はじめに——「歳のせいかな」と思いつつ、少し引っかかっている方へ
久しぶりに実家に帰ったら、親が同じ話を何度も繰り返す。冷蔵庫に同じ食材がいくつも入っている。あるいは、ご自身のもの忘れが最近増えた気がして、内心不安になっている——。
年をとれば、誰にでももの忘れはあります。人の名前がすぐ出てこない、何を取りに来たのか忘れる、といった経験は中高年の多くの方にあるものです。一方で、認知症の初期のもの忘れは、加齢によるものと性質が異なることが知られています。そして、その違いに最初に気づくのは、本人ではなくご家族であることが少なくありません。
この記事では、加齢によるもの忘れと認知症によるもの忘れの違い、うつ病など治療で改善しうる「もの忘れの別の原因」、そして受診を考える目安について、ご家族の視点からお伝えします。
加齢のもの忘れと認知症のもの忘れ——何が違うのか
いちばん分かりやすい違いは、「体験の一部を忘れる」のか「体験そのものが抜け落ちる」のかです。
加齢によるもの忘れでは、たとえば昨晩の夕食のメニューは思い出せなくても、夕食を食べたこと自体は覚えています。「ほら、魚だったでしょう」とヒントをもらえば「ああ、そうだった」と思い出せることも多く、本人にも「最近忘れっぽくて」という自覚があります。
一方、認知症の初期に多いアルツハイマー型では、夕食を食べたという体験そのものの記憶が残らないため、「まだ食べていない」という話になります。ヒントを出しても思い出せないことが多く、忘れたという自覚も乏しくなりがちです。
著者の医師は、この「自覚」の違いが診断のうえで重要な手がかりになると述べています。うつ病によるもの忘れでは本人が「もうだめになった」と積極的にもの忘れを訴えるのに対し、アルツハイマー型認知症では、あたかももの忘れがないかのように取り繕う素振りがみられやすい、というのです。診察室で質問を受けたとき、本人が答える前に隣のご家族のほうを振り向いて助けを求めるしぐさも、よく知られたサインとして紹介されています。「大丈夫と本人が言っているから大丈夫」とは限らない、ということです。
生活の中に現れるサイン——ご家族がチェックできること
もの忘れの変化は、日常生活の場面に具体的に現れます。次のような様子が続いていないか、思い返してみてください。
- 同じことを何度も聞く・言う——話した内容ではなく、話したこと自体を忘れているため、短い時間に同じ質問が繰り返されます。
- 料理の段取りが崩れる——長年つくってきた料理の味が変わる、品数が減る、同時進行の作業ができず時間がかかる、といった変化です。
- お金の管理のミス——通帳や財布の置き場所が分からなくなる、支払いの手続きを忘れる、同じものを何度も買ってくる、などです。置き忘れたことを忘れるため、「誰かが盗った」という訴えにつながることもあります。
- 約束や日付があいまいになる——予定をすっぽかす、今日が何日か分からず何度もカレンダーを確認する、といった様子です。
著者の医師の臨床観察では、外来を受診するきっかけとして「本人は何ともないと思っているが、家族に連れられて来た」という形は非常に多いとされています。中には「夫がもの忘れのことをうるさく言うから来た」と不満げに話す方が、診察では明らかな記憶の問題を示していた、という例も紹介されています。逆に、本人自身が置き忘れや言い忘れの増加に気づいて自ら受診を希望する場合もあり、受診のきっかけは人それぞれです。
一つひとつは誰にでも起こりうることです。大切なのは、以前のその人と比べて明らかに変わってきているか、そして生活に支障が出はじめているか、という視点です。原典の書籍でも、1年前と比べて悪化しているという経過があるかどうかが、正常範囲かどうかを見分ける重要な手がかりとされています。
「認知症ではなかった」というケースも少なくない
ここでぜひ知っていただきたいのは、もの忘れの原因は認知症だけではない、ということです。
代表的なのがうつ病です。うつ病では集中力や意欲が落ちるために、新しいことが頭に入らず、もの忘れのように見えることがあります。高齢の方のうつ病は一見認知症とよく似ているため、「仮性認知症」と呼ばれることもあります。この場合、うつ病の治療によって記憶の問題も改善が期待できます。
また、甲状腺機能低下症では、動作や思考がゆっくりになり、集中力の低下や記憶の問題がみられることがあります。高齢者では決してまれな病気ではなく、治療により認知機能の改善がみられたという報告もあります。ほかにも、ビタミンB12の不足、飲んでいる薬の影響、頭を打ったあとにゆっくり血がたまる慢性硬膜下血腫など、対処によって改善が見込める原因はいくつもあります。
