はじめに
抗うつ薬をのみ始めてから、もう長い。言われたとおりに続けてもいる。落ち込みのほうは、以前よりましになった気もする。それなのに、良くなったという感じがしない。胸のざわつきや、何か起きるのではないかという落ち着かなさは、はじめの頃から少しも変わっていない。そして、そのことを診察で口にしたことは、たぶん一度もない。
その、口にされないままの不安が、治療を見直す手がかりになります。不安症という診断がついているかどうかは、条件ではありません。診断名に届かない不安も、うつの治療を進みにくくすることがはっきりしており、取りこぼさずに診察で確かめることに意味があります。この記事がお伝えするのは、それだけです。
下敷きにしたのは、精神科の専門誌が治療の長引くうつ病を特集した号のうち、併せてある不安症について論じた一編です(以下「論文」と呼びます)。薬の量や期間、のみ方、ほかの病気の可能性といった、先に確かめられることのほうは治療抵抗性うつ病とは|効かないときに最初に確認すべきことにあります。
不安が残っていると、治療の進み方に関わることがある
うつ病に別の心の病気が重なることは、めずらしくありません。そして重なり方には際限がないので、一編の論文ですべてを扱うことはできない――そこで論文が的を絞っているのが、頻度の高い不安症です。社交不安症、全般不安症、パニック症といったものがそこに入ります。
うつ病に不安症が併せてあることは、高い頻度でみられます。そして併せてあると、うつの側の治療は思うように進みにくくなります。この結びつき自体は、はっきりしています。論文が挙げる研究のひとつでは、治療を受けた方を不安の強い群とそうでない群に分けて比べたとき、症状が十分に治まった方の割合は不安の強い側で低くなっていました。別の研究では、治療の進みにくさともっとも強く結びついていたのはパニック症が併せてあることで、不安症全般が併せてあることがそれに次ぎました。
ここでいう「症状が十分に治まった」というのは、少し良くなったという段階ではなく、症状がほとんど残っていない状態――寛解――まで届いたことを指します。この研究では、最初の薬で足りずに別の薬へ切り替えたり、増強したりした段階で、不安の強い群の寛解率が、そうでない群より20%以上低くなっていました。薬の効き目の差としては小さくない開きだ、というのが論文の受け止め方です。
ただし、これは多くの人をまとめて比べたときに見えてくる傾きです。いま治療を受けている一人の方の行き先が、これで決まるわけではありません。
論文が研究を並べて向かう先も、あきらめではありません。併せてある病気があるかどうか、どの程度かを一人ひとりについて取りこぼさずに見きわめることが、治療への反応や経過の見通しを立て、暮らしのしやすさや生活の質を保つために重要になると考えられる――論文が冒頭に掲げているのは、その一文です。不安が強いということは、見通しを打ち切る材料ではなく、診察で確かめておきたいことが残っているという合図のほうです。
不安のほうは、なぜ言われないままになりやすいのか
ここで一度、冒頭の場面に戻ります。不安が治療の進み方に関わるのなら、なぜそれが診察で口にされないままになるのか。たとえば、次のようなことがあります。
一つは、聞かれた質問の外にあるからです。「気分はいかがですか」「眠れていますか」と尋ねられれば、答えるのは落ち込みと眠りのことになります。胸のざわつきは、その答えのどこにも入りません。
もう一つは、良くなった側の話に見えてしまうからです。落ち込みが軽くなったぶん、残っているそわそわは「治りかけの名残」のように感じられ、わざわざ申し出るほどのことに思えなくなる。
そして三つめが、名前がついていないからです。うつ病という診断は伝えられている。けれど不安のほうは何とも言われていない。だから、これは病気の症状ではなく自分の性分の話だろう、と片づけてしまう。
どれも、伝えないままにしておく十分な理由には見えます。ただ、次に見るように、不安の強さを抱えているうつ病のほうが、数の上ではむしろ多数派です。
診断名に届かない不安も、取りこぼさない
この記事の中心は、ここです。不安症という診断には届かないけれど不安が強い、という状態も、うつの治療を進みにくくします。
