はじめに
治療は続けている。診断名も伝えられている。それでも、良くなったという手ごたえのないまま時間だけが過ぎていく。そういうとき、「この診断で合っているのだろうか」という思いが、ときどき頭をよぎることがあります。
この記事で下敷きにしたのは、精神科の専門誌が治療の効きにくいうつ病を主題にした特集号のうち、「治療抵抗性うつ病」という括り方そのものを問い直した一編です。一人の著者が、精神医学のなかの特定の立場をはっきり打ち出して書いた論考で、以下では「論文」、書き手を「著者」と呼びます。
著者には、自分が内因性うつ病だと見ている患者さんに、決まって投げかけている問いがあるといいます(内因性うつ病が何を指すかは、次の節で説明します)。これまでの人生で大きな苦難に見舞われて深く落ち込んだときの憂うつは、いま自分のなかにある憂うつと似ているだろうか、というものです。返ってくる答えの多くは、まるで違うのだけれど、言い表しようがない、というものだそうです。
同じ「うつ」という言葉で語られていても、感じている落ち込みの質まで同じとは限らない。そして、その違いはうまく説明できなくても、診察の手がかりになる。この記事でお渡ししたいのはこの一点で、論文の議論は、なぜ診断名や研究上の区切りだけではこの違いを拾い切れないのかを示す背景として紹介します。診断の区切り方に議論があることと、いまの治療に意味がないことは別の話ですから、読んで気になったことが出てきたら、通院や服薬を変えるのではなく、次の診察でそのままお話しください。
同じ診断名のなかに、成り立ちの違う落ち込みが入っている
現在のうつ病の治療ガイドラインが相手にしているのは、「大うつ病」――現在広く使われている診断基準でいう「うつ病」にほぼ相当する区切り――で、そのことはガイドライン自身のなかに明記されています。「治療抵抗性うつ病」の研究も、この大うつ病のほうを相手にしています。
論文が問題にするのは、この区切りの内側です。昔から精神科で「内因性うつ病」と呼ばれてきたのは、体に土台があるはずだと想定されている、内側から起こるうつ病です。大うつ病という区切りはこれと同じものではなく、そこには、何かの出来事や置かれた状況とつながりのある、理由の分かる落ち込みも入ってきます。この種の落ち込みが、いまの基準でうつ病と判断されるほど重くなることは十分に想定できるだろう。つまり大うつ病には、同じように語られる落ち込みの質の違いが考えに入っておらず、成り立ちの面では雑多なものが含まれている――というのが著者の見立てです。
理由の分かる悲しみを、本来なら病気にしか使えないはずの「症状」という語で呼ぶわけにはいかないだろう、とも論文は書いています。たとえば大切なものを失ったあとの悲しみなら、どれだけ深く悲しむかは、その人が何を失ったかの重さに応じたものであり、消し去る対象というよりは、越えていくものだろう、と。そのうえで著者は一つ言い切っています。きっかけがあって起きたのではないうつ病と、理由の分かる悲しみとは、外から見て似ていたとしても、どうやって生じたのかという点でまるで違う、と。
同時に、心にかかった負荷が体のほうに働いて、内側から起こるうつ病を引き起こすことはある、とも著者は書いています。理由が分かるように見えても、うつ病として診ていく必要がある場合があることは、現在の診断基準のなかでも注意が促されています。きっかけに心当たりがあることは、受診をためらう理由になりません。
「効きにくさ」を調べる研究がすくい上げていないもの
「治療抵抗性うつ病」には定まった標準的な定義が確立しておらず、ここでいう治療への反応とは、おもに薬による治療への反応を指しています。ここで見るのは、その研究の対象になっている集団の中身です。
抗うつ薬がどれくらい効くかを調べる研究では、偽の薬との比較が必要になるため、重い状態の方は対象から外れ、軽い方から中くらいの方が多くなります。落ち込みの程度が軽くなるほど、対象は成り立ちの面で雑多になりがちで、そこには前の節でみた、理由の分かる悲しみが多く混ざってくる。その食い違いから生じる問題が、研究で得られる知見にいろいろな形で影響しているだろう――というのが論文の見立てです。
