はじめに
夜、布団に入って目を閉じたとたん、昔の場面が急に浮かんでくる。頭では「あれはもう終わったことだ」と分かっているのに、体は勝手に張りつめていく。何かした方がいいのは分かる。でも、こういうとき何をどの順番でやればいいのか、肝心の順番が思い出せない——。
そんなときは、順番を自分で思い出そうとせず、AI(ChatGPTなどの対話型AI)に持ってもらう方法があります。AIには、「今・ここ」へ戻るための手順を一つずつ出してもらいます。つらい記憶の中身を話す必要はありません。AIを使う理由は2つ——順番を覚えておいてくれることと、必要なときに一問ずつ進めてくれることです。自宅の布団の中から使えて、夜中でも応じてくれて、途中でやめても誰にも気兼ねがいらない、というのも道具として好都合です。
この連載(全5回)では、コピーして貼り付けるだけで使えるプロンプト(AIへの指示文)を毎回用意します。文章を打つ必要はなく、マイクボタンを押して話すだけで使えます。第1回の今日は、先に「戻ってこられる足場」を作ります。そのためのプロンプトが2つです。
- 今すでに嫌な記憶に引っ張られていてつらい → プロンプト1(その場で、戻る順番を出してもらう)
- 今日は比較的落ち着いていて、今後のために準備したい → プロンプト2(あとで戻れる場所を作っておく)
使う前の約束事
- 調子が大きく崩れているときは使いません。 消えてしまいたい気持ちや、自分や誰かを傷つけそうな考え、周囲には聞こえない声が聞こえるようなときは主治医へ連絡し(未受診の方は医療機関の受診をご検討ください)、命に関わる切迫した状況では救急(119)を利用してください。
- AIは主治医や救急へ自動で連絡しません。
- 個人を特定できる情報は入力しません。 氏名や住所、勤務先・学校名は「上司A」「会社X」のように置き換えます。
- AIに診断や薬の判断を求めません。 AIは答えを間違うことも、指示どおりに動かないこともあります。使ってつらさが増したら、そこで中止してください。
プロンプト1:苦しいとき、その場で「戻る順番」を出してもらう
使うのは、たとえばこんなときです。嫌な場面が急に浮かんで、頭では今の部屋にいると分かっているのに、体だけが昔の出来事の中へ引き戻されたように感じるとき。こうした瞬間に意識を現在へつなぎ直す工夫は「グラウンディング」と呼ばれることもあります(詳しい解説はフラッシュバックへの対処にあります)。下のプロンプトを貼り付ければ、AIが一歩ずつ声をかけながら先導してくれます。
今から、意識を「今・ここ」に戻す練習(グラウンディング)に付き合ってください。進め方: まず「今のつらさは0〜100でどれくらいですか」と聞いてください。 そのあと、次の順に1つずつ、短い文で声をかけ、私の返事を待ってから次へ進んでください。 (1) 目に見えるものを5つ、口に出して挙げる (2) 聞こえる音を3つ挙げる (3) 手で触れられるものを1つ選び、その手ざわりや温度を言葉にする (4) 息をゆっくり長く吐く(2回) (5) 今日の日付と、今いる場所を口に出す 終わったら、もう一度つらさを0〜100で聞いてください。数字が下がっていたら、そこで終えてください。下がっていなければ、「冷たい水で手を洗う」「立ち上がって少し歩く」のように体を使う方法を1つだけ提案し、続きは主治医に相談するよう勧めて終えてください。
守ってほしいこと: つらい記憶の中身については聞かないでください。私が過去の出来事の話を始めたら、「その話はここでは扱わず、診察で主治医に話してください」と伝えて、今の感覚の確認に戻ってください。 全体で10分以内。私はいつでも途中でやめて構いません。 氏名・住所・勤務先や学校の名前が出たら「上司A」「会社X」のように置き換えてください。 もし私の話に、消えてしまいたい気持ちや、自分や誰かを傷つけたくなるような内容が出てきたら、それ以上は続けず、主治医に相談するよう私に勧めて、この練習を終えてください。
実際に使うと、こんな10分になります
AI: 今のつらさは、0〜100でどれくらいですか
あなた: 80くらい
AI: わかりました。では、今いる場所で目に見えるものを5つ、口に出して挙げてみてください
あなた: カーテン、時計、コップ、リモコン、窓の外の木
AI: いいですね。次は、耳をすませて、聞こえる音を3つ探してみましょう
あなた: エアコンの音、外を走る車、冷蔵庫のうなる音
AI: よく聞こえていますね。今度は、手で触れられるものを1つ選んで、その手ざわりや温度を言葉にしてみてください
あなた: 毛布。ふわふわしていて、少しあたたかい
AI: では、息をゆっくり、長く吐いてみましょう。2回どうぞ
あなた: ……はい、できました
AI: 最後に、今日の日付と、今いる場所を口に出してみてください
あなた: 今日は8月9日。ここは自分の部屋
AI: ありがとうございます。もう一度、今のつらさを0〜100で教えてください
あなた: 65くらい
80が65。それで十分です。記憶が消えたわけではありません。それでも、さっきまで昔の出来事の中に引き込まれていた注意が、「今日は8月9日で、ここは自分の部屋だ」という現在まで戻ってきています。それだけのこと——そして、その「それだけ」が足場になります。
これは数字を下げる試験ではなく、現在へ注意を戻す練習です。数字が下がらない日があっても失敗ではなく、その日の苦しさが、その場の工夫だけで抱えるには大きかったというだけのことです。
プロンプト2:穏やかな日に、「安心できる場所」を作っておく
