この記事は、抗うつ薬で十分な効果が出なかったときに実際の診療のなかで次の一手がどう選ばれているかに踏み込んだ内容です。前半(第1章)は患者さんやご家族に読んでいただける言葉で書いていますが、後半は医療者向けに、用量・エビデンス・保険適応外の使い方にまで踏み込みます。
この記事は連載「精神科医の処方ノート」の第2回です。どの抗うつ薬で治療を始めるか、導入初期をどう越えるかについては、第1回のSSRIの選び分け――5剤をどう使い分けるかをご覧ください。SSRI以外の抗うつ薬——SNRI・NaSSA・トラゾドンなど——をどこで選ぶかについては、第3回のSNRI・NaSSA・その他の抗うつ薬はどこで選ばれるかで扱っています。お薬そのものの説明をお探しの方は、レクサプロ、ジェイゾロフト、パキシル、フルボキサミン、サインバルタ、リフレックス、エビリファイ、リーマス、セロクエル、ラミクタールの各ページをご覧ください。
実際にどのお薬を使うかは、その方の状態、体の病気、ほかに飲んでいるお薬によって変わります。ここに書かれていることが、そのままご自身に当てはまるとはかぎりません。服用中の方は、この記事を読んで自己判断でお薬を変えたり中止したりせず、必ず主治医にご相談ください。
効かないとき、現場は何を考えるか
「効かない」には、いくつも違う中身がある
「薬が効きません」という言葉は、診察室でとてもよく聞きます。ただ、そこに入っている中身は人によってかなり違います。
まったく何も変わらない方がいます。最初は動き出せるようになったのに、途中で改善が止まった方もいます。気分は上がってきたけれど眠れない、体の重さだけが残る、頭がぼんやりして仕事にならない――こうした部分的な残り方も多いものです。逆に、副作用がつらくて指示どおりに飲めていなかった場合もあります。
医師がまず時間をかけるのは、この中身を分けることです。残っている症状の種類が違えば、次にとる手も変わります。 「効かない」と一言で伝えるより、何が変わって何が変わらないかを具体的に話していただけると、次の一手が的確になります。
次の手は、大きく3つに分かれる
十分な量を十分な期間続けても足りないと判断したとき、選択肢は大きく3つです。
量を増やす
いま飲んでいる薬の量を上げます。単純ですが、上げれば上げるほど効くというわけではありません。薬によっては途中から効果が伸びなくなり、副作用だけが増えていくことがわかっています。
別の薬に変える
同じ系統の別の薬に変えることもあれば、系統ごと変えることもあります。ここで大切なのは、前の薬を急にやめないことです。急にやめると、それだけで具合が悪くなり、新しい薬が悪かったのか前の薬をやめた反動なのか、区別がつかなくなります。
別の薬を足す
抗うつ薬とは違う種類の薬を少し加えて、効果を後押しする方法です。増強と呼ばれます。薬が増えると聞くと不安になる方が多いのですが、増やし続けるより少ない負担で効果が出ることがあり、研究上は「変える」より「足す」ほうが根拠が強いとされる場面もあります。
どれを選ぶかは、いまの薬がどのくらい効いているか、副作用がどうか、待てる状況かどうか、ほかにどんな病気があるかで変わります。「これが正解」という一本道はありません。
そのまえに確かめられていること
次の一手を決める前に、医師は地味な確認をいくつもしています。
飲めていたか。指示どおりに飲み続けるのは、実はかなり難しいことです。飲み忘れがあったり、副作用が出た日に自分で止めていたりしたのなら、それは薬が効かなかったという話とは別問題です。責める意図はまったくないので、正直に話していただくほうが助かります。
体の病気が隠れていないか。甲状腺のはたらきの低下や貧血、睡眠中に呼吸が止まる病気などは、うつと似た状態を作ります。ほかの科から出ている薬が気分を落としていることもあります。血液検査をすすめられるのはこのためです。
お酒。飲酒が続いていると、抗うつ薬の効果は出にくくなります。
そして、診断そのもの。うつの治療をしているつもりが、実は気分が上下する別の病気(双極性障害)だったという場合、抗うつ薬だけを足していく方向は、かえって状態を不安定にしてしまいます。何度薬を変えても手応えがないときに医師が診断を見直すのは、疑っているのではなく、必要な手順です。
薬だけが手段ではない
このテーマは薬の話に見えますが、実際に効いてくるのは薬以外の部分も大きいです。
考え方や行動の整え方に取り組む精神療法を、薬と並行して行うと効果が上乗せされることが知られています。生活のリズム、活動量、日中の光、人との関わりも治療の一部です。薬を替える回数を増やすことより、こうした土台を立て直すことのほうが効く方もいます。
そして、症状が重く待てない状況では、薬の効果が出るのを待たずに別の治療法を検討することもあります。
「効かなかった」は、無駄ではない
最初の薬で十分よくならない方は、決して少数派ではありません。順番に手を変えていくことで、最終的に多くの方が改善に至ります。
そして「この薬は効かなかった」「この副作用が出た」という経験は、次の一手を選ぶための材料になります。捨てられる情報ではありません。 効いている感じがしないまま黙って通院をやめてしまうことだけが、いちばんもったいない選択です。
なお、体の具合が急に悪くなった、意識がはっきりしないといった緊急性の高い状態のときは、迷わず救急(119)を利用してください。通院中の方は、まず主治医にご相談ください。
判断の分かれ目
ここから先は医療者向けの内容です。 用量・エビデンス・保険適応外の使い方に踏み込みます。患者さん・ご家族の方は、ここまでの内容と主治医の説明を優先してください。以下の用量はいずれも書籍・文献上の記載であり、服薬指示ではありません。
以下では薬剤名を一般名で記します。個々のお薬の解説ページはお薬についてから辿れます。
まず、どこまでが想定内なのかを知っておく
「効かない」と言われる場面のかなりの部分は、実は治療の失敗ではなく想定された分布のなかにあります。 その分布を知らないまま次の一手を選ぶと、焦りが選択を歪めます。
抗うつ薬治療全体として、十分量・十分期間を使っても反応は約50%、寛解は約30%にとどまるとされています。うつ病を治療しても3分の1は寛解に至らない、という数字もあります。ここが出発点です。
段階的に手を変えていったときの成績は、大規模な逐次治療研究が示しています。非精神病性の大うつ病4,041名を対象に、各段階12週で治療を切り替えていった研究です。寛解率は第1段階32.9%、第2段階30.6%、第3段階13.6%、第4段階14.7%、全段階を累積して約67%でした。寛解までの期間は各段階で平均5.4〜7.4週です。
この数字の並びに、現場でいちばん重要な情報が入っています。 第1段階と第2段階の寛解率はほぼ同じですが、第3段階で半分以下に落ちます。 2剤失敗した後の次の一手で寛解に至る割合は14%程度とする報告もあります。つまり「3剤目・4剤目を選ぶ技術」に投資するより、1剤目と2剤目を十分に使い切るほうが、はるかに成績に効きます。 そして3剤目に進む段階では、紹介や非薬物治療を含めて選択肢を組み替えることを考えたい。
同研究の第3段階では、ミルタザピンへの切り替えの寛解率が12.3%、ノルトリプチリンへの切り替えが19.8%で有意差はなく、リチウム付加が15.9%、甲状腺ホルモン(T3)付加が24.7%でこちらも有意差はありませんでした。ただし副作用による脱落はリチウム付加のほうが多いという結果でした。第2段階では切り替え3群のあいだにも有意差がなく、認知療法の追加は薬剤の追加より寛解到達が遅かったとされています。この段階に来ると、どれを選んでも成績が似てくる――だから選択の理由は効果予測ではなく、その患者が何に耐えられるかに移ります。
