのかを、できる範囲で書き出しておいてください。診察では、その困りごとと、子どもの頃からの経過をあわせてうかがっていきます。当院は初診の前にWEB問診にご記入いただき、初診の時間は問診を含めて30分程度をみています。
家族に「あなたがASDのはずがない」と言われます。
そう言われる経験は珍しくありません。周囲が思い浮かべるASDの姿が、男性を中心に作られてきたものであるためです。ご家族の見立てが違っていても、ご自身が困っていることは事実として残ります。困りごとのほうを軸に相談してください。