はじめに
「気づいたら時間が経っていて、その間のことをよく覚えていない」 「人と話している自分を、少し離れたところから眺めているような感じがする」 「目の前のことが、なんだか現実ではないように思える」
こうした感覚に、戸惑ったり、不安になったりした経験はありませんか。「自分はおかしいのではないか」「人に言ったら変だと思われるのではないか」——そう考えて、ひとりで抱えこんでいる方もいるかもしれません。
これらは「解離(かいり)」と呼ばれる現象に関係していることがあります。解離と聞くと、「多重人格」のような特殊なものを思い浮かべて身構えてしまう方もいるでしょう。けれども実際には、解離はもっと身近な現象で、しかも「心を守るためのよくできたしくみ」として起こっているものです。けっして、あなただけに起こる異常なことではありません。
この記事では、解離とはどのような状態なのか、なぜ起こるのか、自傷とのつながり、そして「症状」として困りごとになる境目、周囲の方ができることまでを、できるだけやさしく整理してお伝えします。読み終えるころには、解離を「おかしなこと」ではなく「理由のある反応」として、少し落ち着いて見つめられるようになることを願っています。
解離とは「意識のつながり」が切り離されること
解離とは、ひとことで言えば、意識の連続性や統合性が一時的に断たれる状態のことです。少しかみくだくと、ふだんは一本の線のようにつながっている「気づき・感覚・記憶」のつながりが、部分的に途切れる、ということです。
精神医学では、解離を「意識・記憶・自分らしさの感覚・まわりの知覚といった、ふだんはひとつにまとまっている機能のつながりが乱れること」と説明します。その現れ方はとても幅広く、たとえば次のようなものがあります。
- 「自分を外から見ている」ように感じる(離人感)
- まわりに現実感がなく、膜が一枚あるように感じる(現実感消失)
- ぼうっとして、その場にいる感覚が薄くなる
- 逆に、うしろや扉の向こうに人がいると強く感じる。「見られている」感じがする
- ある時間のことを「よく覚えていない」「まったく記憶にない」(解離性の健忘)
- 気づいたら知らない場所まで移動していた
- いわゆる「多重人格」と呼ばれる状態(医学的には解離性同一性障害といいます)
大切なのは、これらが地続きの「程度の違い」だということです。日常のなかにも、ごく軽い解離に似た体験はたくさんあります。疲れているときに考えごとをしていて、駅をひとつ乗り過ごしてしまった。本や映画に没頭して、名前を呼ばれても気づかなかった。通い慣れた道を運転していて、途中の道のりをほとんど覚えていなかった——こうした「没入」や「うわの空」は、多くの人が経験しているはずです。つまり解離そのものは、特別な人だけに起こる現象ではないのです。
問題になるのはその延長線上で、切り離しの程度が強くなったり、本人の意図と関係なく起こるようになったりしたときです。次の節では、なかでも戸惑いやすい「離人感」を、もう少し具体的に見てみましょう。
「自分が自分でない感じ」——離人感・現実感消失の感じ方
離人感(りじんかん)は、解離のなかでも特に言葉にしにくく、「こんな感覚は自分だけではないか」と不安になりやすい症状です。たとえば、次のような言い方で語られます。
- 自分が自分でない感じがする。自分の体なのに、自分のものという実感がない
- 話したり動いたりしている自分を、少し後ろから眺めているようだ
- 景色がベールや曇りガラスの向こうにあるようで、現実味がない
- うれしいはずなのに、悲しいはずなのに、感情がついてこない。心が空っぽな感じがする
- 時間の流れがおかしい。さっきのことが遠い昔のように感じる
このうち、自分自身についての違和感を「離人感」、外の世界についての違和感を「現実感消失」と呼び分けることがありますが、両方が同時に起こることも多い、近い関係の体験です。