「治療抵抗性」という言葉の定義も、確認しておくと役に立ちます。一般的なのは、作用機序の異なる2剤の抗うつ薬をそれぞれ十分量・十分期間使って反応がないものという定義です。段階分類としては、①抗うつ薬1剤無効/②別クラスの抗うつ薬も無効/③三環系も無効/④三環系またはMAO阻害薬も無効/⑤ECTも無効、という並べ方があり、重症度・持続期間・治療回数から多次元的に評価するモデルもあります。注意したいのは、この定義には「効果判定が正しく行われた」という前提が埋め込まれている点です。 効果判定を早すぎる段階で下すと「見かけ上の治療抵抗性」が増え、それが多剤併用の原因になると指摘されています。
「効かない」の中身を分解する
次の一手を選ぶ前に、まず「効かない」という主訴の中身を分けます。ここを飛ばすと、以降の判断すべてが土台なしになります。
まったく反応していないのか、部分反応で止まったのか。評価尺度上の改善が乏しい非反応と、反応はしたが寛解に至らない部分反応は、次の手が違います。部分反応であれば増量や増強が理にかない、まったく動いていないなら切り替えや前提の見直しに重みが移ります。
残っているのは何か。不眠だけが残る、食欲が戻らない、体の痛みが残る、集中できない、意欲が出ない――残遺症状の種類によって足すべきものが変わります。
そして、残遺症状はほぼ必ずあります。抗うつ薬治療後に改善したと判断された患者の90%以上に少なくとも1つの残遺症状があり、最も多かったのは睡眠障害(不眠48.2%、過眠35.9%)と不安(52.7%)でした。睡眠障害の残存は再発・再燃の危険因子とされており、「気分は上がったが眠れない」を放置しないことには予防上の意味があります。逐次治療研究の再発調査では、残遺症状に加えて機能障害とQOL障害が再発の予測因子に挙げられました。個々の残遺症状のうち機能障害に関連したのは中核的な抑うつ症状と疼痛を伴う身体症状で、全身の身体症状と不眠は関連しなかったという解析もあります。欧州の前向き観察研究では、寛解後の再発関連要因として患者自身が主観的に感じる認知機能の残遺症状(記憶・集中力・実行機能)が抽出されました。「頭が働かない」という訴えは、機能面の主訴であると同時に、再発リスクの指標としても扱いたいところです。
評価が食い違うことも織り込む必要があります。 治療抵抗性うつ病102名の検討では、医師による客観評価と患者による主観評価の乖離が、人格障害の併存でより大きく、精神病性の特徴でより小さく、不安の強さと相関したと報告されています。自覚的な改善実感には時間がかかるため、評価尺度を使って改善している点を本人と一緒に確認するのは、次の一手を選ぶ前にできる現実的な手当てです。
特に見落としやすいのが感情の平板化(emotional blunting)とアパシーで、これは治療の不足ではなく抗うつ薬そのものの有害作用として生じえます。抑うつとアパシーの違いは、抑うつでは活動できないことへの葛藤・苦痛があるのに対し、アパシーでは動機づけそのものが欠け、活動しないことへの葛藤が乏しいという点にあります。この差は問診で拾えます。SSRIによるアパシーは長期投与で、かつ用量依存性に生じうるとされており、これを再燃と読んで増量や増強に進むと事態が悪化します。「よくなったはずなのに、うれしいという感じがしない」という訴えは、増強の適応ではなく減量の適応かもしれない、という分岐です。
副作用のために飲めていなかったのではないか。有害作用による脱落は、その薬の効果が不十分だったことの証拠になりません。ここを区別しないと、まだ十分に試していない薬が「効かなかった薬」として候補から外れていきます。
焦燥・不眠・易怒性が増しているのではないか。導入初期であれば賦活症候群、そうでなければ混合性の特徴や双極性の可能性を考える場面です。この場合、次の一手は「足す」ではなく「引く」方向になります。
本当に十分量・十分期間だったのか
「効果不十分」という判断のうち、実際にはこの点検で説明がつくものが相当あります。治療用量で3〜4週たって効果がないとき、成書がまず挙げるのは増量ではなく、アドヒアランスの確認、診断の再考、併存する精神疾患・身体疾患の確認です。順番を逆にすれば、飲めていない薬を増やすだけになります。
期間
効果発現までおよそ2〜3週間、十分量で6〜8週間使ってから効果判定、というのが共通の枠です。9週以上かかる例もあるとされます。見落としやすいのは、用量を上げた日から改めて数え直さなければならないことです。「4週使いました」と言っても、そのうち十分量に達していたのが1週だけなら、まだ判定の土俵に乗っていません。
用量
うつ病では、多くの新規抗うつ薬が最大用量の半分程度で有効性が頭打ちになる可能性が指摘されています。一方強迫症では最大用量まで上げてから効果を判断するのが原則であり、うつ病の感覚を持ち込むと過小治療になります。国内上限が海外より低い剤もあります。セルトラリンの国内上限100mg/日は、米国・EUの200mg/日の半分です。「上限まで使ったのに足りない」という感覚の背景に、この差があることは珍しくありません。
アドヒアランス
国内の単極性うつ病367例の研究では、いずれかの抗うつ薬治療を継続できていた割合は1か月後72.8%、3か月後54.0%、6か月後44.3%でした。決められた服薬期間のうち80%以上きちんと飲めていた人は55.6%です。過半数がどこかで飲めていない、という前提から出発するほうが実態に合います。 責める形で聞くと正確な答えは返ってきません。「飲み忘れる日はどのくらいありますか」ではなく「どんなときに飲めなくなりますか」と聞くほうが情報が取れます。
代謝の個体差
効果不十分と有害作用の出やすさの両方に、CYPの遺伝多型が関わります。日本人ではCYP2C19のpoor metabolizerが2割ほどとされ、この酵素で代謝されるエスシタロプラムでは血中濃度が上がる方向に働きます。逆に、代謝が速いことで濃度が上がらず「効かない」ように見える場合もあります。治療薬物モニタリングが日常的に使えるのは限られた薬剤ですが、通常量で有害作用が強く出る/通常量でまったく反応しないという両極端の症例では、代謝の個体差を疑ってみる意味があります。
併用薬と嗜好品
抗うつ薬の濃度を下げる方向の相互作用も、効果不十分の原因になります。デュロキセチン(サインバルタ)は主にCYP1A2で代謝されるため、喫煙による酵素誘導の影響をまともに受けます。飲酒が続いている場合、抗うつ薬の効果判定そのものが成立しません。
身体疾患・薬剤性の除外
身体疾患にうつ病が併発する率は決して低くありません。成書の表では、心疾患17〜27%、脳血管疾患14〜19%、悪性腫瘍22〜29%、アルツハイマー病30〜50%、慢性疼痛を伴う身体疾患30〜54%に対し、一般人口は10.3%となっています。慢性疼痛の患者の3割から5割にうつ病が併発するという数字は、疼痛科・整形外科からの紹介を考えるときの前提になります。
考え方の軸は単純です。甲状腺機能低下症による抑うつの治療は抗うつ薬ではなく甲状腺ホルモン製剤であり、ある鎮痛薬による焦燥の治療はその鎮痛薬の減量・中止です。 原因が別にあるなら、抗うつ薬を何剤積み上げても届きません。甲状腺機能低下症が躁状態を呈した報告もあり、症状の見え方から原因を推定できるとは限りません。
身体疾患・薬剤性を疑う手がかりとして成書が挙げるのは、中高年での初回エピソード、産後、身体疾患や薬剤・アルコール・薬物の存在、神経症状、体重減少や嗜好の変化、頭部外傷、遺伝性疾患の家族歴、意識の変動や幻視、適切な治療への不応、認知機能低下、説明のつかない検査異常、そして因果関係が整いすぎている場合です。このリストに「適切な治療への不応」が入っていることに注目してください。 効かないという事実そのものが、身体疾患を疑う理由になります。
