はじめに
「自分の考えのはずなのに、自分が考えた気がしない」 「頭のなかに、外から考えを入れられている」 「考えていたことを、途中で抜き取られる」 「手が勝手に動く。自分が動かしているのではない」
こうした感じ方は、言葉にするのがとても難しいものです。人に話しても伝わらないだろうと思って、何年も黙っている方がいます。打ち明けられたご家族も、どう受け止めればよいか分からず、「そんなことはない」と返して会話が終わってしまうことが起こります。
この記事は、ご本人にもご家族にも読めるよう、この体験がどう書かれてきたのかを整理します。読み終えて病名の見当をつけていただく必要はありません。困っていること、そのものを診察に持ってきていただければ十分です。
どんな体験として語られるのか
精神医学では、こうした感じ方を「させられ体験」と呼んできました。「作為体験」「被影響体験」という言い方をすることもあります。
専門書『精神症候学』は、この体験を、それを自分がおこなっているという感じのほうの変化が進んだ先に置いています(専門書はこの感じを「実行意識」と呼んでいます)。挙げられている感じ方は、逆らいようがない、外側から押し込まれてくる、誰かの支配下に置かれている、というものです。
言い方は人によってずいぶん違います。
- 考えが、自分で組み立てたものだと感じられない。誰かの考えが流れ込んでくるようだ
- 言おうとしていたことが、途中で消える。抜き取られたように感じる
- 手足が動いてしまう。自分の力では止められないと感じる
- 自分がしたことなのに、させられてやったという感覚が残る
問われているのは、考えの中身が正しいかどうかではなく、その考えや動きが誰のものとして感じられているかという、もっと手前の場所です。思い込みの強さの話ではないのです。
「自分」という感覚は、一つのかたまりではない
なぜ手前の場所なのか。『精神症候学』は、自分についての感覚にかかわる不調を、四つの領域に分けて整理しています。
- 自分がいま、確かにここにいるという感覚(専門書は「存在意識」と呼んでいます)
- 自分の働きだという感覚(「能動意識」)。知覚も考えも行いも自分のものだという感じ(「自己所属性」)と、それを自分がおこなっているという感じ(「実行意識」)の二つからできています
- 自分は一人だという感覚(「単独意識」)
- 自分と他人、内と外の区切り
させられ体験は、二番目のうちの後半――それを自分がおこなっているという感じ――の変化が進んだ先に置かれ、詳しい説明のほうは四番目の「自分と他人、内と外の区切り」のところに書かれています。つまりこの体験は、自分の働きだという側と、自分と外との区切りという側の、両方にまたがったところで起きています。「気の持ちよう」でも「考えの中身の問題」でもない場所です。
主に語られるのは「考え」と「したいこと」の領域
させられ体験は、主に考えの領域と、意志や欲求の領域の症状として語られます。感情については、外からさせられるという形のものは一般に無いとされています。これは典型がどこに置かれているかという話で、どういう形で感じられていても、診察でそのままお話しいただければ十分です。
考えの領域では、考えが吹き込まれてくる、抜き取られる、といった形もしばしば一緒に現れます。逆向きの形もあります。自分のなかの何かが外へ漏れていく、まわりに知られてしまう、という感じ方です。『精神症候学』は、こうした「外へ漏れていく」という点で似通った症状を、考えの領域に限らず、においや視線、見た目についての訴えまで含めて一つのまとまりとして記述しています。そこでは、一つの病気だけに起こるものとしては扱われていません。
体の動きが外から強いられるように感じられる場合は、自我の身体の側の障害としても捉えられるとされ、意志と関わりなく手足が動く、自分の側では止めようがない、という訴え方も挙げられています。
「自分が薄い」感じとは、向きが違う
「自分が自分でない感じ」という言い方は、まったく別の体験にも使われます。自分の体なのに自分のものという実感がない、話している自分を少し後ろから眺めているようだ、景色に現実味がない――こうした感じ方です。『精神症候学』は、これを先ほどの二番目のうちの前半、自分のものだという感じのほうの変化として位置づけています。
図式的に言えば、向きが逆です。一方は、自分や世界が遠のいていく側の変化。もう一方――この記事が扱っているほう――は、外から何かが及ぼされてくる側の変化です。
両方の言い方が入り混じることもあります。どちらに当てはまるのかを読んで決めていただく必要はなく、決まらないまま相談していただいて差し支えありません。「自分が薄い」「現実感がない」という側の感じ方について詳しくは、解離とは何かにまとめてあります。
「聞こえる」ことと、同じではありません
「考えが吹き込まれてくる」という感じ方は、声として聞こえる体験と同じではありません。耳から、あるいは頭のなかから、はっきりした声が届く体験は、幻聴と呼ばれてきたもので、別に整理されています。ここで扱っているのは、音や声の形をとらないまま、考えそのものが自分発ではないと感じられる、という変化です。両方が同時にある方もいます。声として聞こえる体験のほうを知りたい場合は、幻聴とは?——聞こえ方・本人の体験・周囲ができることをご覧ください。
いま起きていることの「立ち上がり方」
