「お電話です」——その一言で心拍数が上がる。受話器を取った瞬間、研修で習ったはずの言葉が全部飛ぶ。相手の社名を聞き取れないまま「少々お待ちください」と保留にして、引き継いだ先輩に「誰から?」と聞かれて凍りつく。
あるいはこんな場面もあります。書類を作っている途中で電話が鳴り、応対を終えて席に戻ると、さっきまで何をしていたのか思い出せない。「電話に出ながらメモを取る」「作業を中断してまた戻る」——世間では当たり前とされることが、どうしてもうまくできない。
こうした「電話対応・マルチタスクの苦手さ」は、大人の発達障害の方から非常によくうかがう困りごとです。この記事では、なぜ電話と並行作業がこれほど難しいのかを整理したうえで、今日から使える具体的な対策を紹介します。
なぜ電話とマルチタスクはこんなに難しいのか
電話対応は、実は複数の作業の同時進行を強いられる、かなり高度な業務です。相手の声を聞き取り、内容を理解し、適切な言葉を返し、同時にメモを取る——これらを、相手の表情やジェスチャーという視覚的な手がかりが一切ない状態で、リアルタイムにこなさなければなりません。
自閉スペクトラム症(ASD)の特性がある方にとって、電話は苦手が重なりやすい場面です。もともと対人コミュニケーションに負担を感じやすいうえ、視覚的な情報で理解するほうが得意な方が多いのに、電話では音声だけで全てを処理する必要があります。聴覚の過敏さがあると、周囲の雑音の中で相手の声だけを聞き分けること自体が大きな負担になります。
注意欠如多動症(ADHD)の特性がある方の場合は、注意の維持と切り替えの難しさが影響します。目の前に相手がいない電話では、注意がそれた瞬間に相手の話が頭を素通りしてしまいやすくなります。また、聞いたばかりの社名や名前を、メモを書こうとした数秒の間に忘れてしまう——短期的な記憶の保持の苦手さが、「聞きながら書く」という並行作業で表面化します。
つまり、電話対応の苦手さは「やる気」や「社会人としての自覚」の問題ではなく、注意・記憶・聴覚的な情報処理といった特性が重なった結果です。だからこそ、精神論ではなく仕組みで対処するのが正解です。
昔からの知恵——パターン化と専用メモで「同時にやること」を減らす
発達障害のある方の仕事術をまとめた書籍では、電話対応の攻略法として一貫して「その場のアドリブをなくす」方向の工夫が勧められています。ポイントは、同時に処理する量を仕組みで減らすことです。
応対をパターン表にしておく。慣れないうちの電話対応は、実はほとんどが「取り次ぎ」です。取り次ぎであれば、流れは「挨拶→相手の社名・名前を聞く→取り次ぎ相手の在席確認→不在なら折り返しか伝言か→切る」というステップにほぼ収まります。各ステップのセリフをあらかじめ書き出したシートを電話の横に置いておけば、頭が真っ白になっても読み上げるだけで応対が成立します。自分から電話をかけるときに緊張が少ないのは、話す内容を事前に準備できるからです。受ける電話も、準備を先回りしておけば同じことができます。
復唱しながらメモを取る。「株式会社○○の△△様ですね」と、書くスピードに合わせてゆっくり復唱すれば、確認とメモ取りが一度にでき、相手にも「記録してくれている」と伝わります。人名はカタカナで書くと速く書けます。
専用の電話メモを用意する。白紙のメモに一から書くのではなく、「誰から・誰宛て・折り返しか伝言か・連絡先」という聞くべき項目があらかじめ印刷された用紙を使えば、書く量が減るだけでなく「何を聞き忘れているか」が一目で分かります。さらに、よくかかってくる相手の一覧表を作って選択式にすれば、チェックを入れるだけで済む項目が増えます。
よくかかってくる相手の一覧表を机に貼る。取引先の社名・担当者名・取り次ぎ先をまとめた表があれば、聞き取れたキーワードから相手を特定でき、取り次ぎだけならメモすら不要になることもあります。
