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はじめに——「精神科で採血?」という戸惑い

精神科や心療内科を初めて受診した方から、「気分の相談に来たのに、体の病気のことを細かく聞かれた」「採血をすすめられて驚いた」という声を伺うことがあります。心の不調で受診したのに、なぜ体の話になるのか——不思議に思われるのは自然なことです。

実はここに、精神科医が診療の最初に必ず通る、大切な思考プロセスがあります。気分の落ち込みや不安、不眠といった「精神症状」は、心の病気だけで起こるとは限りません。体の病気や、飲んでいる薬の影響として現れることがあるのです。

精神症状と身体疾患の関係を論じた『精神症状から身体疾患を見抜く』の著者の医師(精神科医の尾久守侑先生)は、精神症状は身体疾患でも精神疾患でも出現する症状であり、医師は鑑別診断を考えながら診療を進める必要があると述べています。この記事では、その臨床医の頭の中を、受診を迷っている方に向けてご紹介します。

気分の落ち込みは「うつ病」だけでは説明できない

「気分が沈む」「何もやる気が起きない」という状態が続くと、多くの方は「うつ病かもしれない」と考えます。それ自体は間違いではありません。ただ、医師の側はもう少し幅広く考えています。

うつ状態を引き起こす原因は、うつ病や双極性障害といった精神疾患だけではなく、さまざまな体の病気や、服用中の薬が原因になることが知られています。代表的な例としてよく挙げられるのが、甲状腺機能の異常です。甲状腺のホルモンが不足すると、意欲の低下や気分の沈み、眠気など、うつ病とよく似た状態が現れることがあります。また、貧血によるだるさや集中力の低下が「気力が出ない」という形で自覚されることもあります。

もちろん、こうした体の原因が見つかるケースは、受診される方全体から見れば多数派ではありません。ただ、「めったにないから調べなくてよい」とはならないのが医療です。もし体の原因があるのに気づかれないまま心の治療だけを続ければ、本来の原因が放置されてしまうからです。

だからこそ精神科医は、「この気分の落ち込みは、本当に心だけの問題だろうか」と自分に問いかけるところから診療を始めます。初診で体調や既往歴、飲んでいる薬について細かくお聞きするのは、この問いに答えるための材料集めなのです。

医師は「体を疑うサイン」をどう見ているか

では、医師はどんなときに「体の原因かもしれない」と考えるのでしょうか。著者の医師は、症状の現れ方や経過に注目することの重要性を繰り返し述べています。一般論として、次のような点が手がかりになるとされています。

急に始まった変化かどうか。 心理的なきっかけが思い当たらないのに、ある時期から急に調子が変わった場合、医師は経過を慎重に確認します。ただし著者の医師は、きっかけなく始まるうつ状態には、体の原因によるものだけでなく、明らかな理由なく発症するタイプのうつ病もあるため、この推論だけでは区別できないと指摘しています。「急に始まった=体の病気」と単純に決められるものではなく、だからこそ専門的な見立てが必要になります。

年齢を重ねてからの初めての発症かどうか。 それまで精神科にかかったことのない方が、高齢になって初めて気分や行動の大きな変化を示した場合、体の側の検索を優先的に考えるべき場面があると著者の医師は述べています。

症状の「波」や現れ方がいつもと違うかどうか。 うつ病には、朝方に調子が悪く夕方にやや軽くなるといった典型的なパターンが知られていますが、体の病気によるうつ状態ではこうした特徴を欠くことがあるとされます。あくまで参考程度の手がかりで例外も多いのですが、医師が経過を細かくお聞きするのは、こうした「症状の輪郭」を捉えようとしているからです。

薬を始めた・増やした時期と重なっていないかどうか。 精神症状の身体的な背景を整理した『精神症状に潜む身体疾患66』という書籍でも、処方薬や市販薬を始めた時期と症状が出た時期が重なっている場合は、薬の影響を検討すべきだとされています。ステロイドなど体の治療薬が気分に影響することもあれば、市販薬やサプリメントが関係することもあります。当院でも初診時には、処方薬だけでなく服用中の市販薬・サプリメントも確認しています。

大切なのは、これらはあくまで医師が総合的に判断するための視点であって、ご自身で見分けるためのチェックリストではないという点です。当てはまるから体の病気、当てはまらないから心の病気、と自己判断できるものではありません。感じている変化をそのまま伝えていただくことが、何よりの情報になります。

動悸や息苦しさを伴う不安——「パニック発作に似た体の状態」もある

気分の落ち込みだけでなく、不安の側にも同じことが言えます。急な動悸、息苦しさ、発汗、ふらつきといった発作は、パニック症でよく見られる症状ですが、よく似た症状を引き起こす体の状態も知られています。

