福岡県春日市須玖北4丁目34 2階
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はじめに

近年、医療や福祉の現場でトラウマインフォームドケアという言葉を見聞きする機会が増えました。英語では trauma-informed care、略して TIC と呼ばれます。

名前から「トラウマを治す方法」と思われがちですが、そうではありません。専門書ははっきりと区別しています。トラウマそのものを標的にした認知行動療法のような直接の治療法ではなく、いま支援を必要としている人について、その人にもトラウマがあるかもしれないという見方を手放さずにいること。そのうえで、トラウマに配慮したかかわりを組み立てていくこと――それがこの考え方の中心にあります。

この記事は、医療情報の紹介としてお読みください。当院でトラウマの専門治療を行っているというご案内ではありません。

なお、つらさが差し迫っていると感じられるときは、読み進める前に、救急(119)または通院中の主治医にご連絡ください。

トラウマそのものについては、トラウマとは何か複雑性PTSDとは逆境的小児期体験(ACE)で扱っています。

なぜこの考え方が生まれたのか

TICは、1990年代のアメリカを中心に育ってきた考え方です。きっかけになったのは、ひとつの気づきだったと説明されています。

精神医療や保健福祉を必要としている人、物質関連の問題で司法の介入を受けている人、住まいを失っている人――そうした人たちのなかに、子ども期の虐待をはじめとする逆境体験や、暴力・性被害などの経験を持つ人が非常に多いことが分かってきたのです。

そしてもうひとつ。表に出ている問題だけを見て手を打つやり方は、成果が上がらないどころか、その人を改めて傷つけてしまいかねない――この理解が進んだことが、大きな推進力になったとされています。

「誰が抱えているかは、一見しただけでは分からない」

ここが、この考え方のもっとも特徴的な部分だと思います。

専門書は率直にこう書いています。いろいろな困りごとを持って診察に来る方について、その誰にトラウマの背景があり誰にないのか、この配慮をどなたに向ければよいのかは、外から見ただけでは判別できない

だからどうするか。ひとまず、受診する人は誰もがトラウマを抱えているものとみなし、その人を再び傷つけない形の医療を届ける――それが最善の策だとされています。

これは選別をやめる、という発想です。「この人はトラウマがありそうだから丁寧に」ではなく、区別せずに全員に対して同じ配慮を置く。

そして専門書は結びで、この考え方は誰にでも当てはまる支援であり、トラウマの経験がない人にとっても有用だと述べています。

なお、こうした経験が打ち明けられにくい理由も挙げられています。恥の気持ち、人を信じられなさ、そして自分を責める気持ちです。打ち明けない人も少なくない、と書かれています。

基本原則として挙げられているもの

米国で行われた大規模な多施設研究から、基本となる原則が抽出されています。そのうち専門書が紹介している6つを、順に見ていきます。

1. トラウマがもたらす影響に気づく

見えにくい影響を捉えるには、トラウマについての一般的な知識と、その症状が日常生活のなかでどう現れるかの理解が欠かせないとされています。そのため、組織として全職員に繰り返し研修を提供することが有益だと述べられています。個人の心がけではなく、組織の仕組みとして扱われている点が特徴です。

2. 回復を主要な目標に置く

複数の状態が重なっていることが多いため、それぞれを切り離して扱ったり、一つずつ順に片づけたりするのではなく、まとめて一体のものとして扱うことが必要とされています。

その際に使われるのが「トラウマの三角形」と呼ばれる図です。過去のトラウマ、現在の症状、そして症状を引き起こす引き金――この三つがどうつながっているかを、支援する側と本人が一緒に把握しておくことが重要だとされています。理解を本人と分け合うところがポイントです。

3. 安全感を保障する

治療や支援の場が安全な場所であること、そして本人が「敬意をもって迎えられている」と実感できていること。これが何より大切だとされています。そのために、どんな小さな場面でも、本人が自分で選ぶことを最大限に尊重する必要があると書かれています。

丁寧な対応を積み重ねることで、自分の行動を自分で決めているという感覚を取り戻していく、という筋道です。回復そのものの道筋についてはトラウマからの回復とはをご覧ください。

4. 本人の力を高める(エンパワメント)モデルをとる

強い恐れや無力感に押しつぶされている方に対し、初期の段階から、本人の負担を増やすような助言・指導や技術指導ばかりの支援を行うと、かえって無力感を強めてしまう恐れがあると指摘されています。

さらに、その人の「被害者としての側面」を強調しすぎることも、本来持っている強みを削いでしまうとされています。医療の枠組みではどうしても病理のほうに目が向きますが、その症状は、厳しい状況をなんとか切り抜けるために身についた形なのだ――そういう認識が必要だと書かれています。

5. 対人関係を基盤とした協働

人との関係のなかで傷ついた経験を持つ人は、その逆の、安全な対人関係のなかで癒されていくとされています。求められるのは、一貫していて、予測がつき、暴力的でない関係です。恥をかかせない、責めない、互いに敬意がある、必要な情報が共有されている――そうした関係が、本人の治療への関与につながると説明されています。

6. 再びトラウマを与えることを最小限にする

専門書には、避けたいこととして具体的な一覧が挙げられています。

  • 相手の意思によらず何かをさせること
  • 腕組みや挑みかかるような身ぶりなど、圧をかける振る舞い
  • 声を張り上げること、指示的すぎる口調、ひどい言葉
  • そっけない扱いや、関心を向けない姿勢
  • 何をどこまでやるのか、説明を尽くさないまま進めること
  • 前触れなく方針を変えること、決めごとを守らないこと
  • 受け取り方を誤らせるような言い回し
  • 施設内の掲示に並ぶ、禁止や暴力といった語