ここでひとつ、安心していただきたい大切な特徴があります。離人感のある方は、「変な感じがする。でも、実際に世界が変わったわけではないと自分でも分かっている」というように、冷静に見ている自分が保たれていることがほとんどです。感じ方が変わったことに自分で気づき、それを苦痛に思っている——この「気づいている自分」がいること自体が、離人感の特徴なのです。「現実が分からなくなってしまったのではないか」「重い精神の病気になったのではないか」と怖くなる方が多いのですが、離人感そのものは、現実の判断がつかなくなっている状態とは異なると考えられています。ただし、感じ方の背景に何があるかは人によって違いますので、気になるときは医師と一緒に整理していきましょう。
なお、「多重人格」と聞くと「本当に別人になる」というイメージを持たれがちですが、その本質は、あまりにつらい記憶を抱えた部分を意識から切り離すことにあります。別の人間に入れ替わるわけではなく、心を守るために意識を部分的に切り分けている、と理解するとわかりやすいでしょう。医学的にも、かつての「多重人格」という呼び名は「解離性同一性障害」へと改められています。病態の中心が「複数の人格」ではなく「解離」にある、という理解が進んだためです。
もう一方の向き——気配や視線が強く迫ってくるとき
前の節で見た離人感は、いわば自分から遠ざかっていく方向の変化です。ところが解離には、これと逆を向いた現れ方もあります。
解離を論じた症候学の章では、切り離しのしかたをまず二つに分けています。自分という感じが保たれたまま切り離される形と、自分という感じそのものが破れてしまう形です。前の節で見た離人感は前者にあたり、次の節で扱う記憶の抜けと、さきに触れたいわゆる多重人格と呼ばれる状態は後者にあたります。
そして前者——自分という感じが保たれている側——は、さらに二つの向きに分けられます。一方は、自分や周りを離れたところから眺めている側で、離人感がこれにあたります。もう一方は、その場にいる自分の側に踏みとどまったまま、外からの刺激が強く迫ってくる側です。たとえば、こんなかたちをとります。
- 部屋のなかや窓の外、扉の向こう、自分のうしろなどに人がいると強く感じる。「見られている」という感じがついて回る
- 出かけたときに、向かいから歩いてくる人が怖い。何かされるのではないかという感じがわいてくる
- 音が耐えられないほどこたえる
- 考えの断片が頭のなかにあふれる。体がこわばることもあります(フラッシュバックも、この仲間に入るものとされています。フラッシュバックそのものへの対処はフラッシュバックへの対処 「今・ここ」に戻るための工夫にまとめています)
この記事でとくにお伝えしたいのは、この二つの向きが同じ人のなかで入れ替わるということです。自分から遠ざかっている時期と、気配や視線が刺すように感じられる時期とが、行き来することはよくあると書かれています。別の病気が二つあるのではなく、ひとつの解離が向きを変えて現れている。この記事ではそう捉えています。
「人の気配を感じる」と書くと、心配になる方がいるかもしれません。症候学の章がここで丁寧に断っているのは、こうした感じ方が「そうとしか考えられない」というほどの、動かしがたい確信にまでは進まないのがふつうだという点です。強く感じられていても、人に説明されても揺らがないほど信じこんでしまうわけではない——その違いが書き分けられています。
ただ、これは「ふつうはこうだ」という説明にすぎません。「たしかに誰かがいる」と感じている場合でも、困っているという事実は変わりませんし、相談していただく理由としては十分です。感じているままをお話しいただければ大丈夫です。
なお、音や光がこたえるという訴えは、生まれもった感覚の敏感さ(発達特性)からも起こります。上に挙げたのは解離の側の現れ方ですが、同じ言葉で語られていても背景は違います。うまく説明できなくても構いませんので、そのままお伝えください。感覚の敏感さそのものについてはASDの感覚過敏とは?音・光・においがつらい大人の特性と日常の工夫をご覧ください。
「記憶がない」にも幅がある