だからこそ、「もの忘れ=認知症=どうしようもない」と決めつけて受診を先延ばしにするのは、もったいないことなのです。診察では、これらの原因を一つずつ確認していきます。血液検査や認知機能の検査、必要に応じた画像検査などが一般的です。⚠️ このうち認知機能検査と画像検査は、当院では行っていません。必要な場合、実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
受診を考える目安
次のような場合は、一度受診を考えていただくタイミングだと私たちは考えています。
- 同じことを何度も聞く状態が、数か月にわたって続いている
- 料理・買い物・お金の管理など、これまでできていたことに支障が出てきた
- ヒントを出しても思い出せない、体験そのものを忘れている様子がある
- もの忘れと同時に、元気のなさ、意欲の低下、眠れないなどの変化がある
- 本人は「大丈夫」と言うが、家族から見ると明らかに以前と違う
早めに受診する意味は、大きく三つあります。第一に、うつ病や甲状腺の病気など、治療で改善しうる原因を確かめられること。第二に、認知症であった場合も、早い段階から進行を緩やかにする治療や関わり方の工夫を検討できること。第三に、今後の生活について、ご本人の意思を確認しながら余裕をもって備えられることです。「早く見つかれば必ず治る」とお約束することはできませんが、早く分かることで選べる道は確実に増えます。
本人が受診を嫌がる場合も、当院では家族だけでの相談は受け付けていません。ご本人が受診できる場合は、ご本人の同意のもとで家族が同席でき、日頃の様子を具体的に教えていただけることは診断のうえでも大きな助けになります。
まとめ
- 加齢のもの忘れは「体験の一部」を忘れ、ヒントで思い出せて、自覚がある。認知症のもの忘れは「体験そのもの」が抜け、取り繕いがみられ、生活に支障が出てくる。
- 変化に最初に気づくのは、多くの場合ご家族。「同じことを何度も聞く」「料理の段取りが崩れる」「お金の管理のミス」は要注意のサイン。
- うつ病や甲状腺機能低下症など、治療で改善しうる原因も少なくない。決めつけずに調べることが大切。
- 診断は診察や検査を踏まえて医師が行うもの。気になる変化が続くときは、ご本人の受診をご検討ください。ご本人の同意があれば、ご家族も同席できます。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 小田陽彦『科学的認知症診療』
- 『戦略的認知症診断』
執筆・監修:精神保健指定医 野口晋宏
よくある質問
同じことを何度も聞くのは認知症のサインですか?
一度や二度なら誰にでもあることですが、話したこと自体を忘れて短時間に何度も同じ質問を繰り返す状態が続く場合は、加齢による単なるもの忘れとは区別して考える必要があります。ほかの生活場面での変化とあわせて、一度医師にご相談ください。診断は診察や検査を踏まえて医師が行います。
本人が「自分は大丈夫」と言って受診を嫌がります。どうすればよいですか?
認知症では本人よりも先に家族が変化に気づくことが少なくなく、本人が困っていないように見えるのはよくあることです。「もの忘れの検査」と正面から伝えるより、健康チェックや体調の相談という形で誘うほうが受け入れられやすい場合があります。当院では家族だけでの相談は受け付けていませんが、ご本人が受診できる場合は、ご本人の同意のもとで家族が同席できます。
もの忘れは治らないのでしょうか?
もの忘れの原因はさまざまで、うつ病、甲状腺機能低下症、ビタミン不足、薬の影響など、治療によって改善が期待できるものも含まれています。また認知症であった場合も、早めに分かることで進行を緩やかにする治療や生活の準備につなげられる可能性があります。まずは原因を調べることが大切です。
受診するなら何科に行けばよいですか?
もの忘れの背景にはうつ病など心の不調が隠れていることもあり、精神科・心療内科はご相談先のひとつです。当院でも診察のうえで見立てを行いますが、画像検査など専門的な検査は当院では行っていません。必要な場合、実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。かかりつけ医がある場合は、そちらに相談することから始めても構いません。