たとえば甲状腺ホルモンが過剰になると、不安や焦り、動悸、眠れなさが前面に出ることがあります。心臓や呼吸器の病気、低血糖でも、動悸や息苦しさが「不安発作のように」感じられる場合があります。また、睡眠時無呼吸のように、日中の眠気や集中力の低下、イライラという形で心の不調に見える睡眠の問題もあります。いびきや睡眠中の呼吸の乱れはご本人よりご家族が気づいていることが多いため、同居の方の観察も大切な情報です。

だからこそ、動悸や息苦しさを伴う不安については、「いつ、どんな場面で起こるか」「胸の痛みはあるか」「体を動かしたときに強くなるか」といった点を診察で確認します。これも採血と同じで、不安の背景に体の状態が関わっていないかを確かめる手順のひとつです。不安と体の症状の関係については、不安が体の症状として現れる仕組みパニック発作への対処の記事もあわせてご覧ください。

「体か心か」は、実は二者択一ではない

ここまで「体の原因か、心の原因か」という書き方をしてきましたが、実際の診療では、この2つはきれいに分けられないことが多い——というのが、臨床の実感に近いところです。内科と精神科の境界領域を論じた『器質か心因か』という書籍でも、体の要因と心理的な要因は重なり合うものであり、どちらか一方に決めつけない見方が大切だと繰り返し述べられています。

身近な例で言えば、風邪やインフルエンザにかかっているとき、ふだんなら受け流せることにイライラしたり、涙もろくなったりした経験はないでしょうか。体に負荷がかかると、心の余裕——ストレスに耐える力そのものが一時的に下がります。つまり、体の不調が「ストレス反応の出やすさ」を底上げしてしまうのです。

このため医師は、「きっかけになった出来事」と「反応の大きさ」のバランスにも注目します。きっかけに比べて反応がずいぶん大きいと感じられるとき、その差の分だけ、背景に体の要因が隠れていないかを考える——そういう見方があるのです。逆に言えば、ストレスの心当たりがあるからといって、体の検査が不要になるわけではありません。「ストレスのせい」と「体のせい」は、両方が同時に成り立ちうるからです。

検査で異常がなかったら、どう考えればいいのか

採血をして「異常なし」と言われたとき、ほっとする方がいる一方で、「ではこのつらさは何なのか」「気のせいだと言われた気がする」と感じる方もいます。この点は、はっきりお伝えしておきたいところです。

検査で異常がないことと、つらい症状が実際にあることは、矛盾しません。検査の役割は「見逃してはいけない体の病気を確かめること」であって、症状が本物かどうかを判定することではないのです。異常がなかったなら、それは「重い体の病気の可能性を減らせた」という大切な前進です。

そのうえで、続いている症状については、臓器そのものの故障ではなく、症状を感じ取る心身の働きが疲労や睡眠不足、生活の無理などで調子を崩している状態、と捉えて治療を組み立てていきます。休養、生活リズムの立て直し、必要に応じた薬物療法など、打てる手は十分にあります。「異常なし」は診療の終わりではなく、治療方針を絞り込むための通過点です。どの診療科に相談すべきか迷う不調については、自律神経の不調はどの科に相談すべきかの記事も参考になります。

受診の前に準備しておくと役立つもの

体の側の手がかりを増やすために、初診の際に次のようなものをお持ちいただくと診療がスムーズになります。

  • お薬手帳(処方薬だけでなく、飲んでいる市販薬・サプリメントもメモしておくとより役立ちます)
  • 最近の健康診断や人間ドックの結果
  • 症状の経過の簡単なメモ(いつ頃から、どんな順番で、どんな場面で強くなるか)

また、ご家族や身近な方が「以前と様子が違う」と感じている点があれば、それも貴重な情報です。ご本人には自覚しにくい変化——表情、話し方、歩き方、睡眠中の様子など——は、周囲の方のほうがよく捉えていることがあります。ご本人の同意のうえでの診察への同席は可能ですので、受診時にお申し出ください。初診で何を聞かれるかが気になる方は、初診で医師が確認することの記事もご覧ください。

「形だけの検査」にしないために——採血と他科連携の意味

著者の医師は、精神科でしばしば行われる「器質疾患を除外するため検査を行った」という形式的な検査のあり方に疑問を投げかけ、何を疑い、どう重み付けをするかを考え抜いたうえで検査をすべきだと述べています。腹痛の患者さんを診る内科医が、緊急性の高い病気から順に除外していくのと同じ姿勢が、精神症状の診療にも必要だという考え方です。