解離による記憶の抜け(健忘)にも、幅があります。多いのは、強いストレスがかかった特定の時間帯や出来事の記憶があいまいになる形です。まれに、自分の名前や生い立ちを含む生活史の記憶を広く思い出せなくなることもありますが、その場合でも、読み書きや日常動作など身につけた知識・技能は保たれるのが特徴で、多くは時間とともに回復に向かうとされています。
一方で、突然の記憶障害には、てんかんや頭部外傷、脳や体の病気など、心理的な要因以外の原因が隠れていることもあります。「急に記憶が飛んだ」「同じ質問を繰り返していたと言われた」といった場合は、解離と決めつけず、体の面も含めた医療機関での評価を受けることが大切です。
声が聞こえる・影が見える——「重い病気になったのでは」と怖くなったとき
解離では——とくに、いわゆる多重人格(解離性同一性障害)と呼ばれる形では——声が聞こえる、影が見えるという体験が加わることがあります。症候学の章は、そうした症例は多いと書いています。ここまで読んで「それはもっと重い病気の症状ではないのか」と怖くなった方もいるかもしれません。この点についてまとまった記述があるので紹介します。
そこに書かれているのは、次のようなことです。聞こえる声は、自分を否定する言葉として語られることもあれば、何かをするよう促す言葉として語られることもある。いずれも、声の主が何を言おうとしているのかが比較的はっきりしている。頭のうちから響いてくると語られるのがふつうで、外から聞こえるという場合も、耳のあたりや自分のうしろというように近い場所を指す。見えるものは黒い影や人の形が多く、目の前を何かが横切った、うしろに人がいる、という語られ方をする。壁や物が自分に迫ってくる、あるいは遠ざかっていくように感じることも多い。
そのうえで押さえておきたいのは、こうした体験が「外の世界で実際に起きていることではない」という見方が保たれているという点です。声が聞こえていても、影が見えていても、それが現実の出来事とは違うという判断は保たれている、と書かれています。
ここで先にお伝えしておきます。確信の度合いがどうであっても、困っているという事実は変わりません。「はっきり信じこんでいるわけではないから相談しなくてよい」ということでも、「信じてしまっているから手遅れだ」ということでもありません。どちらの場合も、感じているままをお話しいただければ大丈夫です。
そして、自分や誰かを傷つけるようにと促す声が聞こえるときは、様子を見ないでください。 主治医に連絡するか、差し迫っているときは救急(119)に連絡してください。
統合失調症でも声が聞こえることがあるため、ここが気になる方は多いと思います。症候学の章はいくつかの見分けの手がかりを挙げていますが、それは診察のなかで医師が確かめていく観点です。ご自分で当てはめて結論を出す必要はありません。どの状態にあたるかの判断は、医師が診察のうえで行います。 声の聞こえ方についてもう少し知りたい場合は、幻聴とは?——聞こえ方・本人の体験・周囲ができることをご覧ください。
なぜ解離は起こるのか 「逃げられない苦痛」からの避難
解離には、もともと意味があります。それは、あまりにもつらい状況に置かれ、しかも物理的にその場から逃げ出すことができないときに、「精神的にその場を離れる」という役割です。
体ごと逃げられないなら、せめて心だけでもその場から距離をとる。「これ以上ここにとどまったら、自分がもたない」という極限の状況で、心が自分を守るために働かせるのが解離です。そう考えると、解離は心の弱さではなく、むしろ追いつめられた状況を生きのびるための、よくできた防御反応だと言えます。
人の心と体には、危険から自分を守るためのさまざまなしくみがそなわっています。解離も、そのひとつです。逃げ場のない苦痛のなかで心を守ろうとした結果として起こるものであり、本来は「あなたを助けようとして」働いているのです。
繰り返すつらさのなかで、解離が「上手」になっていく
ここで知っておきたいのが、虐待などのように、つらい体験が逃げられない状況で長く繰り返される場合です。