かつての医療で当然とされてきた、医療者が決めて患者が従うという形(パターナリズム)は、引き金の代表格だろう、と述べられています。一方的に力が行使される状況は安全とは言いがたく、その人の力を奪ってしまいうる、という説明です。

「聴いてあげること」が根幹ではない

この記事でいちばんお伝えしたいのが、専門書の結びに書かれている一節です。

かつて広く信じられていたような、苦しい体験に耳を傾けてあげること、その苦しさを察してあげること――それがこの考え方の中心なのではない。専門書はそうはっきり述べています。

では何が根幹なのか。その経験を背負ったままでも、自分の人生の主導権を持って暮らしていけるように、本人の知識と対処する力を伸ばしていく支援である、とされています。

聴くことが不要という意味ではありません。ただ、聴いて理解を示すところで止まってしまうと、目的に届かない、ということだと読めます。

「順調に見えていたのに、突然来なくなる」

もうひとつ、支援を受ける側にとって意味があると思われる記述があります。

過酷な環境を生き延びてきた人は、感情を麻痺させたり、意識を切り離したりする方法を身につけていることがあります。すると、治療や支援の場で苦痛を感じたときにも、同じ方法でやり過ごそうとします。そしてそれが、やる気がない、治療に抵抗している、と見なされてしまうことがある、と書かれています。周囲の受けとめ方についてはトラウマを抱える家族への支え方でも触れています。

さらに踏み込んだ指摘もあります。安全に異論を言えない環境をくぐり抜けてきた人ほど、その場をやり過ごすために相手に調子を合わせる術が身についている、というのです。

その結果どうなるか。支援者の側だけが「うまくいっている」と受け取っていて、実際には本人の納得が得られていない。そしてある日、来院が途絶える――こうしたことが起こると説明されています。

裏を返せば、合わせなくてよいということです。納得していないときに納得したふりをしないことは、支援を続けるうえで実際的な意味を持ちます。

評価を受けるかどうかは、本人が決めます

トラウマの評価について、専門書は次の点を挙げています。

  • 回復のためには評価が必要であること
  • 役に立つ情報が得られる反面、しばらくのあいだ症状が重くなることもありうること
  • 評価に応じるかどうか、どの問いに答えるかを選ぶ権利は本人の側にあること

支援する側がこれらを丁寧に説明したうえで進めることが大切だとされています。それでも本人に抵抗がある場合には、支援者の側がごく簡単な問いをひとつ尋ねるだけでもよい、とも書かれています。

答えたくないことは答えなくてよいというのは、遠慮ではなく、この考え方の一部です。

当院での実際

当院では、トラウマに特化した専門治療(トラウマ焦点化認知行動療法、EMDR などの専門プログラム)は行っておりません。また、当院には心理士がおらず、カウンセリングも行っていません。この記事は、医療情報の紹介として掲載しています。

トラウマインフォームドケアは、特定の医療機関で受ける治療プログラムではなく、支援に関わる人が共有すべき姿勢として位置づけられている考え方です。専門的な治療をお探しの場合は、実施している医療機関へご相談ください。

なお、当院の診療対象は18歳以上の方です。

つらさが差し迫っていると感じられるときは、迷わず救急(119)または通院中の主治医にご連絡ください。

まとめ

  • トラウマインフォームドケアは、トラウマを治す方法ではなく、支援を受ける人がトラウマを抱えているかもしれないという前提に立つ考え方です
  • 誰が抱えているかは一見して分からないため、全員が抱えていると仮定して、再びトラウマを与えない対応をとることが最善とされています
  • 基本原則として紹介されているものには、影響の認識、一体としての回復、安全感の保障、本人の力を高めること、協働、再トラウマ化を最小限にすることがあります
  • 「つらい話を聴いてあげること」が根幹ではないと明記されています。中心にあるのは、その人が主体的に生きるための力を高める支援です
  • 評価に応じるかどうか、どの問いに答えるかを選ぶ権利は、本人の側にあるとされています

参考にした書籍

この記事は、次の書籍の記述を要約・再構成して作成しました(原文の転載ではありません)。

  • 『2020 精神科治療学』(トラウマインフォームドケアの意義と広がり)

よくある質問

トラウマインフォームドケアは、トラウマの治療法ですか。

治療法ではありません。トラウマに特化した認知行動療法のようにトラウマそのものへ働きかけるのではなく、いま支援を必要としている人について「その人にもトラウマがあるかもしれない」という見方を手放さずにかかわる、という基本的な考え方です。

「つらい話を聴いてあげる」ことが中心ではないのですか。

違うと明記されています。苦しい体験に耳を傾け、その苦しさを察してあげること――それが中心なのではない、と専門書は述べています。中心にあるのは、本人が自分の人生の主導権を持って暮らせるよう、知識と対処する力を伸ばす支援のほうです。

自分にトラウマがあるかどうか、はっきりしません。

はっきりしないまま支援を受けることが想定されています。どなたに背景があるかは外から判別できないため、診察に来る方は誰もがそれを抱えているものとみなし、再び傷つけない形のかかわりをとることが最善とされています。

過去のことを聞かれるのがつらいときは、断ってもよいのですか。

評価を受けるか受けないか、どの問いに答えるかを決めるのは本人である、と専門書は明記しています。そのうえで、一時的に症状が強くなる可能性も含めて丁寧に説明することが大切だとされています。

この考え方は、どこで受けられますか。

特定の医療機関で受ける「プログラム」ではなく、支援に関わる人が身につけるべき姿勢として位置づけられています。この記事は医療情報の紹介であり、当院でトラウマの専門治療を行っているという案内ではありません。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。