2026年のやり方——道具とはたらき方で負担を減らす
こうした古典的な知恵は、今のツールと組み合わせるとさらに強力になります。
- ビジネスチャットとメールを主戦場にする。SlackやTeamsなどのチャットが標準の職場では、そもそも電話の絶対量が減っています。「急ぎでない連絡はチャットでお願いしたい」と上司に相談するのは、立派な合理的配慮の相談です。文字でのやり取りなら、自分のペースで読み返し、考えてから返答できます。
- クラウド電話・自動文字起こし。会社の電話システムによっては、通話の録音や自動文字起こしに対応しているものがあります。導入されていれば、聞き漏らしの不安は大幅に減ります。個人でボイスレコーダーやスマホの録音機能を使う場合は、必ず事前に上司の許可を取りましょう。
- スマホの集中モードで「割り込み」を減らす。マルチタスクが苦手な人にとって、通知は作業を破壊する割り込みです。作業中はスマホの集中モードでアプリ通知を止め、割り込みの発生源そのものを減らしましょう。
- 中断メモを1行書いてから電話に出る。作業中に電話が鳴ったら、可能なら「A社見積・3行目まで入力済み」のように今の状態を1行だけメモしてから出る習慣をつけると、席に戻ったとき元の作業に復帰しやすくなります。
- タスク管理アプリで「同時」を「順番」に変える。マルチタスクに見える仕事の多くは、実際には細かいシングルタスクの積み重ねです。舞い込んだ用件はすべてタスク管理アプリやリマインダーに入れて、「覚えておく」仕事を頭の外に出し、一つずつ順番に処理しましょう。
AIに手伝ってもらう
⚠️ 仕事のメールや書類・給与明細をAIに渡すときは、氏名・会社名・取引先名・金額など、特定につながる部分を「A社」「上司」などに置き換えてから渡してください。
ChatGPTやClaudeなどの対話型AIは、電話対応の「事前準備」と「事後処理」の両方で頼れる相棒になります。
まず、自分の職場に合わせた応対パターン表を作ってもらいましょう。会社ごとの決まり文句に合わせてカスタマイズした台本を、数分で用意できます。
私は電話応対が苦手で、頭が真っ白になってしまいます。会社の代表電話を受けて社員に取り次ぐ場面を想定して、電話応対の台本を作ってください。条件は以下です。 ・「最初の挨拶」「相手の社名と名前を聞く」「取り次ぎ相手の在席確認」「不在時(折り返し・伝言)の対応」「切るときの挨拶」の5ステップに分けて、そのまま読み上げられるセリフを書く ・相手が名乗らなかった場合の聞き方も入れる ・印刷して電話の横に置ける、A4一枚に収まる分量にする
電話中に走り書きしたメモは、あとから読み返すと意味が分からなくなりがちです。断片的なメモをAIに渡して、引き継ぎ用の文章に整えてもらいましょう。
電話を受けたときの手書きメモの写真です。この走り書きから、社内チャットで取り次ぎ相手に送る伝言メッセージを作ってください。「いつ・誰から・誰宛て・用件・折り返しの要否」の順に整理し、読み取れない部分や足りない情報があれば「ここは要確認」と指摘してください。
かけるほうの電話も、事前にシミュレーションしておくと安心です。用件を音声で吹き込んで、話す順番を整理してもらいましょう。
これからA社の担当者に電話をかけます。今から用件を思いつくまま話すので、「最初に名乗る挨拶→用件の要点→相手に確認したいこと→締めの挨拶」の順に話す内容を整理して、電話をかける前に見る箇条書きのカンペを作ってください。相手から聞かれそうな質問と、その答えの候補も2〜3個挙げてください。
当院での実際/受診の目安
電話対応やマルチタスクの苦手さは、工夫と道具でかなりの部分を軽くできます。ただし、シートやメモを整えても失敗が続く、電話が怖くて出勤がつらい、ミスの積み重ねで気分の落ち込みや不眠が出てきた——そんなふうに、工夫だけで抱え込んでも生活や仕事への支障が続くときは、受診を検討してください。背景にADHDやASDの特性があるのか、不安や抑うつが重なっているのかによって、対策の立て方が変わります。