このようなとき、心は何度も解離を使って自分を守ろうとします。すると、解離をすることがだんだん「上手」になっていきます。やがて、強い苦しさを感じると、ほとんど自動的に、本人が意図しないうちに解離が起こるようになることがあります。
これは、つらい環境を生きのびるために身につけた、いわば自己防御の力です。その状況のなかでは、心を守るために必要だったしくみなのです。ですから、解離が起こること自体を「だめなこと」と決めつける必要はありません。
自傷との関係 「痛みたい」のではなく「心の痛みを忘れたい」
解離を理解すると、自傷についても見方が変わってきます。
自傷というと、「痛みを感じたいのだろう」と受け取られがちです。けれども実際には、その多くは「痛みたいから」ではなく、「ぼうっとして、心の痛みを忘れたいから」という理由で起こると言われています。圧倒されるほどのつらい感情から、ほんのひととき逃れようとする試み——つまり、解離を起こすためのきっかけづくりという意味を持つことが少なくありません。
このことを知っておくと、関わり方が変わります。事情を知らずに「自分を傷つけるのはやめなさい」とだけ伝えても、本人には届きにくいものです。むしろ「つらさをわかってもらえない」と感じさせ、孤立を深めてしまうことすらあります。背景にある「逃れたいほどのつらさ」に目を向けることが、最初の一歩になります。
なお、声が聞こえる、心のなかに別の存在を感じるといった現れ方を伴うこともあります。こうした「声」や心の一部分について、近年の心理療法の分野では、それを恐れて取り除こうとするのではなく、耳を傾け、その役割や訴えを理解しようとする視点が大切にされてきています。これも、解離を「敵」ではなく「意味のある反応」として見る考え方につながるものです。
どこからが「症状」なのか 生活に支障が出る境目
ここまで読むと、「解離が防御反応なら、そのままにしておいてよいのだろうか」と迷われるかもしれません。境目は、いまの生活に合っているかどうかにあります。
本当に危険な状況のなかでなら、解離は自分を守る役に立ちます。問題になるのは、危険が去った後の、安全な日常生活でも解離が起こるようになったときです。ちょっとしたストレスを感じるたびにぼうっとしてしまう、気づくと時間が飛んでいる、大事な場面の記憶が抜けてしまう——こうしたことが続けば、仕事や勉強、人とのつき合いに支障が出てきます。安全なはずの日常で解離が出て、生活に困りごとが生じるようになったとき、それは「症状」として手当てを考える段階に入ります。
たとえるなら、もう戦いは終わって平和な時代が来ているのに、心と体だけがまだ「戦時下」のままで動き続けている状態に近いものです。かつては必要だった守りのしくみが、いまの安全な環境では合わなくなり、かえって生活を狭めてしまうのです。
ここで大切なのは、これは「気のもちよう」で消せるものではない、ということです。自動的に起こる解離を、本人の意志だけで止めるのは難しいものです。だからこそ、ひとりで何とかしようと抱えこまず、相談していただきたいのです。どこからが治療を考える段階かの判断は、医師が行います。
そして、もう一つ大事なお断りがあります。いまも暴力を受けている、あるいは強く支配される関係や環境が続いているという場合、この「境目」の話は当てはまりません。 危険がまだ去っていないのですから、「安全な日常なのに解離が出る」という条件で考える必要はありません。解離が起きていること自体より、その状況のほうを先にご相談ください。解離への手当てが不要になるわけでもありません。どちらもご相談いただけます。身の危険が差し迫っているときは、ためらわず救急(119)に連絡してください。
その場でできる工夫 「いま・ここ」に感覚を戻すグラウンディング
ぼうっとしてきた、現実感が薄れてきた——そんなときに、その場でできる一般的な対処として「グラウンディング」と呼ばれる方法が知られています。地面(ground)に足をつけるように、注意を「いま・ここ」の五感に戻す工夫です。
- 足の裏が床に触れている感覚に注意を向ける。足踏みをしてみる
- 冷たい水で手を洗う、冷たいペットボトルを握るなど、はっきりした感覚を使う
