はじめに
眠れていないのは見ていて分かる。食事の量も減った。それなのに、「一度病院で相談してみない?」と言うと、返ってくるのは「大丈夫」「病気じゃない」――。
こういうとき、ご家族の側には「治療を拒まれた」「頑固になってしまった」「認めたくないだけなのだろう」という受け取り方が生まれやすいものです。そのどれもが、話をこじらせる方向に働きます。
この記事は、なぜそう見えるのかを整理します。精神科の専門書『精神症候学』の整理を下敷きにしています。実際の関わり方――声のかけ方や受診の勧め方――は本人が受診を嫌がるとき、家族はどう動く?が、お酒や薬の問題を本人が認めないという形については依存を認めない家族への接し方が扱っています。
「病気だと思っていない」は、一つの状態ではない
精神医学の用語では、よく似て見える二つのものを分けています。病感(びょうかん)は、うまく言葉にできないけれど、いつもの自分とは何かが違うという実感です。病識(びょうしき)は、自分が病気であると自分で分かっていることです。この二つには、そもそも別の系統に属するものとして位置づけた古い研究があります。片方が強くなればもう片方に進む、という順番の関係ではなく、別々のものなので、別々に動きます。
分けてみると、次の三つが同じものではないことが見えてきます。
- どこか変だと感じていること
- それを心の不調として理解すること
- 治療が必要だと認めること
この三つは、そろって現れるとは限りません。「眠れないのはつらい。でも病院に行くほどじゃない」は、1はあるけれど3はない状態です。「調子が変なのは自分でも分かっている。でも心の病気ではない」は、1はあって2がない形です。矛盾しているのではなく、別のものだから別々に動いているのです。
ですから、「病識がない」という一言でまとめてしまうと、実際に起きていることが見えなくなります。 どれがあって、どれがないのか。それが分かると、次に何を話せばよいのかも変わってきます。
なお、統合失調症では、病感はあっても病識へはなかなか届きにくいとされています。「本人も何かおかしいとは感じているのに、病気だとは思えない」という形です。ただ、この組み合わせから病名を当てにいく必要はありません。ご家族に要るのは、見えていることを持っておくことです。
病識は「ある・なし」の二つに分かれない
病識は、二つの認識に分けて考えられてきました。「自分が何かの病気にかかっていて、それは心の病気だ」という認識と、「自分に起きているこの変化は、どこか病的なものだ」と気づく力です。この二つは互いの結びつきが弱く、どちらも、あるかないかの二つには割り切れません。さらに、病識を病気についての知識の有無だけの問題とせず、自分という存在全体についての理解の一部として見る立場もあります。知識として知っているかどうかで決まる話ではないのです。
これは、ご家族の実感とも合うところではないでしょうか。
- 昨日は「たしかにおかしいかもしれない」と言っていたのに、今日は「何でもない」に戻っている
- 医師の前では素直に聞いているのに、家に帰ると「あの話は自分には関係ない」になる
- 体の調子については認めるのに、気分の落ち込みについてだけ認めない
もともと、あるかないかの二つに分かれるものではないのなら、日によって、場面によって見え方が違うことも、不思議ではありません。「昨日は病識があったのに今日は消えた」と数える必要はないのです。
「病識がない」は、外から見て下される判断である
「病識がない」は、ご本人の内側に固定的に備わっている性質のラベルではなく、診察する側が、そのときに下している判断です。 統合失調症の診療では、病識が欠けていることが診断の根拠にされ、病識が現れてくることが、症状の落ち着いてきたことの目印とされてきました。医療の側が道具として使っている言葉です。
ご家族が「この人には病識がない」と結論を出す必要はありません。 判定はご家族のお仕事ではないのです。
「病識がない」は、わがままでも、性格でも、「認めたくないだけ」でもありません。 意地を張っているのだろうと考える必要はなく、「自分の言い方が悪かったからだ」とご自身を責める必要もありません。心の不調がご家族の対応のせいで起こるわけではないのと同じことです。伝え方には役に立つ工夫があり、冒頭で挙げた記事にまとまっています。
ただし、「わがままではない」と「何をしても仕方がない」は別の話です。 暴力や脅し、強い支配のある関係では、この記事の話を当てはめず、身の安全の確保を先にしてください。病気があってもなくても、何をしたかの責任はその人の側に残ります。
外から下される判断だといっても、ご本人の側では何も起きていないという意味ではありません。病気の性質として、病識が届きにくくなることはあります。
背景は、一つとは限らない
同じ「病気だと思っていない」に見えても、その裏側で起きていることが同じだとは限りません。病気によって、背景に質的な違いがあるとする見方があります。物事を判断する力そのものが影響を受けている場合と、自分と自分でないものの区切りや、自分が自分であるという感覚の側が変化している場合です。後者の区切りの変化については、させられ体験とは?考えや体の動きを、自分がおこなっていると思えなくなるときで説明しています。
