はじめに
以前は「眠れない」「つらい」と、よく口にしていた。それが最近は、そういう言葉自体が減ってきた。まわりからは、少し落ち着いたようにも見える。ただ、テレビにも食事にも、自分の体調にも関心が薄く、良くなったという感じとも違う――年齢を重ねた方のうつの治療が長引くとき、ご家族がこういう変化に気づくことがあります。
「つらい」という訴えが減ったことだけでは、回復したとは言い切れません。ときには、その「以前と違う静かさ」自体が、診察の手がかりになります。まず、うつと「アパシー」と呼ばれる状態の違いを見て、ご家族から何を伝えられるかを整理します。そのうえで、診察の側で何が考えられているのか――なぜ見立てを確かめ直すのか、薬を強くする以外に何が検討されるのか――までを見ていきます。
治療が長引くときは、見立てそのものも確かめ直す
高齢の方のうつでは、薬の手ごたえが乏しいことがあります。それ自体は珍しいことではありません。そういうとき、薬の量や種類の調整だけで進めるのではなく、まず立て直されるのが「これは本当にうつなのか」という問いです。
なぜ、その問いが先に来るのか。高齢期には、うつとよく似た形をとる別の状態があるからです。
「つらいのにできない」と「心が動かない」は同じではない
朝の場面で比べてみます。「散歩に行きたいのに、体が重くて行けない。行けない自分がつらい」。もう一つは、「散歩に行かなくなったけれど、行きたいとも困ったとも、あまり感じていない」。
前者は、したいのにできず、それが苦しい――うつでよく見られる形です。後者は、「したい」という気持ち自体が動きにくくなっている――こちらは「アパシー」と呼ばれる状態に近い形です。アパシーでは、気持ちが動きにくくなり、興味が薄くなり、自分が困っているという感覚まで弱くなることがあります。
見分けの手がかりは三つあります。
| 見るところ | うつ・抑うつで見られやすい形 | アパシーで見られやすい形 |
|---|---|---|
| 気持ち | 悲しさ、不安、焦りなど、はっきりしたつらさがある | 感情の動きそのものが乏しく、平らになる |
| 関心 | 体の不調やもの忘れなど、悪い変化をかえって強く気にすることが多い | 良いことにも悪いことにも関心が向きにくく、自分自身への関心も薄れる |
| 動き | やりたいのにできず、それがつらい | 「やろう」という動機づけそのものが弱く、動かずにいることを苦にしない |
冒頭の場面で手がかりになるのは、「関心」の行です。「症状を訴えなくなった」だけでなく、「以前なら気にしていたことにも関心を示さなくなったか」が、診察で伝える手がかりになります。
アパシーは、脳の血管の病気や神経変性の病気など、さまざまな病気で見られる状態です。しかも、病気のかなり早い段階から現れやすいとされています。中心にあるのがアパシーのほうであるときには、抗うつ薬を使ってもほとんど効き目がないため、治療が長引いているときにこの見分けが大事になります。とくに、気分の落ち込みのほうは目立たず、意欲や興味の減り方だけが前に出ているときには、慎重に見分けることになります。実際には抑うつとアパシーが重なることも多く、この違いだけで病名が決まるわけでもありません。
ご本人が「頭が回らない」「考えがまとまらない」と訴えている場合は、その形の変化そのものについて頭が回らない・考えがまとまらない――それは「怠け」でも「能力の低下」でもありませんに書いてあります。
家族から見えるのは「以前との違い」
「うつなのかアパシーなのか」を、ご家族が判定する必要はありません。役に立つのは、以前との違いを、そのままの言葉で伝えることです。診察では、こんなふうに伝えられます。
「以前は眠れないことや体調のことを何度も気にしていました。最近はそういう訴えが減ったのですが、良くなった感じではなく、好きだったテレビも見ず、薬を飲んだかどうかにも関心がないように見えます」
ここまで整っていなくても構いません。「以前は○○だったのに、最近は△△です」だけでも、見立てを確かめ直す十分な手がかりになります。
症状だけでなく、「暮らしの以前との違い」も伝える
年齢を重ねる時期には、生活の形そのものが変わる出来事が重なります。配偶者を亡くして、家のなかで話す相手が減った。退職して、外へ出る理由がなくなった。体力が落ちて、以前のように家のなかの役割を続けられなくなった――。
見立てを確かめ直すときには、症状だけでなく、こうした「最近の暮らしが以前とどう変わったか」も材料になります。前の節で書いた本人の反応の変化に、この暮らしの変化(退職、死別、外出の減少など)を足していただくと、診察で伝える「以前との違い」は二つの方向でそろいます。
暮らしの側を尋ねるのには、理由があります。高齢期のうつには、こういう成り立ちが想定されています。脳の側の変化によって認知の働きが変わり、その結果、まわりの状況の移り変わりに柔軟に合わせていく力が落ちてくる。そこへ、大切なものを失う体験や、人とのつながりが細くなることといった、この時期に起こりやすい出来事が重なって、発症のきっかけになる。つまり、脳の側の弱まりやすさを土台にして、心理面と社会面の要因が大きく働いている、という見方です。
なぜ高齢期では、見立ての確かめ直しが必要なのか