もう一冊、症状学の入門書『精神科シンプトマトロジー』にも、自我障害を扱った章があります。その章が丁寧に書いているのは、順番のほうです。自分の考えが外に伝わってしまうという訴えは、一見、まず自分の考えがあって、それが外へ出ていく順番に見えます。ところがその章は、ある症例の語りに沿って、そうではない読み方を示します。外側で言葉になったのを受け取って、そこで初めて自分が言おうとしていたことを知る――他者のほうが先に来ている、というとらえ方です。
そのうえで、いま目の前で起きていることが「初めて起きたこと」として立ち上がってくる、その立ち上がり方のほうにも変化が及ぶ、と続けます。この体験は、考えの中身ではなく、体験の起こり方そのものの変化として説明されてきたのです。
訴えなくなったからといって、終わったとは限らない
同じ章は、経過が長くなったときの形として、自分のおこないが前もって決められていたものとして受け取られている、という体験も取り上げています。急な時期の体験が前提にしていた、自分の側の力と外からの力との逆らい合いがこの形では失われ、外から決められているのでなければ自分から動くこともできない、という関係になっている――そう説明されています。急な時期の病理とこれとを分けるのは、本人にとって違和感が乏しいことだ、とされています。これは特定の症例の語りをもとにした記述で、経過が長くなれば必ずそうなるとも、訴えが減ったことでこの形だと見分けられるとも書かれていません。
ご家族には「もう困っていないようだ」と見えます。落ち着いてきた様子を疑ってかかる必要はありませんが、訴えが減ったことだけを根拠に、終わったとも終わっていないとも決めないでください。実際にどうなっているかは、診察のなかで確かめていくことです。
病名との関係について
『精神科シンプトマトロジー』の自我障害の章は、統合失調症を中心に据えて論じると、はじめに断ったうえで書かれています。一方の『精神症候学』は、この体験に近い現象を、一つの病気に限らないものとして記述している箇所を持っています。そして、まだ病名がついていない段階では、どの説明が当てはまるかも決まっていません。
ですから、この記事はこの体験と病名を一対一で結びつけませんし、外から見える言葉や様子から背景をたどる道筋もお渡ししません。どの状態にあたるかの判断は、医師が診察のうえで行います。
「病気だとは思えない」「病院に行くほどではない」というところで話が止まってしまう場合は、病識とは?――ある・なしで判定しなくてよい理由で扱っています。受診をどう持ちかけるかという実務のほうは、本人が受診を嫌がるとき、家族はどう動く?にまとめてあります。
すでに診断名を伝えられている場合
すでに診断を受けている場合は、病気ごとの記事があります。統合失調症は統合失調症とはどんな病気かと統合失調症の家族ができること、統合失調感情障害は統合失調感情障害とはと家族が統合失調感情障害と診断されたら、妄想があると説明を受けたときは妄想とは?——家族が否定も肯定もしない接し方をご覧ください。
打ち明けられた側は、どう受け止めるか
否定もせず、話も合わせない、という受け止め方の基本は、幻聴とは?に詳しく書いてあります。ここに書くのは、この体験に固有のところだけです。
第一に、「操っている誰か」の話に付き合わないこと。この体験では、誰が、どうやって、という中身のほうに話が向かいがちです。そこを詰めていくと、事実の確認が延々と続き、出口がなくなります。中身ではなく、その体験のせいで暮らしがどうなっているかのほうへ、話を戻してください。
第二に、「本当にそう感じているの?」と念を押さないこと。念を押されると、次からは黙っておくほうが楽になります。言わなくなることは、無くなることとは違います。 訴えの数を、良くなった・悪くなったの目盛りとして使わないでください。
第三に、この体験は、口に出すと変に思われると考えられがちなものです。話してもらえたのなら、それ自体が信頼の表れだと受け取っていただければと思います。
暴力や、相手からの強い支配のある関係では、ここに書いたことは当てはめず、身の安全の確保を先にしてください。そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。
ご本人へ――言葉にする先は、診察の場です
うまく説明できなくてかまいませんので、診察の場で、感じているままをお話しください。「変な感じがするとしか言えない」で十分です。話せない事情があるときに、無理に言葉にする必要はありません。その事情のほうをご相談ください。何があったのかを話さないままでも受診していただけます。暴力や強い支配のある関係のなかにいる場合も、受診していただけます。相手の方を診察にお連れいただく必要はありません。
受診の目安
次のようなことがあるときは、病名の話をいったん置いて、相談をお考えください。
- 考えが自分のものだと感じられない、考えを入れられる・抜かれるという感じが続いている
- 体が外から動かされる感じがあり、日常の動作がしづらい
- こうした感じ方のせいで、眠れない、食べられない、外に出られない
- 何かをさせられているという感じから、自分の行動を自分で決めにくくなっている
- ご家族が、ご本人の言っていることをどう受け止めればよいか分からず、疲れている――ご家族ご自身の不調についての受診としてご相談いただけます
- 暴力や強い支配のある関係が続いていて、そのなかでこうした感じ方が起きている
「これくらいで」と迷う必要はありません。困っているという事実そのものが、相談してよい理由です。