そして、自分の身に起きている変化を、変化として受け取れないことは、心の病気に限った話でもありません。脳の病変によって、体に麻痺があるのにその麻痺を認めない状態が起こることが知られていますし、目が見えない、言葉が出ないといった形の記載もあります。「認めたくない気持ち」や「気の持ちよう」だけが理由ではないものとして、医学のなかで以前から扱われてきたのです。
どちらに当たるのかを、ご家庭で見分ける必要はありません。まだ病名がついていない段階では、そもそもどの説明が当てはまるかも決まっておらず、ご本人が受診されたときに、診察のなかで確かめていくことです。「同じように見えるのだから同じ理由だろう」と考える必要はありません。
「まだ病名がついていない」のと「本人が病気だと思っていない」のは別
医師の側が診断を決めきれていない、という状況があります。これは、ご本人が病気だと思っていないこととは、まったく別のことです。診断がはっきりしないまま治療を始めることはありますし、それは適当に扱われているという意味でもありません。この点は診断名がつかない・はっきりしないが扱っています。
同じように、「治療を拒んでいる」と「病気だと思っていない」も別のことです。 前者は意思の話、後者は理解のしかたの話です。理解は届いていないけれど、意思として拒んでいるわけではない場合がありますし、病気だとまでは思っていなくても、「眠れないのはなんとかしたい」から治療につながる場合もあります。「病気だと分かってもらえないうちは何も始められない」ということにはなりません。この二つを分けて考えると、「認めようとしない」と受け取る代わりに、「病気だという理解が、まだご本人に届いていないのかもしれない」と見方が変わります。
いま「病気じゃない」と言っていることは、この先ずっとという意味ではない
統合失調症の診療では、病識が現れてくることが、症状の落ち着いてきたことの目印とされています。少なくとも、動かないものとしては扱われていない、ということです。いま「病気じゃない」と言っていることは、この先ずっとそうだという意味ではありません。
一方で、「治療を始めれば必ず分かるようになる」とも言えません。そして、分かったあとがゴールというわけでもありません。急性の精神病のあとには、病気に対してどういう態度をとるか――「構え」と呼ばれます――が問題になります。絶望する形、新しい生き方として引き受ける形、なかったことにしてしまう形などがあり、「病識がついたかどうか」の一点で区切れる話ではないのです。
すでに病名がついている場合
すでに診断がついていて、その病気ごとの具体的な話をお探しの場合は、それぞれの記事があります。統合失調症については統合失調症の家族ができること、統合失調感情障害については家族が統合失調感情障害と診断されたら、食事の問題については家族の食事が心配なとき、もの忘れが気になる場合はそのもの忘れ、「歳のせい」と言い切れますか、妄想があると説明を受けたときの接し方については妄想とは?をご覧ください。
ご家族の側でできること
具体的な声のかけ方、話を持ち出すタイミング、精神科ではなく内科を入口にする方法、予約や付き添いといった実務は、本人が受診を嫌がるとき、家族はどう動く?にまとまっています。
1. 判定しようとしなくてよい
「病識があるかどうか」は、外から見て下される判断です。ご家族がそれを引き受けると、会話が試験のようになっていきます。「分かっている?」「本当にそう思ってる?」と確かめたくなり、確かめられる側は身構える。判定を降ろすというのは、この試験をやめるということです。そして、判定を降ろしても、ご家族の困りごと――眠れない、食べていない、家の空気が重い――は残ります。そちらは判定と関係なく、そのまま相談していただける事柄です。
2. 見えていることを、そのまま持っておく
判定の代わりに役に立つのは、見えていることです。何が、いつごろから、どう変わったか。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、こうした具体的な様子を診察の場で伝えていただけます。それが診断や治療の助けになります。ただし、目の前で様子を伝えること自体が、あとで責められるもとになる関係もあります。暴力や強い支配があるときは、同席という形を無理にとらず、ご自身の受診としてご相談ください。何があったのかを話さないままでも受診していただけます。
3. 「病気だと分かってもらう」を目標にしない
理解が届くことと治療につながることは、同じ順番で進むとは限りません。治療の入口は、「病気だと分かること」でなくてかまわないということです。ご本人が困っていること――眠れない、疲れが取れない――は、病気だと思っていなくてもご本人の側に残っています。そこを入口にする具体的な工夫は、上に挙げた記事が扱っています。
受診の目安
次のような状態が続いているときは、病名の話をいったん置いて、相談をお考えください。
- 眠れない、食事が取れない、体重が落ちてきているといった変化が続いている
- 仕事や家事、身のまわりのことができなくなってきている
- ご家族の側が眠れなくなっている、気分の落ち込みが続いている