睡眠の問診も外せません。病歴聴取の項目に夜間・日中の睡眠時間、いびき、日中の眠気が明示されている成書があります。不眠・倦怠感・意欲低下・日中の眠気の背景には、睡眠時無呼吸症候群、レストレスレッグス症候群、身体疾患、飲酒、生活リズムの乱れ、薬剤性がありえます。難治例・遷延例ではアルコール乱用が原因になっていることが多く、断酒や物質の離脱が不可欠とされています。強迫症・パニック症・社交不安症の併存、ASD・ADHDの併存でも薬剤選択が変わります。血液検査と睡眠・飲酒の問診を一度やり直す手間は、3剤目を選ぶより安い。
増量が向く場面と、増量では届かない場面
まず、増量・切り替え・増強を並べる順序について、成書が示している切り分けがあります。 低用量で反応がないときは、有害作用が問題にならない範囲でまず十分量まで増量する。十分量に到達しておよそ4週たった時点で、「ほとんど反応がない」なら薬剤変更、「一部改善したがそれ以上伸びない」部分反応なら増強――これが、日本うつ病学会のガイドラインに基づく急性期の原則です。つまり増量は3つの選択肢の一つではなく、切り替えと増強の前に置かれた前提です。 そのうえで、増量そのものについては次のような限界があります。
増量は最も手数が少なく、患者の抵抗も小さい選択です。しかし成書上の裏付けは、思ったほど強くありません。
上限の目安も示されています。 メタ解析ではイミプラミン換算250mgまでは用量依存的に効果が増すが、それ以上は改善率が頭打ちになる一方、副作用の頻度は用量とともに上がり続ける。したがってイミプラミン換算で1日200〜250mg程度が最高使用量の目安、というのが成書の結論です。等価換算が役に立つのは、多剤併用の全体量を把握するときだけではありません。単剤の増量にどこで線を引くかを考えるときにも使えます。
そして、「最初から多めに出す」ことに利点はないという国内データがあります。 日本の多施設大規模ランダム化比較試験で、セルトラリン50mg群970名と100mg群1,041名(計2,011名)を比較したところ、9週後の反応率は50.9%対53.9%、寛解率は43.6%対39.9%で、いずれも有意差はありませんでした。初期用量を倍にする利点は示されなかったわけです。同じ試験で、3週時点で寛解に至らなかった1,646名を、そのまま継続する群・ミルタザピンを併用する群・ミルタザピンへ変薬する群に割り付けると、9週時点の反応率は約43%/52%/50%、寛解率は25%/36%/32%で、併用と変薬が継続に有意に優りました。 ただし25週後にはこの差は消えています。読み取り方は二つあります。早めに手を打つことには短期的な意味がある。しかし長期の到達点は変わらないかもしれない。どちらも覚えておきたい示唆です。
増量が理にかなうのは、部分反応があって有害作用に余裕がある場合です。 用量を上げる余地があり、上げたことで実際に反応が伸びた経験がその患者にあるなら、続ける根拠になります。
逆に、増量が効きにくい場面が二つあります。 一つは、そもそも用量反応関係が乏しい剤の場合です。SSRIについては、治療効果が用量反応性に相関せず増量は推奨しないという報告もあります。もう一つは、増量のタイミングが遅い場合です。ミルタザピン(リフレックス)のデータでは、15mgで1週時に改善がない場合の30mgへの増量は6週時の改善度を有意に高めたのに対し、30mgで2週時に改善がない場合の45mgへの増量では差が出ませんでした。増量が効く窓は、思ったより早い時期にあるかもしれない、という示唆です。
そして、増量には天井があります。 用量を上げるほど有害作用は確実に増えます。エスシタロプラムは用量依存的にQTが延びる傾向があり、SSRI全般で嘔気・不眠・性機能障害・低ナトリウム血症の頻度は用量とともに上がります。「効かないからもう一段上げる」を反射的に3回繰り返すより、2回目で切り替えか増強に移るほうが理にかなう場面が多いはずです。
なお、増量の余地が制度上ほとんどない剤があることも設計に関わります。エスシタロプラム(レクサプロ)は10mg/日開始・20mg/日上限で、実質的な増量ステップが1段階しかありません。この剤で「増量する」を選べるのは一度だけです。導入時にこの剤を選ぶということは、次の一手が早めに切り替えか増強になる、という選択でもあります。
切り替えが向く場面と、切り替え方の3つの型
切り替えを選ぶ理由は大きく二つです。まったく反応していないか、有害作用のために用量を上げられないか。後者であれば、切り替えは実質的に唯一の選択です。前者では、切り替えと増強のどちらを選ぶかで判断が分かれます。
ただし前提として、他剤への変更が第一選択薬の継続に優ることを示す明確なエビデンスはないとされています。それでも複数のガイドラインが第一選択薬無効時の手段として切り替えを推奨しており、現場では選ばれ続けています。この「根拠は弱いが選択肢として残る」という位置づけを知っておくと、切り替えを繰り返すことへの歯止めになります。
同じクラス内での切り替えに意味はあるのか。これはあるとされています。SSRIは化学構造が薬ごとにかなり異なり、受容体プロファイルや相互作用の性格も一様ではないため、クラス内の変更で反応する例があります。一方で、同一機序のSSRI内での変更より、NaSSAやSNRIなど作用機序の異なるクラスへ変更したほうが寛解率が高いというメタ解析もあります。クラス内スイッチには意味があるが、クラス間スイッチのほうが期待値は高い、というのが穏当な読み方でしょう。
三環系への変更を選択肢から外さない――これも覚えておきたい点です。カナダのガイドラインでは第一選択としてデュロキセチン・ミルタザピン・セルトラリン・エスシタロプラム・ベンラファキシンが並び、第二選択にアミトリプチリン・クロミプラミン・MAO阻害薬が置かれています。前述の段階分類でも、第3段階に三環系、第4段階に三環系またはMAO阻害薬が置かれています。三環系へ替える場合も、三環系を少量から開始・漸増しながら、それまでの新規抗うつ薬を漸減中止するという同じ型をとります。ただし三環系は新規薬よりQT延長のリスクが高く、使用前後に心電図が必要です。
切り替えの原則は、抗うつ薬に限らず「受容体特性・半減期・離脱と反跳の有無を考えたうえで、急な中止と一律の交差漸減のどちらも避ける」ことだとされています。「いつもこの方法」がない、というのが原則そのものです。現場でとる型は3つに分かれます。
上乗せしてから抜く
新しい薬を先に乗せ、その後で元の薬を減らします。SSRI同士、あるいはSSRIからSNRIやミルタザピンへ移る場合の基本形です。離脱の谷を作らずに移れる利点があり、一方で一時的に2剤が重なるため、セロトニン作動薬同士では有害事象の窓が開きます。
重ねずに入れ替える
低用量同士であれば、この型をとった報告があります。前向き研究では、セルトラリン50mgをパロキセチン20mgへ1週間で切り替え、その後20〜40mgで調整しています。
休薬期間を置く
重篤な有害事象が理由の変更では、前の薬をいったん中止して休薬期間を取り、その後で新しい薬を漸増するのが原則です。セロトニン症候群やそれに準じる事象が疑われた場合の切り替えは、この型になります。
型の選択は、元の薬が離脱を出しやすいかどうかでほぼ決まります。 パロキセチン(パキシル)は自身の代謝酵素を阻害するため血中濃度が非線形に動き、少し減らしただけで濃度が急落します。抗コリン作用によるコリンリバウンドも重なり、SSRIのなかで最も中止しにくい部類です。急激な中断で3割前後、漸減であれば5%以下という報告があり、この差はそのまま切り替え設計に反映されます。フルボキサミン(フルボキサミン)も半減期が短く離脱が出やすい。逆にセルトラリン(ジェイゾロフト)とエスシタロプラムは半減期が長く、比較的スムーズに減らせます。
切り替えの失敗には、決まった型が二つあります。
一つは、途中で悪化したときに元の薬を戻してしまうこと。切り替え中の再燃には、被置換薬を戻すのではなく置換薬の増量で対応する、という原則が示されています。戻してしまうと、切り替えが未完のまま2剤が残り、どちらの薬も評価できない状態になります。