- 目に見えるものを5つ、聞こえる音を4つ、触れられるものを3つ……と順に挙げていく
- 「今日は〇月〇日、ここは〇〇、私は〇〇」と、いまの状況を声に出して確認する
- ゆっくり息を吐くことから始めて、呼吸のペースを整える
コツは、解離と正面から闘おうとしないことです。「消さなければ」と焦って力むほど、かえって症状にとらわれてしまうことがあります。「また心が守りに入ったんだな」と受け止めて、五感を手がかりにゆっくり戻ってくる——そんなイメージで、余裕のあるときに練習しておくと、いざというとき使いやすくなります。
また、解離は睡眠不足や疲労、強いストレスが重なったときに起こりやすくなります。睡眠と休息を確保することは、地味に見えて大切な土台です。なお、これらはあくまで一般的なセルフケアの範囲であり、それだけで対応しきれないつらさがあるときは、無理をせず医師に相談してください。
周囲の人ができること 無理をさせず、安心を届ける
ご家族や身近な方が、解離に気づいてあげられることもあります。会話の途中で急にぼうっとしている、話が入っていないように見える、それまでと雰囲気が変わって反応が薄い——こうしたときは、強い負荷がかかって解離している可能性があります。
そんなときにいちばん大切なのは、無理をさせないことと、安心を届けることです。解離は、対処しきれないほどの感情的な負荷がかかったときに起こります。ですから、問い詰めたり、急いで答えを求めたりするのは逆効果になりがちです。負荷を減らし、「ここは安全だ」と感じてもらうことが、もっとも適切な関わりになります。
具体的には、次のようなことを意識してみてください。
- 「しっかりして」と急かさず、まず落ち着ける状況をつくる
- 一度にたくさんのことを聞かず、ゆっくり待つ
- 「答えなくて大丈夫だよ」「ここにいるよ」と、安心を言葉にして伝える
- 落ち着いてから、「よかったら、どう感じたか教えてね」と気持ちをたずねる
「たいしたことがなさそうだから」と軽く受け流してしまうと、本人の困りごとを見落としてしまうことがあります。様子がいつもと違うと感じたら、そっと気持ちにふれてみることを大切にしてください。
受診の目安
以下に当てはまるものがあれば、一度ご相談ください。
- 危険のない日常でも、ぼうっとして記憶が飛ぶことが繰り返し起こる
- 大事な場面の記憶が抜けてしまい、生活や仕事に支障が出ている
- 「自分を外から見ている」「現実感がない」感覚が続いてつらい
- 「うしろに人がいる」「見られている」という感じが強く、外出や家での時間がつらい
- 声が聞こえる、影が見えることがあり、自分でも戸惑っている
- いまも暴力を受けている、強く支配される関係が続いていて、そのなかで上のような感じ方が起きている
- つらさから逃れるために自傷をしてしまうことがある
- 過去のつらい体験と、いまの「ぼうっとする」「記憶がない」がつながっているように感じる
- ご家族など身近な人が、急にぼうっとする・反応が薄くなることが増えて心配
「これくらいで受診してよいのだろうか」と迷う必要はありません。困っているという事実そのものが、相談してよい理由です。
診察では、どんな場面で起こりやすいか、どのくらい続くか、その間の記憶はどうか、睡眠や疲労の状態、飲んでいる薬などをうかがいながら、体の要因も含めて一緒に整理していきます。うまく言葉にできなくても大丈夫です。「自分でもうまく説明できない変な感じがある」と、そのまま伝えていただければ十分です。
なお、突然の激しい記憶障害や、意識がもうろうとする状態、けいれんなどを伴う場合は、心の問題と決めつけず早めに医療機関を受診してください。また、自分や誰かを傷つけるようにと促す声が聞こえるとき、自傷の衝動が抑えられないときも、様子を見ないでください。 主治医に連絡するか、差し迫っているときは救急(119)に連絡してください。
まとめ