上の1つめ・2つめはご本人の様子です。当院ではご家族のみの相談はお受けしていませんが、ご本人のことをご家族だけでご相談いただくことができないのと、ご自身の不調を診てもらうために受診されることは、別のことです。3つめは、ご家族ご自身のご相談として受診していただけます。
そして、自分や他の人を傷つけそうな言動があるとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。ご相談は、まずWEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただく形をとっています。初診の所要時間の目安は、問診を含めて30分程度です。通院を始めた場合は、2週間に一度の通院が基本で、再診の所要時間の目安は5分前後です。
ご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。
なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。また、認知症については積極的な診療は行っておりません(老年期のうつ病は診療しています)。
まとめ
「病気じゃない」という一言の中身は、一つではありません。いつもと違うという実感(病感)と、自分が病気だと分かること(病識)は別のもので、病識そのものも、あるかないかの二つには割り切れません。そして「病識がない」は、外から見て下される判断です。ご家族が判定する必要はなく、ご本人のわがままでも、ご家族のせいでもありません。いま「病気じゃない」と言っていることは、この先ずっとという意味でもありません。
判定がどうであっても、ご家族が困っているという事実は変わりません。 その困りごとのほうを、そのままお持ちください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神症候学(濱田秀伯)
よくある質問
「病識」と「病感」は、どう違うのですか。
専門書は、この二つを別の体験として扱っています。病感のほうは、うまく言葉にできないけれど、いつもの自分とは何かが違う、という実感です。病識のほうは、自分が病気であると自分で分かっていることです。専門書が紹介しているのは、この二つをそもそも別の系統に属するものとして位置づけた古い研究です。ですから、「調子が変なのは自分でも分かっている」と言いながら、「心の病気ではない」「病院に行くほどではない」と言う――そういう組み合わせが成り立ちます。矛盾しているわけではなく、別のものだから別々に動くのです。
「本人には病識がない」と説明を受けました。治療を拒んでいるということですか。
同じではありません。治療を受けるかどうかは意思の話で、自分に起きていることを病気として理解できるかどうかは、理解のしかたの話です。理解が届いていないだけで、意思として拒んでいるわけではない場合があります。逆に、病気だとまでは思っていなくても「眠れないのはなんとかしたい」と治療につながる場合もあります。この二つを分けて考えると、ご家族の側の見え方も変わってきます。
家族が「この人には病識がない」と判断してよいのでしょうか。
判定はご家族のお仕事ではありません。専門書がこの話題を書くときの言い方は、病識が欠けている――ただし、そう判断しているのは観察者である、というものです。この記事はそこを、「病識がない」がご本人の内側にあるラベルではなく、診察する側がそのときに下している判断だ、という意味に受け取っています。ご家族に必要なのは判定ではなく、見えていること――何が、いつごろから、どう変わったか――を持っておくことのほうです。それは診察の場で役に立ちます。なお、暴力や脅し、強い支配のある関係では、この記事の話をどれも当てはめず、身の安全の確保を先にしてください。病気があってもなくても、何をしたかの責任はその人の側に残ります。
同じ「病気だと思わない」でも、背景が違うことがあるのですか。
専門書は、病気によって背景に質的な違いがあるとする立場を紹介しています。物事を判断する力そのものが影響を受けている側の問題として位置づけられる場合と、自分と自分でないものの区切りや、自分が自分であるという感覚の側の変化として位置づけられる場合がある、というものです。ただしこれは、ご本人の場合がそのどちらに当たるのかを、ご家庭で見分けるための材料ではありません。この記事は見分け方を書きませんし、まだ病名がついていない段階では、そもそもどの説明が当てはまるかも決まっていません。ご本人が受診されたときに、診察のなかで確かめていくことです。なお、脳の病変によって、体に麻痺があるのにその麻痺を認めない状態が起こることも記載されています。目が見えない、言葉が出ないといった別の形も挙げられており、麻痺はその一例です。「認めたくない気持ち」だけが理由ではない、ということです。
家族だけで先に相談に行くことはできますか。
当院ではご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関に問い合わせる形をおすすめしています。なお当院の診療対象は18歳以上の方です。認知症については積極的な診療は行っておりません(老年期のうつ病は診療しています)。