当院での診療についてご案内します。
- ご予約はデジスマのWEB予約からお取りいただけます。初診の方には受診前にWEB問診にお答えいただいており、初診の所要時間は30分程度が目安です。
- 通院の頻度は、基本を2週間に一度としています。困りごとの整理や職場での工夫の相談も、診察のなかで継続的に行っていきます。
- 症状のために勤務の継続が難しい場合には、診察の結果必要と判断すれば休職の診断書を作成します(休職の診断書は1か月毎の作成としています)。
受診の際は、「どんな場面で・何に困ったか」を具体的にメモしてお持ちいただくと、診察がスムーズです。
まとめ
- 電話対応は「聞く・理解する・話す・書く」の同時進行を強いる高度なマルチタスクであり、苦手なのは怠けや自覚の問題ではありません
- ADHDの注意・短期記憶の特性、ASDのコミュニケーション・聴覚処理の特性が、電話で一気に表面化します
- 対策の軸は「同時にやることを仕組みで減らす」こと。応対パターン表・復唱しながらのメモ・項目印刷済みの専用電話メモ・お得意様一覧表が古典的な定番です
- チャット中心の連絡への切り替え相談、通知を切る集中モード、中断前の1行メモ、タスク管理アプリで「同時」を「順番」に変える工夫が2026年の追加装備です
- 対話型AIは応対台本づくり・メモの清書・電話前のシミュレーションに使えます
- 工夫をしても支障が続くとき、気分の落ち込みや不眠を伴うときは、抱え込まずに受診してください
関連記事: 大人の発達障害「生活の困りごと」解決ガイド(総目次)
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 『発達障害の人が上手に働くための本』(對馬陽一郎、翔泳社)
執筆・監修:精神保健指定医 野口晋宏
よくある質問
電話対応だけが極端に苦手です。これだけで発達障害の可能性はありますか?
電話が苦手というだけで発達障害と判断することはできません。電話対応は緊張しやすい業務であり、慣れの問題や不安の強さなど、さまざまな理由で苦手になりえます。ただ、電話に限らず「聞きながら書く」「複数の作業を並行する」場面全般でつまずきが続き、工夫をしても仕事や生活への支障が続く場合は、背景に注意欠如多動症(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)の特性がないかを含めて、一度精神科で相談する価値があります。
電話の内容を録音してもよいのでしょうか?
自分の応対の聞き漏らしを防ぐ目的での録音は有効な工夫の一つですが、職場のルールや相手への配慮に関わるため、必ず事前に上司の許可を取ってから行ってください。許可が得られない場合は、専用の電話メモやチェック式の応対シートなど、録音以外の方法を組み合わせるのが現実的です。
マルチタスクができないのは、努力や慣れで克服できますか?
根性で同時並行の能力そのものを高めようとするより、「同時にやらなくて済む形に仕事を組み替える」ほうが現実的で効果的です。応対のパターンを決めておく、書く量を減らしたメモ様式を使う、作業を一つずつ順番に処理する段取りにする、といった環境側の工夫で負担は大きく減らせます。工夫をしても支障が続く場合は、受診して特性の評価や職場との調整について相談することをおすすめします。
受診するとき、何を伝えればよいですか?
「電話でメモが取れない」「作業を中断されると元の作業を忘れる」など、困った場面をできるだけ具体的にメモして持参していただくと、診察がスムーズです。いつから困っているか、学生時代にも似た傾向があったか、職場でどんな支障が出ているかも大切な情報です。当院はデジスマのWEB予約から初診をお取りいただけます。