もう一つは、離脱・反跳症状を「新しい薬が効いていない」と読み違えること。元の薬を抜いたことで生じた不眠・悪心・焦燥・電撃様の感覚異常が、置換薬の無効あるいは有害作用として記録され、まだ評価できていない薬が候補から外れる。これは抗精神病薬の切り替えについて明示されている落とし穴ですが、離脱の出やすいパロキセチンやフルボキサミンから抜けるときにも同じことが起こります。中断症状は FINISH(Flu-like symptoms/Insomnia/Nausea/Imbalance/Sensory disturbances/Hyperarousal)としてまとめられ、感覚異常が出るのがこの症候群の特徴的なところです。うつの再燃と取り違えないための手がかりになります。
そして切り替えは、患者の同意を取る場面でもあります。到達目標と方法を先に決めて説明し、再燃の兆候が出たときに本人がどう動くかを事前に話し合っておくという手順が、成書では切り替えの一部として書かれています。切り替え前に「何が起きたら連絡するか」を決めておくと、離脱と再燃の区別が本人の側からも報告されるようになります。
増強が向く場面と、選択肢ごとの実際
まず、増強と切り替えのどちらを先に置くかという問題があります。 2013年のWFSBPガイドラインでは、スイッチングより増強療法のほうがエビデンスレベル・推奨度とも高いとされています。切り替えのほうが直感的に理解しやすく、患者にも説明しやすいのですが、根拠の強さでは逆になります。
増強が向くのは、部分反応があって、その薬を残す意味がある場合です。いま飲んでいる抗うつ薬で確かに何かが動いた、しかし届かない――このとき切り替えれば、動いた分を捨ててしまいます。逆に、まったく反応していない薬に何かを足すのは、土台のない上に建てる作業に近づきます。
もう一つ、増強には速さの利点があります。切り替えは新剤の効果発現を待つあいだ谷を作りますが、増強では既存の効果を維持したまま上乗せを狙えます。急性期で待てない症例では、この差が大きく効きます。
増強で選ぶのは、作用機序の重ならない薬剤です。 抗うつ薬に抗うつ薬を足すのは増強ではなく、原則として有効性を高めないとされる2剤併用にあたります。ただしミルタザピン・ミアンセリンの付加はこの原則の例外として扱われており、後述のとおり条件付きで増強の選択肢に入ります。
以下、選択肢ごとの実際です。適応の有無が剤ごとに違うので、そこを最初に確認してください。
アリピプラゾール付加
アリピプラゾール(エビリファイ)は、国内では「うつ病・うつ状態(既存治療で十分な効果が認められない場合に限る)」として2013年6月に適応を取得しており、この用途については適応内です。効能書きは既存治療の種類を限定していないため、SSRI/SNRIで効果不十分だった症例に限らず、三環系やミルタザピンで足りなかった症例への付加も適応内と読めます。ここを狭く理解していると、使える場面を自分で狭めてしまいます。国内でうつ病・うつ状態に適応をもつ第二世代抗精神病薬は、アリピプラゾールと、後継のブレクスピプラゾール(レキサルティ)の2剤です。 増強の選択肢として名前が挙がる薬のほとんどが適応外であるなかで、この2剤だけが適応内という位置づけになります。ブレクスピプラゾールの効能書きもアリピプラゾールと同じく「既存治療で十分な効果が認められない場合に限る」という限定つきで、用法は1日1回1mgから、忍容性に問題がなく効果が不十分な場合に限り2mgまでとされています。増量幅がここまで狭く規定されている点が、アリピプラゾールとの実務上の違いです。
用量については、成書に3〜15mg/日という幅の記載がある一方、3mg/日前後で、2〜5mg/日までは用量依存的だがそれを超えると有効性は頭打ちになるという記述、そして1.5mg/日から始めてせいぜい9mg/日までという運用が並んで書かれています。処方例として3mg分1を挙げる成書もあります。ただしこの1.5mg/日開始は、添付文書の開始用量(3mgを1日1回)より低く、添付文書外の用量設計にあたります(後述するオランザピン・クエチアピン・リスペリドンの少量開始と同じ性質のものです)。つまり増やせば効くという薬ではありません。 15mg/日まで上げるとこの薬本来の賦活作用が消される印象という記述もあり、増強で足す量と統合失調症で使う量は目的が違うと理解しておく必要があります。
副作用はアカシジアです。第二世代抗精神病薬のなかでも、オランザピン(ジプレキサ)・クエチアピン・クロザピンではアカシジアが少なく、D2部分作動薬では多いとされています。増強で足した直後にそわそわ感・じっとしていられない感じが出たとき、これをうつの悪化や賦活症候群と読み違えると、抗うつ薬を触るという誤った方向に進みます。区別のコツとして、「こころが落ち着かないのか、身体が落ち着かないのか」を聞き分ける方法が示されています。身体側であればアカシジアを疑い、増強薬の減量で改善しうる。事前にアカシジアが起こりうることを説明し、対処薬を頓用として持たせておくという運用を挙げている成書もあります。なお欧米でアカシジアの第一選択とされるプロプラノロールをこの目的で使うのは国内では適応外です。
遅発性ジスキネジアの頻度についてもメタ解析があり、第1世代30%、第2世代21%、第2世代のなかではアリピプラゾール<リスペリドン(リスパダール)<クエチアピン<オランザピンの順に発症率が高いとされています。アリピプラゾールが相対的に低い側にあるとはいえ、ゼロではありません。 増強をいつまで続けるかを決めずに始めると、この問題が数年後に現れます。
炭酸リチウム付加
単極性うつ病に対する炭酸リチウム(リーマス)付加は適応外使用です。 そのうえで成書は、治療抵抗性うつ病への増強としてメタ解析が最も豊富であり、現時点では増強の第一選択とすることが推奨されるとしています。適応の有無と根拠の強さが逆になっている、扱いの難しい選択肢です。
ただし相手を選びます。 リチウムの増強効果は三環系で発揮されやすく、SSRI/SNRIでは発揮されにくいという報告があります。三環系とSSRIには共通して増強効果が確認されているが、SNRIへの有用性は十分検証されていないという記載もあります。SSRIに反応しない患者にリチウムを足すという最も起こりやすい場面が、実はいちばん根拠の薄い組み合わせかもしれません。
用量と濃度については、増強としての適切な用量・有効血中濃度に結論は出ていません。一般には1日400〜1,200mgで有効血中濃度域に維持するとされますが、増強では0.4mEq/L前後の低濃度でも増強できることがあるという記載があり、付加時の目安として0.4〜1.0mEq/Lを挙げる成書もあります。処方例として炭酸リチウム100〜200mg分1眠前という少量から示す成書もあります。双極性障害では十分量が必要だが、うつ病の補助療法では少量で足りるかもしれない――この違いを知らずに双極性障害の感覚で用量を組むと、必要のないリスクを負わせます。
もっとも、少量で足りるとしても濃度管理から逃れられるわけではありません。有効濃度は0.4〜1.2mEq/L(文献により0.6〜1.0)とされ、抑うつに対しては0.9mEq/L前後まで上げると緩徐に改善するという古い報告もあります。中毒濃度は一般に1.5mEq/L以上、2mEq/Lを超えると生命に危険が及び、2.5mEq/L以上では不可逆的な障害・致死的とされます。高齢者では0.4〜0.8mEq/Lが推奨されています。治療域と中毒域が近い薬であることが、増強の選択肢としての性格を決めています。
