はじめに
さっきまで普通に過ごせていたのに、急に胸がざわついて、気づいたら心臓が速くなっていた——。トラウマの症状が続いている方の多くが、この「急に」を繰り返し経験しています。けれど、あとから振り返ると、その直前にはたいてい何かがあります。すれ違った人の香水。ニュースの一場面。特定の時間帯。似た声。そうした「引き金(トリガー)」は、自分では気づかないうちに作動していることも多く、本人にはただ「突然苦しくなる」ように感じられるのです。
連載第2回は、この引き金を記録して、正体に輪郭を与える回です。あわせて、いつのまにか増えている「避けているもの」——通らなくなった道、開けなくなった話題、断り続けている誘い——も、一枚の地図にして眺めます。
この作業の足場になるのは、第1回の2つのプロンプトです。まだの方は第1回から始めてください。使う前の約束事(調子が大きく崩れているときは使わない・個人情報は置き換える、など)も第1回にまとめてあります。今回はそれに加えて、渦中ではなく落ち着いたあとに使ってください。記録の途中でつらくなったら、中断してよい前提のプロンプトになっています。
- 急に苦しくなる瞬間の「きっかけ」を捕まえたい方はプロンプト1
- 避けているものがどれだけ生活を狭めているかを眺めたい方はプロンプト2
なぜ「記録」なのか
引き金は、記録されないかぎり「正体不明の発作」のままです。正体が分からなければ、危なそうな場面をまるごと遠ざけるほかなく、そのぶん、できることの範囲がじわじわ小さくなっていきます。ところが記録がたまってくると、「苦しくなるのは目に入るものすべてではなく、この数個だ」という輪郭が見えてきます。輪郭が見えたものは、正体不明のものより、ずっと扱いやすくなります。
そしてもうひとつ。避けること自体が、短期的には心を守りながら、長い目では回復を止めてしまう——この仕組みはなぜPTSDは続くのかで詳しく説明しました。何をどれくらい避けているかを本人と主治医が知っていることが、治療の計画を立てるうえでの出発点になります。今回作る記録と地図は、自分を変えるためのものである前に、診察に持っていける材料です。
紙のノートでも同じことはできます。AIに相手をしてもらう利点は、白紙を前に「何を書けばいいのか」で止まらないことです。質問役はAIが引き受け、こちらは聞かれたことに話し言葉で答えるだけ。日付ごとに記録が残り、あとからまとめさせることもできます。
プロンプト1:苦しくなった「瞬間」を、その日のうちに記録する
急に苦しくなることがあった日の、落ち着いたあと(当日の夜など)に使います。渦中では使いません。記録するのは「今日、何がきっかけで、体に何が起きたか」という現在の観察だけで、つらい記憶の中身には触れません。
今日、急に苦しくなった瞬間があったので、その記録に付き合ってください。まず「今のつらさは0〜100でどれくらいですか」と聞いて、その数字を覚えておいてください。そのあと、私のペースで、1回に1つずつ質問してください。聞いてほしいのは次の5つです。 (1) それは今日のいつ、どこでのことか (2) その直前に、何を見た・聞いた・においを感じたか(思い当たらなければ「不明」でよい、と先に伝えてください) (3) 体に何が起きたか(心臓・呼吸・汗・こわばりなど) (4) その瞬間の苦しさは、0〜100でどれくらいだったか (5) そのあと、どうやってその場をしのいだか 全部聞き終えたら、今日の記録を「日付/きっかけ/体の反応/苦しさ/しのぎ方」の1行にまとめて見せてください。過去の似た記録があれば、共通するきっかけを1〜2個だけ、控えめに指摘してください。 守ってほしいこと: きっかけの奥にある過去の出来事については聞かないでください。私がその話を始めたら、「その話はここでは扱わず、診察で主治医に話してください」と伝えて、今日の観察に戻ってください。(1)から(5)の途中で1回、「今のつらさは0〜100でどれくらいですか」と現在のつらさを確認してください((4)で聞く過去の数字とは別です)。それが最初に聞いた数字より上がっていたら記録を打ち切って、目に見えるものを5つ数える「今・ここ」の練習に切り替えてください。全体で10分以内。私はいつでも途中でやめて構いません。氏名・住所・勤務先や学校の名前が出たら「上司A」「会社X」のように置き換えてください。私の答えを分析して原因を断定したり、診断めいたことを言ったりしないでください。もし私の話に、消えてしまいたい気持ちや、自分や誰かを傷つけたくなるような内容が出てきたら、それ以上は続けず、主治医に相談するよう私に勧めて、この記録を終えてください。
実際のやりとりは、こんな流れになります。
AI: 今のつらさは、0〜100でどれくらいですか あなた: 30くらい AI: わかりました。その数字を覚えておきますね。では、今日、苦しくなったのはいつ、どこでのことでしたか あなた: 夕方、スーパーのレジに並んでいるとき AI: その直前に、何か見たり聞いたりしたものはありましたか。思い当たらなければ「不明」で構いません あなた: ……後ろの人の話し声が、大きかったかもしれない AI: わかりました。そのとき、体には何が起きていましたか
「不明」と答えてよい、と先に決めてあるのが大事なところです。引き金は、最初のうちは特定できないことのほうがふつうです。「不明」の記録も立派な記録で、数がたまると「不明だった日は決まって寝不足だった」というような、別の輪郭が浮かぶことがあります。
それでも、引き金を思い返す作業は、人によっては波を立てます。だからこのプロンプトには、つらさが上がってきたら記録を打ち切って「今・ここ」へ戻る練習に切り替える分岐を組み込んであります。記録は、続けられる日にだけ、続けられる分だけで十分です。