そして、自分や他の人を傷つけそうな言動があるとき、食事も水分もほとんど取れていないとき、体が固まって動かない・呼びかけに反応がないという状態が現に起きているときは、待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。落ち着いてから読むものとして、カタトニア(緊張病)を家族が知るがあります。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。ご相談は、WEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただく形をとっています。
こうした体験について文章で書きにくい場合は、「気になる感じがある」程度の記載でも差し支えありません。詳しくは診察のなかでお聞きします。
初診の所要時間の目安は、問診を含めて30分程度です。服用中の市販薬やサプリメントも確認しています。通院を始めた場合は、2週間に一度の通院が基本で、再診の所要時間の目安は5分前後です。
ご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族が同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。
なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。
まとめ
させられ体験は、思い込みの強さの話ではなく、その考えや動きが誰のものとして感じられているかという、体験の手前のところで起きる変化として書かれてきました。持ち帰っていただきたいのは二つです。誰が・どうやってという中身ではなく、暮らしがどうなっているかのほうを見ること。訴えの数を良くなった・悪くなったの目盛りにしないこと。どの状態にあたるかの判断は医師が診察のうえで行いますから、うまく説明できないまま、感じているとおりにお話しいただければ十分です。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神症候学[第2版](濱田秀伯)
- 精神科シンプトマトロジー ―症状学入門―(内海健・兼本浩祐 編)
よくある質問
「考えが自分のものでない感じ」と「自分が自分でない感じ」は、同じものですか。
同じ言葉で語られやすいのですが、『精神症候学』はこの二つを別の位置に置いています。片方は、自分の体なのに自分のものという実感が乏しい、遠くから自分を眺めているようだ、という向きの変化です。もう片方は、考えや動きが外から及ぼされている、押し込まれてくる、という向きの変化です。ただし、ご自分の感じ方がどちらに当てはまるのかを、読んで決めていただく必要はありません。両方の言い方が入り混じることもあります。うまく説明できないまま、診察の場で、感じているとおりにお話しいただければ十分です。そのうえで、前者について詳しくは、解離を扱った記事があります。
「考えを操られている」と感じるのは、統合失調症ということですか。
この記事は、この体験と病名を一対一で結びつけません。素材にした2冊のうち、『精神科シンプトマトロジー』の自我障害の章は統合失調症に軸を置いて論じると断って書かれていますが、もう一冊の『精神症候学』のほうは、この体験に近い現象を、一つの病気に限らないものとして記述している箇所を持っています。そして何より、外から見える言葉や様子から背景をたどる道筋を、この記事はお渡ししません。どの状態にあたるかの判断は、医師が診察のうえで行います。ご自分やご家族で当てはめて結論を出す必要はありません。
家族が「頭に考えを入れられている」と言います。否定したほうがよいのでしょうか。
説得して否定する必要も、話を合わせて肯定する必要もありません。受け止め方そのものは、幻聴を扱った記事に詳しく書いています。この体験に固有のところを挙げるなら、誰が、どうやって、という中身のほうに話が向かいがちだという点です。そこを詰めていくと事実の確認が延々と続くので、中身ではなく、その体験のせいで暮らしがどうなっているかのほうへ話を戻してください。念を押して確かめることもしないでください。言わなくなることは、無くなることとは違います。なお、暴力や、怒鳴る・脅す・お金を握る・病気を持ち出して従わせるという形の強い支配のある関係では、この記事の話をどれも当てはめず、身の安全の確保を先にしてください。
以前は「操られている」と訴えていたのに、いまは言わなくなりました。よくなったということですか。
訴えの増減だけで決めることはできません。『精神科シンプトマトロジー』の自我障害の章は、統合失調症に軸を置いて論じると断ったうえで、経過が長くなったときの形として、自分のおこないが前もって決められていたものとして受け取られている、という体験を取り上げています。急な時期の体験は、自分の側の力と外からの力とが逆らい合う関係を前提にしていますが、この形ではその逆らい合いのほうが失われる、と説明されます。急な時期の病理とこれとを分けるのは、本人にとって違和感が乏しいことだ、とされています。ただし、これは特定の症例の語りをもとにした記述で、経過が長くなれば必ずそうなると書かれているわけではありません。訴えが前に出てこなくなることをもってこの形だと見分けられる、とも書かれていません。訴えが減った理由も、いまどうなっているかも、診察のなかで確かめていくことです。落ち着いてきた様子を疑ってかかってください、という意味ではありません。
本人が受診したがりません。家族だけで先に相談できますか。
当院ではご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族が同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。