解離は、「多重人格=特殊なこと」という偏見でとらえられがちですが、その本質は、逃げられない苦痛から心を守るためのよくできた防御反応です。つらい体験が繰り返されると解離は自動的に起こるようになり、自傷の多くも「痛みたい」のではなく「心の痛みを忘れたい」ために行われます。危険のない日常で解離が出て生活に支障が生じたとき——そこが、手当てを考える境目です。ただし、いまも暴力を受けている、強く支配される関係が続いているという場合は、この「境目」の話は当てはまりません。 その状況のほうを先にご相談ください。
現れ方は一つではありません。症候学の章では、自分という感じが保たれたまま切り離される形について、自分を離れたところから眺めている向きと、気配や視線が強く迫ってくる向きの二つが挙げられており、この二つは同じ人のなかで入れ替わることがよくあるとされています。これとは別に、解離では声が聞こえる、影が見えるということもありますが、そのときも「外で実際に起きていることではない」という見方は保たれていると書かれています。確信の度合いがどうであっても、困っている事実は変わりません。似た訴えは別の病気でも起こりますので、どの状態にあたるかの判断は医師が診察のうえで行います。
ふだんから睡眠と休息を整え、ぼうっとしてきたときはグラウンディングで「いま・ここ」の感覚に戻る——こうした一般的な工夫も助けになります。周囲の方は、ぼうっとした様子に気づいたら、無理をさせず、安心を届けることを大切にしてください。そして、ご自身がつらいときは、ひとりで抱えこまずに頼ってよいのです。解離はあなたを守ろうとしてきたしくみであり、安全を取り戻していくなかで、心は少しずつ落ち着きを取り戻していけます。診断や今後の進め方は医師が一緒に考えますので、気になることがあれば、どうぞお気軽にご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD
- 精神科診療におけるたとえ話の効用
- 精神症候学
- 精神科シンプトマトロジー
- 対話で学ぶ精神症状の診かた
- 知っておきたい稀な精神症候・症候群
よくある質問
解離があると「多重人格」ということですか?
いいえ、必ずしもそうではありません。解離は「ぼうっとする」「現実感がない」「記憶があいまい」といった軽いものから、いわゆる多重人格と呼ばれる状態まで、幅の広い現象です。多くの方が経験するのは軽い段階のもので、特殊なことではありません。診断は医師が行います。
自傷をしてしまうのは、痛みを感じたいからですか?
「痛みたい」というより、「ぼうっとして心の痛みを忘れたい」という理由のことが多いと言われています。つらい感情からひととき逃れようとする試みであることが少なくありません。責めるより、背景にあるつらさに目を向けることが大切です。
家族がぼうっとして反応が薄いとき、どうすればいいですか?
強い負荷がかかって解離している可能性があります。無理に話を続けさせたり問い詰めたりせず、まずは安心できる状況をつくってあげてください。落ち着いてから、よければ気持ちを聞かせてね、と伝えるくらいがちょうどよいことが多いです。
「うしろに人の気配がする」「影が見える」というのも解離と関係がありますか?
関係していることがあります。解離を論じた症候学の章では、自分という感じが保たれたまま切り離される形について、自分から遠ざかっていく向きと、逆に外からの刺激が強く迫ってくる向きの二つが挙げられており、気配や視線を強く感じるのは後者にあたります。また、これとは別に、解離では声が聞こえたり影が見えたりすることもありますが、その場合も「実際に起きていることではない」という見方は保たれていると書かれています。ただし、確信の度合いがどうであっても、困っているという事実は変わりません。似た訴えは別の病気でも起こりますので、どの状態にあたるかの判断は医師が診察のうえで行います。
解離は治るのでしょうか?
解離はもともと意味のある反応なので、「悪いものを消す」というより、安全を実感しながら少しずつ折り合っていくものだと考えると分かりやすいです。時間はかかることもありますが、ご自分のペースで前に進んでいけます。経過や対応は人によって違うため、医師と相談しながら進めます。