もう一つ著者が挙げているのが、いちばん重い状態の方が、研究から外れてしまうという点です。自ら命を絶とうとする考えが差し迫っている、不安や落ち着かなさが強い、自分は罪を犯したという妄想が前に出ている――そういう重い状態の方は、はじめから研究の枠の外に置かれますし、研究に参加するための同意が得られないことを理由に外されてしまう心配も、そこに重なります。軽い方から中くらいの方を調べた結果が、重い状態の方にそのまま重なるとはかぎらないのではないか、と著者は問いかけています。
症状の点数や研究上の区切りだけでは、拾えない違いがある。論文の最後は、その違いの中身に踏み込みます。冒頭で紹介した、あの問いの場面です。
言い表す言葉が、そもそも用意されていない
論文の「おわりに」が問うのは、こういうことです。内側から起こるうつ病の落ち込みと、出来事への反応としての落ち込みの違いは、きっかけがあるかないかだけの話ではなく、体験そのものの質からして違っているのではないか。著者が先ほどの問いを患者さんに投げかけ続けているのは、この文脈でのことです。「まるで違うのだけれど、言い表しようがない」という答えについて、著者はこう続けます。その体験は、その人が健康なときに感じるものとは質の違うもので、それをうまく言い表す言葉が、そもそも世の中に用意されていないのだろう。患者さんは、言い表しにくいものを、日ごろ使っている言葉で懸命に伝えようとしているのだと思う、と。決まった手順で進める面接や、点数をつけていく尺度では、その質の違いをすくい上げられない、ともしています。
そして論文は、大うつ病を対象にした治療抵抗の例にはいろいろなものが入り混じっていると指摘したうえで、自分がいちばん知りたいのは、著者のいう内因性うつ病に起きている治療抵抗の例のほうだと述べ、自分が病気だという認識(病識)が保てず、治療への協力そのものが得られない――研究の場からはこぼれ落ちてしまいかねない、そういう形の治療抵抗もあることを見落としてはならない、と結んでいます。
ここが、この記事として読者にお渡ししたい場面です。言葉が見つからないのは、伝える力の問題ではありません。 言い表す言葉のほうが、そもそも用意されていないのです。いまの憂うつが、以前の落ち込みとどこか違う気がするのに、うまく説明できない――それでも、そのまま診察の手がかりになります。
なお、自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、次の診察を待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
まとめ
診察で使っていただきたい一言があるとすれば、「前の落ち込みとは、どこか違う気がする」です。うまく説明できないままで差し支えありませんし、言えない事情があるときは、その事情のほうをご相談ください。
治療の手ごたえのなさそのものが気になっているなら、次に読むのは治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきことです。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、「治療抵抗性うつ病」という括り方そのものを問い直した一編(古茶大樹、817〜822頁)
よくある質問
私のうつ病はどのタイプなのでしょうか。いまの診断が間違っているということですか。
この記事は、タイプをご自身で判定していただくための作りにはしていません。下敷きにした論文が書いているのは、研究や診療の対象をどう区切るかという医師の側の議論です。ご自身の状態は、症状だけでなく、これまでの経過、体の状態、暮らしの状況を合わせて、診察のなかで医師が見立てていきます。その見立ては一度で決まるものではなく、通院を続けるなかで確かめ直されていきます。
理由がはっきりしている落ち込みは、病気ではないということですか。
論文の著者は、何かの出来事や置かれた状況とつながりのある、理由の分かる悲しみを、病気の症状と同じ言葉では呼べないだろうと書く一方で、心にかかった負荷が体のほうに働いて、内側から起こるうつ病を引き起こすことはあるとも書いています。また、理由が分かるように見えても、うつ病として診ていく必要がある場合があることは、現在の診断基準のなかでも注意が促されています。きっかけに心当たりがあることは、受診をためらう理由になりません。