禁忌の並びは、この薬を外来で使う難しさをそのまま表しています。 現行の添付文書では、①てんかん等の脳波異常のある患者、②重篤な心疾患のある患者、③リチウムの体内貯留を起こしやすい状態にある患者——腎障害、衰弱または脱水状態、発熱・発汗または下痢を伴う疾患、食塩制限中——、④妊婦または妊娠している可能性のある女性、が禁忌として挙げられています。注目したいのは③です。 腎障害や心疾患は初診時に拾えますが、脱水・発熱・発汗・下痢・減塩指導は外来のあいだに後から発生する禁忌です。つまりリチウムを足すという判断は、開始時点の適否を確認して終わる話ではありません。以後その患者に脱水や発熱のエピソードが起きるたびに、継続の可否を問い直し続けることになります。夏場の発熱・下痢・食思不振は「濃度を測る理由」であるだけでなく、その期間だけでも禁忌に該当しうる状態です。減塩の食事指導を他科から受けている患者も同様で、栄養指導の内容を把握していないままリチウムを維持することはできません。
濃度の測り方には型があります。投与開始・増量から5日〜1週間で定常状態に達するため、初期と増量時は週1回、維持量に入れば3か月に1回、いずれも早朝の服薬前(トラフ値)で測ります。副作用の頻度は決して低くありません。成書が挙げる数字は手指振戦27%、多尿30〜35%、甲状腺機能低下5〜35%、記憶障害28%、体重増加19%、鎮静12%、消化器症状10%です。長期治療では腎機能障害が25%に認められ、非服用者に比べてリスクが2倍という報告もあります。まれに徐脈・洞機能不全症候群も挙がります。「増強のために1剤足すだけ」と説明できる薬ではありません。 閾値下の甲状腺機能低下(TSHが5μIU/mLを超える)に対しては、リチウムの減量か甲状腺ホルモンの追加が推奨されます。振戦が出た場合は減量、あるいはプロプラノロールやカルテオロールといったβ遮断薬を少量用いることもあるとされます。ただしβ遮断薬を薬剤性振戦に用いるのは、前述のアカシジア対策と同じく国内では適応外使用です(本態性振戦に適応をもつβ遮断薬はありますが、リチウム誘発性の振戦はその適応に該当しません)。抗コリン薬ではなくβ遮断薬を選ぶ点が、パーキンソニズムによる振戦との違いです。
消化器症状や振戦は治療域内でもしばしば見られ、消化器症状は治療初期に出て継続とともに消えていくことが多いとされます。したがって「飲み始めの吐き気」で中止するかどうかは、中毒の徴候と見分けたうえで決めます。 中毒の症状は消化器(嘔気・嘔吐・下痢)、心(QT延長・徐脈)、神経(振戦・運動失調・構音障害・混乱や焦燥・意識障害・けいれん)に及びます。運動失調や構音障害が加わっていれば、それは初期の慣れの問題ではありません。
そしてリチウム付加で最も現実的な事故は、飲み合わせです。 濃度上昇の誘因として挙がるのは、NSAIDs(COX-2阻害薬を含む)、利尿薬、ACE阻害薬・ARBといったレニン-アンジオテンシン系阻害薬です。心不全の治療でループ系・チアジド系利尿薬、抗アルドステロン薬、ACE阻害薬、ARBが使われている場合はとくに注意します。整形外科から鎮痛薬、内科から降圧薬が出ている患者は外来にいくらでもいます。増強でリチウムを選ぶとは、以後その患者が市販の痛み止めを飲む場面まで管理下に置くということです。 これを説明しないまま処方するのは危険です。前述の脱水・発熱・下痢・減塩と合わせると、濃度が動く経路のほとんどが精神科の外来の外にあるわけです。加えて、催奇形性(エプスタイン奇形)の観点から妊婦・妊娠している可能性のある女性には禁忌であり、妊娠可能年齢の女性では増強の選択肢としての優先順位が下がります。
クエチアピン付加
単極性うつ病に対するクエチアピン(セロクエル)付加は適応外使用です。 単極性うつ病への増強として150〜300mg/日を目標にするという記載があります。一方、双極性障害の抑うつエピソードについては徐放錠300mg/日が推奨として挙げられ、治験で300mg群がプラセボより有意な抗うつ効果を示しています。徐放錠の増量例として、50mg分1眠前で開始し、2日以上あけて150mg、さらに2日以上あけて300mg分1眠前という組み立てが示されています。同じ薬剤名でも、剤形と対象病名によって適応の有無が変わります。 処方時に添付文書で確認するほかありません。
副作用の性格は明確です。クエチアピンとオランザピンはいずれも食欲増加・体重増加・脂質異常・血糖上昇を来しやすく、糖尿病の患者には禁忌です。耐糖能障害は糖尿病性ケトアシドーシスによる死亡例も報告されており、増強で足す薬の副作用として軽くありません。増強で体重が増えることは、それ自体がアドヒアランスを落とし、身体リスクも上げます。血糖・脂質・体重を測らずにこの系統を足し続ける運用は成立しません。
なお、気分安定薬への追加による再発予防をみたメタ解析では、クエチアピンのみが躁エピソードにも抑うつエピソードにも有意な予防効果を示し、アリピプラゾール追加は躁エピソード予防のみ、オランザピン追加は抑うつエピソード予防のみが有意だったとされています。双極性の見立てに傾いた場合の選択には、この差が関わってきます。
ラモトリギン付加
単極性うつ病に対するラモトリギン(ラミクタール)付加は適応外使用です。 双極性障害では抑うつの治療と再発予防に向くとされ、抗躁効果は認められません。うつ病領域での増強のエビデンスレベルは低いとされ、付加用量として25〜400mg/日という幅の記載があるにとどまります。双極性障害では気分エピソードの再発・再燃抑制に適応をもち、抑うつエピソードへの単剤治療は推奨されるものの国内では保険適用外です(推奨の記載は200mg/日)。
この薬の実務は、ほとんどすべてが漸増スケジュールの話です。併用薬なしの場合は25mg分1を2週間以上、次に50mgを分1〜2で2週間以上、次に100mgを分1〜2で1週間以上、以後200mgを分1〜2で維持する。バルプロ酸を併用している場合は別の表になります。 25mg分1隔日を2週間以上、25mg分1連日を2週間以上、50mgを分1〜2で1週間以上、以後100mgを分1〜2で維持し、最大量も通常400mg/日に対して併用時は200mg/日を超えないとされています。カルバマゼピン併用時はさらに別の表です。併用薬を確認せずにこの薬を足すことは、それ自体が重篤な有害事象のリスクを作ります。 有効血中濃度は5〜11μg/mLとされ、投与量から濃度を予測する式も示されています。
服薬が途切れたときの扱いも、この薬に固有です。 中断が一定期間以上に及んだ場合は初期量から再開する必要があり、その期間の目安は通常170時間(約7日)、バルプロ酸併用時350時間(約14日)、カルバマゼピン併用時65時間(3日弱)です。「前と同じ量で再開してください」と言ってはいけない薬であり、これは受付や電話対応の場面でも起こりうる事故です。
急ぐと皮疹が出ます。 発疹そのものは珍しくなく、およそ10人に1人に手背などの赤い発疹が生じ、その大半は減量や中止で消えていくという記述があります。問題は、そのうちどれだけが重症薬疹に進むかです。 ここは資料によって見積もりが動きます。成書で示されている頻度は約1,000人に1人(0.1%オーダー)で、これがいちばん引かれる数字です。一方で、発疹が出た患者の1割ほど――全体では約1%――が全身に広がってスティーブンス・ジョンソン症候群に至るとする記述もあり、10倍の開きがあります。添付文書は重大な副作用としてスティーブンス・ジョンソン症候群の頻度を0.5%と記載していますが、これは母集団と調査条件を確認しないと横並びに比較できない数字です。読み方としては、0.1%オーダーを基準に置きつつ、条件次第で1桁上がりうるものとして扱うのが安全です。 その「条件」がはっきりしていることが重要で、リスク因子はバルプロ酸併用・小児・投与8週以内、そして指定量より早く多く使うことです。急速増量例を含めた見積もりが高く出るのは、この用量依存性の裏返しと考えられます。皮疹が多いのは開始後1〜2か月ですが、それ以降も注意を続けます。増強を急ぎたい局面でいちばん急いではいけない薬であり、「効果不十分だから早く上げたい」という動機がそのまま重篤な有害事象につながります。重症薬疹の3主徴は発熱・粘膜症状・紅斑で、疑ったら被疑薬を中止して皮膚科へ紹介します。皮疹が出たら中止して再投与しないこと、そして患者に「発疹が出たら自己判断で続けず連絡する」と伝えておくことが、この薬を選ぶことの一部です。