国際的な診断の手引きであるDSM-5には、不安症の診断とは別に、うつ病のほうに添える言葉として「不安性の苦痛を伴う」という特定用語が置かれています。そのうつ病に不安の強さがあることを、うつ病という診断の側に書き留めておくための枠組みで、診断名がつくかどうかだけで不安を取りこぼさないために置かれている、と論文は紹介しています。
論文の筆者らが、ほかの不安症が併せてある方は含めず、うつ病の治療を続けていて状態が比較的落ち着いている時期にある方110人を調べた報告では、73人(66.4%)がこれに当てはまりました。この報告を含めて、うつ病でこの特定用語に当てはまる割合は54%から78%とされており、当てはまらないうつ病のほうが数の上では少数になります。不安が強いことは例外的な状態ではなく、診断名がついていないことは、伝えなくてよい理由にはなりません。
そして論文は、この特定用語に当てはまる場合には、治療の進み方も、そのあとの経過も悪いほうへ働く、それははっきりしている、とも書いています。診断名に届かない不安は、届かないぶん軽い、ということではないわけです。
では、診察でどう言えばよいか。効くのは、どんな場面でそうなるかに寄せた言い方です。「布団に入ってから、明日のことが頭を回り続けて眠れません」「人に会う予定が決まると、その日まで気が休まりません」「動悸がして、電車に乗るのがこわくなりました」――どれも、不安症の診断がついていなくても、そのまま診察で扱えます。うつの治療をどう組み立て直すかを考えるときには、「不安があります」という一言よりも、こうした場面のほうが役に立ちます。
もちろん、ここまで整っていなくても構いません。「落ち込みは少し軽くなりましたが、胸のざわつきと、何か起こりそうな感じは残っています。病名があるのかは分かりません」で十分ですし、落ち着かない、休まらない、というだけでも、診察は始められます。
良くなったあとに残っている不安も、同じです
良くなった状態を保っている時期についても、同じことが言えます。論文が引く研究に、70歳以上で双極性障害ではないうつ病の方116人を、症状が治まった状態から100週にわたって追ったものがあります。追跡を始めた時点で残っていた不安の症状と眠りの問題が、その後の再発と関わる目印になっていました。高齢の方に限られた研究ではありますが、「だいぶ楽になったのだから、この程度のことを今さら言うのは気が引ける」と口に出さないでいた不安が、伝えるに値しないものではないことは、ここからも言えます。残っているものがあれば、そのことのほうを診察で扱えます。
眠りのほうも同じです。寝つきの悪さや、夜中に目が覚めてしまうことが良くなったあとも残っているなら、それも合わせてお伝えください。薬を続ける意味と、やめどきの考え方そのものはうつ病の薬を続けるのが不安なあなたへ|やめどきと自己中断の危うさにあります。
薬の話は、診察で
薬をどうするかは、この記事では決めません。論文は、不安症が併せてある場合の薬の使い方について、海外の二つの診療指針を引いています。アメリカの学会の指針が述べているのは、不安の症状を併せもつうつ病でも治療の進め方はふだんのうつ病と変わらないこと、そして落ち込みの症状も不安の症状も、どちらも抗うつ薬を用いた治療によく応じることです。カナダのグループの指針からは、不安症が併せてある場合でも、うつ病の薬物療法の組み立てをはっきり違うものにしなければならないだけの裏づけは無い、という一文が引かれています。
つまり、不安が併せてあるからといって、特別な治療に切り替えるところから話が始まるわけではありません。論文はもう一か所、「不安性の苦痛を伴う」に当てはまる場合の段階を踏んだ進め方も示していますが、これは専門家の意見にもとづくもので、日本にそのまま当てはめるには注意が要ると論文自身が断っています。いま出ている薬を、ご自分の判断で急にやめてしまうと、それだけで体調が揺れることがあります。変えたい、やめたいというお気持ちも、そのまま診察に持ってきてください。増やす・変える・別の薬を足すのどれを選ぶかという話は抗うつ薬が効かないとき――増量・切り替え・増強のどれを選ぶかに、抗不安薬に何ができて何ができないのかは抗不安薬の実際――ベンゾジアゼピンに何ができて、何ができないかにあります。