ここからは、診察の側で何が考えられているのかという背景です。
薬の手ごたえについての見方は、この二十年ほどで変わってきました。2000年代のはじめには、条件をそろえて比べれば、抗うつ薬への反応も症状の治まり方も高齢の方と若い世代でほとんど変わらない、という整理のほうが優勢でした。流れが変わるのが2010年代です。65歳以上を対象にした研究で、偽の薬に対して抗うつ薬の効き目を示せなかった、あるいはきわめて限られていた、という報告が続きます。55歳以上では有効だったのに65歳以上では有効性を示せなかったという解析、反応も症状の治まりも偽の薬を上回ったが効き目は限られていたという解析、抗うつ薬の種類によって差が出たり出なかったりした解析。これらを総合すると、65歳から上の世代では、抗うつ薬の効き目が一般の成人より低く、治療が思うように進まない側へ傾きやすい。総説はそう受け止めています。大勢をまとめて見たときの話で、いま治療を受けている一人の方の行き先が決まるわけではありません。
うつに似た症状が別の病気と重なることも、この時期には起こります。認知症の方にうつ状態がどのくらい見られるかは、調べた報告ごとに幅があります。そのうえで、アルツハイマー型の認知症では、抑うつ気分が40〜50%、うつ病と診断できる水準のうつ状態が20〜30%。レビー小体型の認知症では、うつ状態が20〜60%、うつ病と診断できる水準のものが20〜33%。この二つを比べた調査では、どちらの割合もレビー小体型のほうが高いとされています。いずれも、その病気の側から数えた割合です。
そして、認知症に重なって起きているうつ病には抗うつ薬が効きにくいのではないか、という指摘もあります。アルツハイマー型の認知症でうつ病を併せ持つ325例を対象にした共同研究では、2種類の抗うつ薬のどちらも、13週の時点でも39週の時点でも偽の薬との差が出ませんでした。ここから、神経変性の病気の前ぶれとして現れている高齢期のうつ病でも、一部の方は抗うつ薬が効きにくいのではないか、という条件つきの推論が置かれています。
うつ病から神経変性の病気へ移っていきやすいことは知られていますが、うつが長引いた期間の長さがその後を決めるわけではありません。診察で確かめられる複数の可能性のうちの一つに挙がる、というところまでの話です。そして、まだうつが中心なのか、別の状態が重なっているのかで、その後に検討される治療も変わります。
薬を強くする以外に、何が検討されるのか
治療の組み立て直しは、大きく二つに分けて考えられます。神経変性の病気などが併せてある場合と、そうでない場合です。
併せてある病気がない場合に挙がるのは、抗うつ薬に別の薬を足す増強療法、反復経頭蓋磁気刺激療法(rTMS)、修正型電気けいれん療法(m-ECT)の三つです。いずれも高齢の方のうつに有効性が示されています。ただし増強療法については、足す薬によって裏づけの厚みが違い、効き目のはっきりしているものは限られます。高齢の方に使うときの慎重さも、薬ごとに書き分けられています。
m-ECT については、高齢の方のうつに効き目が高く、薬より速く効果が出てくることもある、とはっきり書かれています。一方で全身麻酔が必要になり、健忘などが起こりうるため、自ら命を絶とうとする考えが差し迫っているとき、栄養が取れていないとき、抗うつ薬に体が耐えられないときなどに選ばれる治療とされています。認知の働きへの影響については、治療の合間や治療の直後には落ちるものの、それが半年より長く続くことをうかがわせる報告はない、という整理です。それぞれの治療の全体像は重いうつ病・治療抵抗性うつ病の選択肢|ECTとrTMSをやさしく解説にあります。
神経変性の病気に伴う場合、あるいはその前ぶれとして現れている場合は、それぞれのもとの病気に応じて、抗うつ薬以外の薬も選択肢の一つになります。アルツハイマー型の認知症に伴ううつの症状については、根拠が十分とは言えないながらも、診断がしっかりついている場合には認知症の薬(コリンエステラーゼ阻害薬)を試してみる値打ちがあると思われる、と総説の著者は自分の見立てとして書いています。この領域では、効き目が示された報告も、示されなかった報告も並んでいる段階です。パーキンソン病に伴ううつの症状については、抗うつ薬以外にも、診療の指針が使うことをすすめている薬があります。
薬の組み立て直しそのもの――増やす・変える・別の薬を足すのどれを選ぶか――は抗うつ薬が効かないとき――増量・切り替え・増強のどれを選ぶかにあります(後半は医療者向けの内容に踏み込む連載です)。
そして、ここがいちばん大事なところです。神経変性の病気が併せてあるかどうかにかかわらず、高齢の方のうつでは、心理的な関わりや、暮らしの環境を整えることといった、薬によらない働きかけがきわめて大切だとされています。これは高齢の方に限った話ではない、と断ったうえで、その土台に手をつけないまま薬だけで治そうとする進め方こそが、治りにくさを作る側に回るのではないか、とも書かれています。これは治療する側の組み立てについての話で、ご本人やご家族の努力が足りない、という意味ではありません。老年期のうつが治療で良くなっていく道すじそのものは老年期うつ病は治療で良くなる——高齢の方のうつ治療と回復の道すじにあります。