甲状腺ホルモン付加
うつ病に対しては適応外使用です。 T3の三環系への追加投与の有効性は確認されている一方、SSRIへの追加のエビデンスは現時点で乏しいとされます。ここでもリチウムと同じで、根拠が確かめられている相手は三環系です。海外ではT3による増強が多い一方、国内ではレボチロキシン(T4)による増強が多く行われているという記載があります。用量はT3で25〜50μg/日、レボチロキシンでは12.5〜25μg分1朝から試して効果と忍容性をみて50μg分1程度まで、という例が示されています。甲状腺機能が低下していなくても用いるもので、機能が正常範囲内でもfT3が低め・TSHが高めのときに効果が得られる可能性が指摘されています。ただしSSRIを甲状腺ホルモンで増強すると不眠や焦燥が悪化することがあるとされ、賦活が問題になっている症例では選びにくい。
そのほかの増強
以下はいずれも適応外使用です。 成書に並ぶのは、オランザピン付加2.5〜15mg/日、リスペリドン付加0.5〜3mg/日、SSRI/SNRIへのミルタザピン30〜45mg/日の付加、亜鉛25mg/日、ω3脂肪酸1〜2g/日、プラミペキソール0.125〜3mg/日などです。注目したいのは、これらを挙げている成書自身が、過鎮静を避けるためにオランザピンなら1mg/日から、クエチアピンなら12.5〜25mg/日から、リスペリドンなら0.25mg/日から始めると書いている点です。 添付文書の用量設定よりはるかに低い域から入るという運用であり、これも添付文書外の用量設計になります。抗うつ薬同士の併用は原則として推奨されませんが、SSRIにミルタザピンやミアンセリンを併用すると抗うつ効果が増強するという報告は例外的に存在します。プラミペキソールについては、RCTの結果がまちまちで増強の優先順位は高くないという評価もあります。
そして、増強の選択肢全体に対する重要な留保があります。 非定型抗精神病薬による増強は有害作用による脱落率が高く、他の増強よりコストもかかり、いつまで続けるかの研究もほとんどないとされ、そのうえで非定型抗精神病薬の増強より、三環系単剤への変更やリチウム増強が優先されるべきだと明記している成書があります。臨床の実感としては非定型抗精神病薬の付加が最も手を出しやすいのですが、成書の推奨順はそれと逆向きです。「やりやすい順」と「勧められる順」がずれていることは、意識しておきたい点です。 なお治療抵抗性うつ病に対してはリスペリドン・オランザピン・アリピプラゾールがほぼ同等に有効性を示し、クエチアピンはややエビデンスに劣る傾向、という報告もあります。
適応外の増強を説明するときには型があります。 成書に示されている言い方は、「本来は統合失調症の薬だが、うつの薬と合わせて使うことで抗うつ効果を強めることが分かっている。あなたが統合失調症という意味ではない」というものです。加えて、患者はmg数にも目が行くので、数百mgでも相対的には他剤の数十mgと同等だと触れておくとよいとされています。この一言があるかないかで、翌月その薬が残っているかが変わります。
非薬物の増強
支持的精神療法に加え、認知行動療法や対人関係療法を急性期に薬物療法と併用すると増強効果があるとされています。薬物療法に精神療法を併用すると単独治療より再発予防効果が高まるとするメタ解析も複数あります。「増強」という言葉を薬に限定しないほうが、選択肢は広くなります。
なお、双極性障害と判断が変わった場合には、増強の考え方そのものが逆向きになります。気分安定薬や非定型抗精神病薬に抗うつ薬を追加するメタ解析では、効果はあるが反応・寛解に至るほどではなく、52週間で躁転率が有意に上昇したとされています。ここから導かれる運用は、抗うつ薬の併用は短期にとどめ、よくなれば外す、というものです。
増強・切り替えを始めた直後に見ておくもの
2剤が重なる時期には、単剤では起こらない事象が出ます。増強を決めた日のうちに、次の受診で何を確認するかまで決めておきます。
セロトニン症候群
発生率は1%以下とされますが、大量服薬と併用療法がリスクになります。SSRI単独投与では少なく、リチウムやトラゾドン(デジレル)など他のセロトニン作動薬と併用した場合に出やすいとされています。つまり増強と交差漸減の時期が、この症候群のいちばんの窓です。
そして悪性症候群との鑑別が問題になります。 増強で非定型抗精神病薬を足した患者が発熱と筋緊張で受診したとき、どちらの可能性もあるからです。鑑別で最重要なのは発症までの時間で、セロトニン症候群はほとんど24時間以内に始まるのに対し、悪性症候群は数日から数週間かかります。所見としては、腱反射亢進やミオクローヌスは悪性症候群では非常に稀で、セロトニン症候群を強く示唆します。 嘔気・嘔吐・下痢はセロトニン症候群の前駆症状で、悪性症候群では珍しい。CK上昇は悪性症候群で有名ですが、セロトニン症候群でも筋硬直が強ければ上昇しうるため、これだけでは分けられません。両者とも治療の根幹は原因薬剤の中止・輸液・冷却で、そこは共通です。注意したいのは、抗うつ薬と少量の非定型抗精神病薬が併用されている処方ではどちらが原因かを薬剤クラスだけでは判断できないため、病歴とお薬手帳の確認が欠かせないという点です。
リチウム中毒
大量服薬した場合、リチウムが小腸で塊を作って時間差で急激に濃度が上がることがあります。初回の測定値が低くても帰宅させず、2〜3時間後に再測定するのが鉄則です。過量服薬のリスクがある患者にリチウムを渡すという判断には、この性質が付いてきます。処方日数と手元に残る量の設計は、増強を決める時点で考えておく問題です。
アカシジアと賦活の区別
非定型抗精神病薬を足した直後の焦燥はアカシジアの可能性があり、抗うつ薬を増やした直後の焦燥は賦活症候群の可能性があります。同じ日に両方を動かすと、どちらが原因か永久に分からなくなります。 増強と増量を同時にやらない、というのは薬理学ではなく検証可能性の話です。
代謝系のモニタリング
非定型抗精神病薬を足すなら、体重・血糖・脂質のベースラインを増強開始前に取っておく必要があります。開始後に測って高値だったとき、増強の影響なのか元からなのかが分からなくなります。
血算を忘れない
ミルタザピンやミアンセリンを足す場合、骨髄抑制のリスクが他の抗うつ薬より高いとされます。ミアンセリンの造血障害は用量依存性でおよそ1/5,000、ミルタザピンによる無顆粒球症はおよそ1/1,000という数字が示されています。これらの薬剤やバルプロ酸・カルバマゼピン・抗精神病薬を使うときは、血算を年1回以上とります。
臨床検査の枠を先に取る
成書には抗うつ薬使用時の身体モニタリング項目が表として示されています。身長・体重・BMIは最初の6か月は受診日ごと、以後は年4回以上。血圧・脈拍はベースラインと3か月後、以後年1回以上(用量設定中は受診ごと)。肝機能・腎機能・CPK・電解質(リチウム内服中はカルシウムを含む)・血糖は年1回以上。脂質は少なくとも5年ごと。心電図はQTに影響する薬剤の使用時と、40歳以上でリチウムを使う場合。錐体外路症状の評価は受診日ごと。リチウムなら維持期にも1〜3か月ごとの血液検査で濃度・腎機能・甲状腺機能を確認し、年1回以上の心電図をとります。増強のたびに見るものが増えるという事実そのものが、増強を1剤に絞る理由になります。
どれも効かないとき――診断を見直す観点
増量・切り替え・増強を一巡しても動かないとき、次に増やすべきは薬ではなく情報です。
最優先は双極性障害の除外です。 これは慎重さの表明ではなく、頻度の問題です。うつ病と診断された患者を12〜18年追跡した50以上の研究のメタ解析では、22.5%が双極性障害へ診断変更されており、特に最初の5年間に多かったとされています。平均31歳のうつ病約9万人を7.7年追跡した研究では8.4%が双極性に変更されました。5人に1人前後が、経過のなかで診断が変わるという前提で外来を見ているかどうかが、この局面の判断を分けます。