プロンプト2:「避けているもの」の地図を作る——AIには励まさせない
こちらは、調子が落ち着いている日に、一度じっくりやる作業です。
私がいま「避けているもの」を書き出して、一覧にする作業に付き合ってください。進め方: まず「今のつらさは0〜100でどれくらいですか」と聞いて、その数字を覚えておいてください。次に「行かなくなった場所・会わなくなった人・話さなくなった話題・やらなくなった活動、の4つに分けて、思いつくものを挙げてください。理由は言わなくて構いません」と伝えて、私が挙げるのを待ってください。急かさず、1つ挙がるごとに「他にもありますか」とだけ聞いてください。 出そろったら、それぞれについて「それを避けていることで、生活がどれくらい不便になっているか」を0〜100で私に付けさせてください。避けている理由や、その奥の出来事については聞かないでください。 最後に、一覧を「避けているもの/種類/不便さ」の表にして見せて、「この表は、良い悪いを判定するためのものではなく、診察で主治医に見せるための地図です」と添えて終えてください。 守ってほしいこと: 「少しずつ慣らしましょう」のような提案や励ましはしないでください。この表をもとに何をするかは、私が主治医と決めます。途中で1回「今のつらさは0〜100でどれくらいですか」ともう一度確認し、最初に聞いた数字より上がっていたら作業を打ち切って、目に見えるものを5つ数える「今・ここ」の練習に切り替えてください。全体で15分以内。私はいつでも途中でやめて構いません。氏名・住所・勤務先や学校の名前が出たら「上司A」「会社X」のように置き換えてください。もし私の話に、消えてしまいたい気持ちなど深刻な内容が出てきたら、それ以上は続けず、主治医に相談するよう私に勧めて、この作業を終えてください。
できあがる表は、たとえばこんな形です。
| 避けているもの | 種類 | 不便さ |
|---|---|---|
| 駅前の大通り | 場所 | 70 |
| 高校のときの友人 | 人 | 30 |
| 事故や事件のニュース | 話題 | 45 |
| 電車に乗ること | 活動 | 85 |
このプロンプトでいちばん大事な一行は、「励ましはしないでください」です。避けているものの一覧を見せると、AIは放っておくと「では少しずつ挑戦してみましょう」と言いたがります。しかし、どれから、どんな順番で、どんな支えのもとで向き合うかは、治療の設計そのものであって、AIと二人で決めることではありません。地図はあくまで地図。歩く道順は、診察で主治医と決めてください。
不便さを0〜100で付けるのは、優先順位の材料になるからです。「避けていても生活はほぼ困らないもの」(高校のときの友人・30)と「避けているせいで仕事や通院にまで差し支えているもの」(電車・85)が同じ一覧の中で並ぶと、どこから相談すればよいかが自分でも見えやすくなります。
記録がたまったら
どちらのプロンプトも、記録はAIとの会話として日付ごとに残ります。受診の前に「これまでの記録を、日付順の一覧にまとめて」と頼めば、数週間分を1枚に整理させることもできます。「最近どうでしたか」という問いに記憶だけで答えるより、ずっと具体的な相談ができます。
数がたまるほど、記録は「苦しかった日のリスト」から「自分の反応のパターン表」に変わっていきます。たとえば3週間分を並べたとき、5件のうち3件が夕方の帰り道に集中している。きっかけの欄に「大きな声」が2回出てくる。「不明」の日は決まって前夜よく眠れていない——。この並びは、一覧にして初めて見えてきます。
この連載の地図
- 安全の土台づくり——「今・ここ」に戻る練習と、安心できる場所
- 引き金(トリガー)と避けているものを、記録して眺める(この記事)
- つらい記憶について、安全な枠の中で話してみる
- 「自分が悪かった」という考えを、AIと一緒に眺める
- 回復の道のりと、専門治療・診察の活用
第3回へ進むかどうかは、カレンダーではなく記録の厚みで決めてください。プロンプト1の記録が数回たまり、引き金の輪郭がうっすらとでも見えてきたら、そこが頃合いです。ただし、つらい記憶に触れる作業には向き不向きがあります。進むかどうか迷うときは、主治医に相談してから決めてください。
うつや不安の考え方の整理には、姉妹連載のAIと一緒にできる認知行動療法セルフケアがあります。
まとめ
今日持ち帰るのは2つです。
- 急に苦しくなった日の「きっかけ・体の反応・苦しさ」を、その日のうちにAIとの一問一答で記録する
- 避けているもの4種類(場所・人・話題・活動)の地図を作り、不便さの数字を付けて、診察に持っていく
どちらも、自分を変える作業ではなく、自分を知って主治医に手渡す作業です。記録がつらさを増す日は、迷わず中断してください。中断した、という事実も、診察で伝える価値のある情報です。
そのほか近いところにあるもの —— トラウマとは何か/PTSDの3つの症状/フラッシュバックへの対処/回復のプロセス
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD(水島広子、創元社、2011年)
- 心理的応急処置(サイコロジカル・ファーストエイド:PFA)フィールド・ガイド(WHO・War Trauma Foundation・World Vision International、2011年。日本語版 2012年)
- PTSD初期対応マニュアル(日本トラウマティック・ストレス学会、2013年)
2つのプロンプトは、上記資料の考え方を参考に、この記事のために組み立てたものです。特定の治療プログラムの手順の転載ではありません。