これは受診される方にとって、こういう意味を持ちます。精神科での採血や体の診察は、「念のための儀式」ではなく、目の前のあなたの症状から医師が立てた仮説を確かめるための、意味のある手順だということです。

そしてもうひとつ、著者の医師が強調しているのは緊急性という軸です。体の病気の除外が常に最優先というわけではなく、たとえば自殺の危険が差し迫ったうつ病であれば、そちらへの対応が先になります。逆に、意識がもうろうとする、急激に状態が変化するといった場合には、精神科の予約を待つのではなく救急(119番)への連絡が必要です。すでに通院中の方は、まず主治医にご相談ください。

当院でも、症状やご事情に応じて採血などの検査を行います。すべての検査が院内で完結するわけではなく、体の病気が疑われる場合には、症状に応じた診療科での確認が必要になります。受診先はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。 「どこを調べるべきか」を見立ててお伝えすることも、精神科医の大切な仕事のひとつです。

受診の目安——迷ったら、そのまま話してください

ここまで読んで、「自分の不調は体の病気なのか、心の問題なのか」と考え込んでしまった方もいるかもしれません。結論から言えば、その見極めこそが医師の仕事であり、受診前にご自身で答えを出しておく必要はまったくありません。

  • 気分の落ち込みややる気の出なさが2週間以上続いている
  • 眠れない、食欲がないなど、生活に支障が出ている
  • 「いつもの自分と違う」という感覚が続いている
  • 健康診断では異常がないのに、不調が続いている

こうした状態があれば、原因が心にあるか体にあるかを問わず、受診をご検討ください。初診の際には、お薬手帳や最近の健康診断の結果をお持ちいただくと、体の側の手がかりが増え、診療がスムーズになります。

まとめ

気分の落ち込みや不安の背後に、甲状腺機能の異常や貧血、薬の影響といった体の原因が隠れていることがあります。頻度としては多くありませんが、見逃せば本来の治療が遅れてしまうため、精神科医はまず「体の原因はないか」を考えるところから診療を始めます。初診で体のことを細かく聞かれたり、採血をすすめられたりするのは、そのための大切なプロセスです。

そして、「体か心か」は二者択一ではなく、両方が重なり合っていることも珍しくありません。検査で異常がなくても、つらい症状が「気のせい」になるわけではなく、そこから治療を組み立てていくことができます。

「心の問題か、体の問題か」を自分で見分ける必要はありません。感じている変化をそのまま話していただければ、あとは医師が一緒に考えます。意識の異常や急激な変化があるときは救急(119番)へ、通院中の方はまず主治医へ。それ以外の続く不調は、どうぞ気負わずにご相談ください。


参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):

  • 『精神症状から身体疾患を見抜く』(尾久守侑 著)
  • 『器質か心因か』(尾久守侑 著)
  • 『精神症状に潜む身体疾患66 モリソン先生のルールアウト』(ジェイムズ・モリソン 著)
  • 『精神科臨床はじめの一歩』

執筆・監修:精神保健指定医 野口晋宏

よくある質問

精神科なのに採血をするのはなぜですか?

気分の落ち込みや不安、不眠といった症状は、心の病気だけでなく、甲状腺機能の異常や貧血などの体の病気でも起こることがあるためです。精神科医はまず「体の原因が隠れていないか」を確かめるところから診療を始めることが多く、そのための手がかりとして採血などの検査が役立ちます。

初診で体の病気や飲んでいる薬のことを細かく聞かれるのはなぜですか?

持病や飲んでいる薬が、気分や意欲に影響することがあるためです。体の状態を知ることは、症状の原因を考えるうえで大切な手がかりになります。お薬手帳や健康診断の結果をお持ちいただくと、診療がスムーズになります。

体の病気が見つかったら、精神科では診てもらえないのですか?

そうとは限りません。体の病気の治療と並行して、気分や不眠のつらさに対するケアが必要な場合も多くあります。体の病気の治療が必要な場合、受診先はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。こころのつらさのほうは、並行して当院で診ていきます。

自分の不調が体の病気によるものか、自分で見分ける方法はありますか?

ご自身で見分けることは、医師にとっても簡単ではないほど難しいことです。「急に始まった」「今までにない感じがする」といった変化があれば、それを言葉のまま医師に伝えていただくのが一番の近道です。判断は医師に任せて、感じたことをそのまま話していただければ十分です。

検査で異常がなかったら、不調は「気のせい」ということですか?

いいえ。検査で異常がないことと、つらい症状が実際にあることは矛盾しません。体の重い病気が否定できたことは大切な前進で、そのうえで、疲労や睡眠不足、ストレスが心身の調子に影響している状態として治療を組み立てていきます。検査後も引き続き一緒に考えていきますので、ご安心ください。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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