手がかりは大きく3つの方向から集まります。
ひとつは症状の質。眠りが減るのではなく増える、食欲が落ちるのではなく増して体重も増える、鉛のように体が重い――こうした「非定型」の色合いです。
もうひとつは経過。発症が若いこと(目安として25歳以前)、うつのエピソードが年2回以上と頻回に繰り返されること、周産期に始まったこと、そして抗うつ薬を使ったときに躁転したり、以前は効いていた薬が効かなくなってきたことが手がかりになります。この最後の項目は、まさに「効かない」という主訴と重なります。 抗うつ薬への反応が回を追うごとに悪くなるのは、単に治療抵抗性が増したという話ではないかもしれません。
3つめは背景。双極性障害の家族歴、過去に精神病症状を伴ったエピソードがあるかどうかです。強い希死念慮も、単極性うつ病だけの所見として扱わないほうがよいとされます。
これらが揃うほど双極性の可能性は高まり、判断が変われば治療そのものが変わります。双極性障害への抗うつ薬単独投与は不安定化や急速交代化を招くため避けるのが原則で、やむを得ず使った場合も半年以内の中止を検討します。 つまりこの見立てが正しければ、「効かない抗うつ薬に何かを足す」という方向そのものが誤りで、抗うつ薬を抜きながら気分安定薬に軸を移すことが治療になります。増強の選択肢としてリチウム・クエチアピン・ラモトリギンが並ぶのは、この見立てと地続きです。
そして、軸を移した先でも適応の確認が必要です。 双極性のうつに対する推奨として成書に並ぶのは、クエチアピン徐放錠300mg/日、リチウム、オランザピン5〜20mg/日、ルラシドン20〜60mg/日、ラモトリギン200mg/日ですが、このうちクエチアピン徐放錠・オランザピン・ルラシドン以外は国内では保険適用外と明記されています。つまりリチウムとラモトリギンは、双極性のうつに対しても適応外使用という位置づけです。三環系や抗うつ薬単独は推奨されません。維持療法で最も推奨されるのはリチウムとされ、これは適応内です。
混合性の特徴や急速交代型が見えたときには、選ぶ薬が変わります。 混合状態・急速交代型は自殺リスクが高く、混合状態では炭酸リチウムよりバルプロ酸が優越すると推奨されています。バルプロ酸はリチウムと違って再発回数の多い患者・焦燥感の強い患者・混合状態・ラピッドサイクラーに効きやすく、不機嫌な不快躁病にも向くという記述があります。急速交代型は過去12か月で4回以上の気分エピソードと定義され、双極症全体の約10〜20%とされます。ラピッドサイクリングにはリチウムが効きにくい。「効かない」の背景に急速交代化があるなら、増強で足すべきものはリチウムではありません。
ただしバルプロ酸には、この推奨をそのまま適用できない二つの制約があります。
一つは適応です。バルプロ酸の国内の効能・効果は各種てんかん、躁病および躁うつ病の躁状態、片頭痛発作の発症抑制であり、抑うつエピソードの治療や再発予防はここに含まれません。混合状態のうち躁状態として扱える部分を超えて使うなら、リチウム・ラモトリギンと同じく適応の範囲を確認したうえでの使用になります。
もう一つが、こちらのほうが重い妊娠関連のリスクです。バルプロ酸の催奇形性は気分安定薬のなかで最も頻度が高く、妊娠の可能性がある女性には投与しないほうがよいと成書に明記されています。添付文書でも、二分脊椎児の出産例が対照群より多いという報告、心室中隔欠損などの心奇形や口蓋裂・多指症といった外表奇形の報告、出生児のIQが他剤より低かったという報告、自閉症発症リスクが高かったという報告が並び、躁状態への使用でも治療上やむを得ないと判断される場合を除き妊婦・妊娠している可能性のある女性には投与しないという扱いです。抗てんかん薬単剤での大奇形発現率を比較した研究では、ラモトリギン2.8%・カルバマゼピン5.5%に対しバルプロ酸は10.3%で、しかも用量が上がるほど率も上がりました(てんかん患者を対象としたデータで、そのまま双極性障害に外挿はできません)。
したがって優先順位は患者によって逆向きになります。 前述のとおりリチウムも催奇形性の観点から妊婦・妊娠している可能性のある女性には禁忌ですが、妊娠する可能性のある女性では、リチウムよりバルプロ酸を優先するという成書上の並びをそのまま当てはめず、ラモトリギンなど別の気分安定薬を先に検討するのが基本です。「混合状態だからバルプロ酸」という一手は、相手が妊娠可能年齢の女性であれば、選ぶ前にもう一段の検討が必要です。
なお抗うつ薬使用中に躁転した場合、DSM-5では抗うつ薬の効果を超えて症状が続くなら双極性障害と診断するという扱いになります。「薬のせいだから双極性ではない」と片づけられるわけではないという点は押さえておく必要があります。
双極性以外では、精神病性の特徴も治療抵抗性の背景として重要です。 精神病性の特徴はうつ病の15%、老年期うつ病では45%に上るとされ、精神病性うつ病はプラセボ効果に乏しく、しばしば治療抵抗性です。抗うつ薬のみで改善するのは約30%、抗うつ薬に抗精神病薬を併用した場合の有効性は40〜100%とされ、併用の検討、無効なら薬剤変更、未実施ならECTという流れが示されています。妄想を伴っているかどうかを確認せずに増強を重ねるのは、順序が違います。 うつ病の治療過程で妄想が生じたときには双極性障害の可能性をより強く疑い、年齢や認知機能によってはレビー小体型認知症も考えます。
軽躁は、患者からの自発的な申告がほとんど期待できないという点も実務的に重要です。本人にとって軽躁期は調子がよかった時期であり、病気の症状として語られません。「いちばん調子がよかったときはどんな感じでしたか」「そのとき睡眠はどうでしたか」「あとから振り返って、やりすぎたと思うことはありましたか」という聞き方、そして家族から見た印象を別に聞くことが実際に情報を増やします。
双極性以外に見直したいのは、次のような点です。併存する不安症・強迫症・PTSD・発達特性が主たる機能障害を作っている場合、抗うつ薬の増強では届きません。パーソナリティの問題や慢性の対人ストレスが持続因子になっている場合も同様で、薬物療法の目標そのものを再設定する必要があります。物質使用(とくにアルコール)は、効果を打ち消すだけでなく治療関係も不安定にします。そしてうつ病の症状ではなく治療の副作用――前述の感情の平板化・アパシー――が「効いていない」の中身であることもあります。
広げすぎないための線引きと、紹介の判断
最後に、やらないことを決めておく必要があります。
抗うつ薬2剤併用は、原則として有効性を高めないとされています。 ただし「原則として」の外に置かれているものが二つあります。
一つは、前回の記事で触れた減量目的の一時的な重ね(これは添付文書に沿った使い方ではなく、目的と期間を明記して行うもの)です。効果を上げるための恒常的な2剤併用は、ここには含まれません。
もう一つが、SSRI/SNRIへのミルタザピンまたはミアンセリンの付加です。SSRIにこれらを併用すると抗うつ効果が増強するという報告が例外的に存在することは、増強の節で触れました。前述した国内の大規模ランダム化比較試験で、3週時点で寛解に至らなかった症例へのミルタザピン併用が継続に有意に優った(ただし25週では差が消えた)のもこの組み合わせです。SNRIとミルタザピンの併用については、2022年のメタ解析で単剤より有効性で上回ったとされ、第3回のSNRI・NaSSA・その他の抗うつ薬はどこで選ばれるかで詳しく扱っています。とはいえ無条件の例外ではありません。 鎮静と体重増加を代償として払うため、SSRI/SNRIでは眠りが安定しない症例を選び、かつ少量にとどめる、という留保が付きます。骨髄抑制のリスクも他の抗うつ薬より高く、血算の管理が付いてきます。つまりこの例外は「2剤にしてよい」という許可ではなく、症例を選び、狙う症状を決め、代償を引き受けたうえで行うものです。なお増強としてこの組み合わせを挙げている成書も、これを適応外使用としています。