プロンプト1が「苦しくなったときに使う道具」なら、プロンプト2は「比較的穏やかな日に作っておく道具」です。思い浮かべるだけで心が少し緩む場所——実在してもしなくても構いません。子どものころの祖父母の家、旅行で見た海辺、物語の中の風景。AIには、見えるもの、音、温度——と一問ずつ尋ねて、ぼんやりした「なんとなく好きな場所」を、細部まで思い浮かべられる具体的な場所に変えていく質問役をやってもらいます。
これから「安心できる場所」を思い浮かべる練習をします。質問役として伴走してください。進め方: まず「実在するかどうかは問いません。思い浮かべると心が少し緩む場所はありますか。つらい出来事と結びついた場所は選ばないでください」と聞いてください。 場所が決まったら、そこで見えるもの・聞こえる音・におい・肌に感じる温度や感触を、1回に1つずつ質問して、私が自分の言葉で描写するのを手伝ってください。 途中で1回、「今の心地よさは0〜100でどれくらいですか」と確認してください。嫌な感じが混ざってきたと私が言ったら、その場所にはこだわらず、別の場所に変えるか、目を開けて今いる部屋にあるものを3つ数える方に切り替えてください。 最後に、その場所を短い呼び名(「あの浜辺」など)で呼べるように一緒に決めて、「今日の日付と、今いる場所」を私に口に出させて終えてください。全体で10分ほど。
守ってほしいこと: つらい記憶の中身については聞かないでください。私が過去の出来事の話を始めたら、「その話はここでは扱わず、診察で主治医に話してください」と伝えて、場所の描写に戻ってください。 私はいつでも途中でやめて構いません。 氏名・住所・勤務先や学校の名前が出たら「上司A」「会社X」のように置き換えてください。 もし私の話に、消えてしまいたい気持ちなど深刻な内容が出てきたら、それ以上は続けず、主治医に相談するよう私に勧めて、この練習を終えてください。
こちらの10分は、こんな流れです
AI: 実在するかどうかは問いません。思い浮かべると心が少し緩む場所はありますか。つらい出来事と結びついた場所は選ばないでください
あなた: 夕方の浜辺かな。昔、旅行で行ったところ
AI: いいですね。その浜辺で、目に入るものを1つ教えてください
あなた: オレンジ色の空。海が少しずつ暗くなりはじめてる
AI: どんな音が聞こえますか
あなた: 波の音。ゆっくり寄せては返す感じ
AI: 肌には何を感じますか。温度や、足の感触など
あなた: 足の裏に砂。風は少しあたたかい
AI: ここまでで、今の心地よさは0〜100でどれくらいですか
あなた: 65くらい。始める前より、景色の輪郭がはっきりしてきた気がする
AI: では、この場所をあとから短い言葉で呼び戻せるように、呼び名を決めましょう
あなた: 「夕方の浜辺」で
AI: 最後に、今日の日付と、今いる場所を口に出してみてください
あなた: 今日は8月9日。ここは自分の部屋
10分話したあとに残るのは、この程度のメモで十分です。
- 場所:夕方の浜辺
- 見えるもの:オレンジ色の空と、暗くなりはじめた海
- 音:ゆっくり寄せては返す波
- 感触:足の裏の砂
- 温度:少しあたたかい風
- 呼び名:「夕方の浜辺」
使い方はこうです。夜、少し気が張っている。「夕方の浜辺」と呼び名を思い出す。波の音、足の裏の砂、あたたかい風——と一つずつ思い出してみる。しっくりこない日は、無理に使わなくて構いません。嫌な感覚が混ざってきたときの切り替えはプロンプトに入れてあるので、合わないと感じたらプロンプト1のグラウンディングだけ使うのでも十分です。
この連載の地図
この連載では、今日作った2つの道具を土台に、少しずつ先へ進みます。
- 安全の土台づくり——「今・ここ」に戻る練習と、安心できる場所(この記事)
- 引き金(トリガー)と避けているものを、記録して眺める
- つらい記憶について、安全な枠の中で話してみる
- 「自分が悪かった」という考えを、AIと一緒に眺める
- 回復の道のりと、専門治療・診察の活用
第2回へ急ぐ必要はありません。目安は日数ではなく手応えです。AIの質問に一問ずつならついていける。合わないと感じたとき、自分で途中で止められる。終わったあと、ふだんの行動に戻れる——どれか一つに手応えがあれば十分です。
まとめ
今日持ち帰るのは2つです。
- 苦しくなったときに「今・ここ」へ戻る順番を、AIに持ってもらう
- 穏やかな日に、思い浮かべるだけで心が緩む「安心できる場所」を作っておく
つらい記憶に触れるのは、まだ先です。まず、戻ってこられる足場を作る——それがこの連載の最初の一歩です。工夫を重ねてもつらさが続くときは、そのこと自体を主治医に伝えてください。
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参考にした資料(考え方を参考にした要約・再構成で、原文や特定の治療プログラムの手順の転載ではありません。2つのプロンプトも、これらを参考にこの記事のために組み立てたものです):
- 対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD(水島広子、創元社、2011年)
- 心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド:PFA)フィールド・ガイド(WHO・War Trauma Foundation・World Vision International、2011年。日本語版 2012年)
- PTSD初期対応マニュアル(日本トラウマティック・ストレス学会、2013年)