引っぱり合いの強さは、まだ説明がついていない
体の仕組みという面では、うつと不安はとても近いところにある、と考えられています。ただ、併せてあるときにこれほど強く互いを引っぱり合うのはなぜなのか。論文は結びで、そこには疑問が残るとして、これから調べられるべきこととして置いています。
そのうえで論文が最後に置いているのは、一人ひとりの違いを重く見ながら、心理的な治療と薬による治療の両方を使って当たっていくことが要る、という一文です。不安を確かめ直すというのは、薬を組み替えるかどうかを決める手前で、その方に何が起きているのかをもう一度見る、ということでもあります。
なお、論文は前半で、不安が併せてあるときに自ら命を絶とうとする危険が高まることにも触れています。自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。また、暴力や、相手からの強い支配のある関係のなかにいるときは、この記事の話を当てはめる前に、身の安全を確保することが先になります。相談先を含めて安全が脅かされているときにまとめてあります。そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。
まとめ
不安症という診断がついていなくても、残っている不安は診察で伝えてかまいません。それは治療を見直す手がかりであって、治らない側に入っている印ではありません。不安の強さを抱えていないうつ病のほうが数の上では少数なのですから、診断名がついていないことは黙っている理由になりません。
だいぶ良くなったあとに、不安だけが残っているときも同じです。今さら言うほどのことではない、と思っているものほど、伝える値打ちがあります。
そして、不安が併せてあるからといって、治療を一から組み替えるところから話が始まるわけではありません。確かめ直すというのは、いま何が残っているのかを、もう一度そろえ直すことです。
整理も、自己判定も、済ませてから来る必要はありません。うまく言葉にならないときや、話しにくい事情があるときは、その事情のほうをご相談ください。「落ち込みはましになったけれど、落ち着かない感じが残っています」――冒頭の場面で口にされないままだった一言を、次の診察に持っていくところから始められます。
そのほか近いところにあるもの ── うつと不安が一緒に来るのはなぜ?不安症が合併したうつ病の特徴/うつの治療が長引くとき、診察で何を話し合えるか/うつの治療が長引くとき――発達特性と暮らしの負担という、もう一つの見直し方/うつの治療が長引くとき――そばで暮らすご家族が抱えているもの/診断名がつかない・はっきりしない――それでも治療は始められます/全般性不安症(GAD)とは?「あれこれ心配が止まらない」不安の正体/人前で緊張しすぎてつらい ― 社交不安症(対人恐怖・あがり症)とは/予期不安とは?「また起きたらどうしよう」が生活を狭めるしくみ
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻8号(2022年)の特集より、治療抵抗性うつ病に併せてある不安症について論じた一編(大坪天平、837〜842頁)
よくある質問
うつの治療を続けても良くなりません。不安症が併せてあるということでしょうか。
そう決まるものではありません。治療が思うように進まない理由はいくつもあります。この記事が紹介する不安の確かめ直しは、その理由を一つずつ見ていくときの一項目です。
不安が強いうつ病は治らない、ということですか。
そうではありません。不安が併せてあると、うつの治療が思うように進みにくくなるのははっきりしていますが、それは多くの人をまとめて比べたときの傾きで、お一人おひとりの行き先が決まる話ではありません。
不安が併せてあると、薬は特別なものに変えることになるのですか。
そういう前提から始まる話ではありません。不安を併せもつうつ病でも、薬の治療を大きく変えなければならないだけの裏づけは無いとされています。