この二つ以外の、効果を上げることだけを目的にした恒常的な2剤併用には根拠がありません。加えて抗うつ薬3剤以上は診療報酬上の減算対象です。制度上の線引きが、そのまま薬物療法上の線引きと一致している珍しい例です。
増強を重ねることにも、同じ論理で歯止めが必要です。 増強薬を足したうえで効果不十分だったとき、次の一手として増強薬をもう1剤足す設計は、有害作用と相互作用だけが確実に増えます。増強で効かなかったときは、その増強薬を抜いてから次を考えるのが原則です。足したものを抜かないまま次を足すのが、多剤併用の唯一の作り方です。
適応外に踏み込むときの要件も、線引きの一部です。 適応外処方を行う際の要件として、①その治療を行う合理的な理由があること、②患者に十分な説明を行うこと、③十分な観察を行うこと、④診療録に記載すること、という4項目です。加えて、適応外処方は「複数の科学的エビデンスがある」「メリットがデメリットを上回ると判断できる」場合に限定する、という前提が置かれます。この4つを型として持っておくと、増強に踏み込むかどうかの判断そのものが安定します。
そして、紹介の閾値を自分の中で決めておくことが、いちばん効きます。 第一手で十分な効果がなければ無理に引っ張らず、複雑な併用へ進む前に精神科へ紹介する――プライマリケア向けの成書はこの線をかなり手前に引いています。紹介を検討すべきサインとして挙げられているのは、希死念慮や絶望感、強い不安・焦燥・妄想、軽症でも慢性化していること、頻回のうつ病相の既往、躁状態の既往や出現、アルコール・薬物依存の併存、不安症・強迫症の併存、深刻な慢性ストレス、病前適応の悪さ、産後のうつ病です。こうした条件を先に言語化しておくと、判断が遅れません。
薬以外の手当ても、この段階でこそ見直す価値があります。 精神療法を併用することの増強効果と再発予防効果については増強の節で触れましたが、一巡して動かない局面では、その順位が上がります。生活リズム・活動量・日中の光・対人接触といった土台は、薬剤の選択を変えるより効くことがあります。増強薬を1剤足すより、通院間隔を詰めて話す時間を作るほうが成績に効く症例は実際にあります。
この段階では、ECTとrTMSの位置づけも知っておく必要があります。 ECTの反応率はメタ解析で、薬物非反応歴のある群58%、薬物反応歴のある群70%とされています。薬が効かなかった患者でも6割近くが反応するという数字です。高齢、精神病性の特徴、緊張病症候群、強い希死念慮は反応性が高いことの予測因子とされます。ECTは急性期治療において模擬ECT・抗うつ薬・rTMSより有効性が高いことがメタ解析で示されており、適応は「1次治療(迅速で確実な改善が必要、他治療の危険性がECTを上回る、過去のECTへの良好な反応、患者の希望)」と「2次治療(薬物治療抵抗性・不耐性など)」に区分されます。死亡例は5万回に1回で、全身麻酔の危険率に相当するとされます。副作用は通電直後の不整脈・頻脈・血圧上昇、覚醒後の頭痛・筋肉痛・健忘、数日以上続く記銘力障害などです。実際には週2〜3回で計6〜12回を計画し、早期に炭酸リチウムを中止し、ベンゾジアゼピン系は漸減してできれば中止しておくという準備をしておきます。増強でリチウムを足していた患者をECTへ紹介する場面では、この点が引き継ぎ事項になります。
rTMSは2017年9月に国内で承認され、適応は抗うつ薬による十分な薬物療法に反応しない中等症以上の成人うつ病です。国内承認の刺激条件は左背外側前頭前野への10Hz・120%MT、刺激時間4秒・間隔26秒、1日3,000回(1日37.5分)、週5日、4〜6週間と定められています。寛解率は薬物併用なしの二重盲検比較試験で15〜20%、実臨床に近い薬物併用の非盲検で30〜40%、日本人の非盲検試験では4週で反応率50.0%・寛解率28.6%、6週で57.1%・35.7%と報告されています。副作用は刺激中の頭痛や刺激部位の疼痛・不快感・筋収縮が20〜40%で、治療日数を重ねると軽減します。けいれん発作の頻度は1日あたり0.003%未満とされます。重要なのは適応の境界です。 rTMSは急性期治療として実施すべきで再燃・再発予防効果は十分検証されておらず、切迫した希死念慮、精神病症状、カタトニア、速やかな改善が求められる状態ではrTMSではなくECTが優先されます。 効果は早ければ1〜2週で出るものの標準的な治療期間は4〜6週で、ECTより効果の発現に日数がかかります。一方で認知機能障害はrTMSでは問題にならず、むしろ改善方向とされます。「待てるかどうか」がこの二つの分岐です。
最後に。「効かなかった」は薬の失敗であると同時に、診断と処方設計を見直すための情報でもあります。1剤目で寛解に至らないことは統計的にもむしろ多数派であり、そこで治療から離れさせないことが、選び分けの技術そのものよりも成績に効きます。この点については前回の記事の続けてもらうための説明の節も併せてご覧ください。
参考にした書籍
この記事は、次の書籍の記述を要約・再構成して作成しました(原文の転載ではありません)。用量・適応・エビデンスは各書の執筆時点の記載に基づいています。実際の処方にあたっては、最新の添付文書と各学会のガイドラインをご確認ください。
- 双極性障害の診かたと治しかた(寺尾岳/星和書店)
- 気分症群(神庭重信 編/中山書店)
- 精神科薬物療法マニュアル(日本病院薬剤師会 精神科専門薬剤師部門 試験委員会 編/南山堂)
- 精神科臨床Q&A for ビギナーズ(宮内倫也/医学書院)
- 専門医のための臨床精神神経薬理学テキスト(日本臨床精神神経薬理学会専門医制度委員会 編、下田和孝・古郡規雄 責任編集/星和書店)
- ガイドラインにないリアル精神科薬物療法をガイドする(仙波純一/新興医学出版社)
- ジェネラリストのための 向精神薬の使い方(宮内倫也/日本医事新報社)
- こうすればうまくいく! 精神科臨床はじめの一歩(宮内倫也/中外医学社)
- 本当にわかる 精神科の薬 はじめの一歩(稲田健 編/羊土社)
- 研修医・コメディカルのための 精神疾患の薬物療法講義(功刀浩 編/金剛出版)
- 精神診療プラチナマニュアル(松崎朝樹/メディカル・サイエンス・インターナショナル)
- 精神科医×薬剤師 クロストークから読み解く精神科薬物療法(鈴木利人・渡邊衡一郎・松田公子・林昌洋 編/南山堂)
- 精神科臨床144のQ&A(「精神科治療学」編集委員会 編/星和書店)
- 精神科治療における処方ガイドブック(「精神科治療学」編集委員会 編/星和書店)
- 今日の精神科治療ハンドブック 2021年版(「精神科治療学」編集委員会 編/星和書店)
よくある質問
薬を飲み始めて、どのくらいで「効かない」と判断するのですか。
飲み始めてすぐには判断しません。効果が出るまでに数週間かかることが多く、その間に量を調整していきます。ある程度の量を一定期間続けたうえで変化が乏しいときに、次の手を考える流れになります。焦りが出やすい時期ですので、感じていることをそのまま主治医に伝えてください。
薬を足すと言われました。減らす方向ではないのですか。
効果が足りないときに別の薬を足す方法があり、増強と呼ばれます。薬が増えること自体に不安を感じる方もいますが、量を増やし続けるより少ない負担で効果が出る場合があります。なぜその薬を足すのか、いつまで続けるのかを聞いておくと納得して続けやすくなります。
何度も薬が変わるのは、診断が間違っているからでしょうか。
そうとは限りません。同じ診断でも合う薬は人によって違うため、調整に時間がかかることはあります。ただし何度変えても手応えがないときは、診断そのものを見直すきっかけにもなります。医師の側もそこは意識して診ています。