こんな変化は、診察で伝えてください
次のようなことが続いているときは、「以前と違う」「手ごたえがない」という段階のまま、診察で話題にしていただいて構いません。まだ治療を始めていない段階でも同じです。
- 治療を続けているのに、良くなったという手ごたえがない
- 「つらい」と言わなくなった一方で、関心や意欲まで薄くなっている
- 食事・睡眠・外出など、以前とは違う生活の変化が続いている
数時間から数日のうちに急に始まった混乱、自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、上の目安とは別です。待たずに動いてください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。急に始まった混乱については、落ち着いてから読んでいただくものとして入院中の家族が急に「別人のように」——せん妄と認知症の違いがあります。
まとめ
- 治療が長引くときは、「薬が足りない」以外の見方も確かめられます。
- 「つらいのにできない」のか、「そもそも心が動かない」のか――この違いが、見立てを確かめ直す手がかりになります。
- ご本人やご家族が診断する必要はなく、本人の反応の変化と暮らしの変化、この二つを「以前と違う」の形でそのまま伝えていただければ十分です。
- 薬を強くする以外にも道すじはあります。増強療法・rTMS・m-ECT といった治療のほか、心理的な関わりや暮らしの環境を整えることが、この年代ではきわめて大切だとされています。
「良くなっていない」だけでなく、「以前とは違う良くなっていなさ」に気づいたときは、その違和感も診察で伝えてください。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です(診療対象は18歳以上の方)。老年期のうつ病のご相談をお受けしています。すでに認知症の診断がついている方のうつも同じです。一方、認知症のご本人の積極的な診療や認知機能検査、ECT(電気けいれん療法)・rTMS(反復経頭蓋磁気刺激)は行っていません。
次に読むなら
- 治療はどう進むのか → 老年期うつ病は治療で良くなる——高齢の方のうつ治療と回復の道すじ
- もの忘れそのものの見分け → そのもの忘れ、「歳のせい」と言い切れますか——家族が気づくサインと受診の目安
- 高齢の方のうつの気づきにくさ → 高齢者のうつ病は気づきにくい もの忘れ・体の不調に隠れるサイン
- 効かないと感じたときにまず確かめること → 治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきこと
- 支えているご家族ご自身の不調 → 介護する人のうつ――「介護疲れだから仕方ない」で片づけないでください
そのほか近いところにあるもの ── うつの治療が長引くとき――診断名に届かない不安が、確かめられないまま残っていることがある/「前の落ち込みとは、どこか違う」――言葉にしにくい感覚も、診察の手がかりになる/うつの治療が長引くとき――そばで暮らすご家族が抱えているもの
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、高齢の方の治療抵抗性うつ病について、神経変性の病気との見分けと併存を扱った総説(馬場元、829〜835頁)
よくある質問
認知症のほうが心配なのですが、そちらでも診てもらえますか。
当院では、老年期のうつ病のご相談をお受けしています。すでに認知症の診断がついている方のうつのご相談も同じです。一方、認知症のご本人の診療は積極的にはお受けしておらず、認知機能検査も行っていません。実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。もの忘れが気になっていること自体を、うつのご相談のなかでお話しいただくことは差し支えありません。もの忘れそのものの見分け方は「そのもの忘れ、「歳のせい」と言い切れますか」に書いてあります。
高齢の家族の様子が変わってきました。家族だけで相談できますか。
ご家族のみの相談はお受けしていません。ご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。ご本人がどうしても受診できない場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。ご家族ご自身の不調は、それとは別で、ご自身の受診としてご相談いただけます。なお、数時間から数日のうちに急に始まった混乱やご様子の変化は、体のほうに原因があって急いで対応が必要なことがあります。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
電気けいれん療法や磁気刺激の話が出てきますが、そちらで受けられますか。
当院では、ECT(電気けいれん療法)・rTMS(反復経頭蓋磁気刺激)は行っていません。実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。治療そのものの説明は「重いうつ病・治療抵抗性うつ病の選択肢|ECTとrTMSをやさしく解説」に書いてあります。