はじめに
大切な人を亡くしてから、しばらくは無我夢中で過ごしてきた。それなのに、何か月も、ときには何年もたってから、急に涙が止まらなくなる。まわりからは「もう立ち直ったね」と言われるのに、自分の中では何かが止まったまま動かない。亡くなった人の部屋や持ち物に、どうしても手をつけられない。命日が近づくと、決まって体調を崩してしまう。
そんなふうに感じている方は、決して少なくありません。「これだけ時間がたったのに、まだこんな気持ちでいるのはおかしいのではないか」と、ご自身を責めてしまう方もいます。けれど、大切な人を失った悲しみは、人それぞれのペースで進むものです。そして、悲しみが長引いたり、止まったように感じられたりするとき、それは心理療法で支えていける「治療の対象」になります。あなただけが特別なのではありません。
この記事では、対人関係療法という心理療法で大切にされている「悲哀(ひあい)」の考え方をもとに、死別後の悲しみがたどる自然な流れ、つらさが長引きやすいサイン、心理療法でどのように回復を支えていくのか、そしてご家族や周囲にできることを、できるだけやさしくお伝えします。なお、ここでの「悲哀」は、実際に大切な人を亡くした「死別」の体験を指します。離婚や退職など、死別以外の大きな喪失は、対人関係療法では「役割の変化」という別の枠組みで考えます。
悲しみには自然な流れがある
大切な人を亡くしたとき、心が悲しみで揺れ動くのは、異常なことでも弱さでもありません。むしろ、人として自然な反応です。専門的には「喪(も)の仕事」「悲嘆」とも呼ばれ、おおまかに次のような段階をたどると考えられています。
- 否認:その人がいなくなったという事実を、まだ受け止めきれない時期
- 絶望:あの人がいなければ生きていけない、と深く落ち込む時期
- 脱愛着(だつあいちゃく):亡くなった人への思いが少しずつ和らぎ、ほかのことにも心を向けられるようになっていく時期
「脱愛着」というと、まるで故人を忘れていくように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。悲しみそのものは、生涯にわたって心のどこかに残ります。ただ、それが毎日の生活を覆い尽くすほどの強さではなくなっていく、ということです。
多くの場合、この流れは時間とともに少しずつ落ち着いていきます。けれど、何らかの事情でこの自然な流れがうまく進まないことがあります。心理療法で支えの対象となるのは、そうした「進みにくくなった悲しみ」です。
「治療を考える悲しみ」は期間だけでは決まらない
「亡くなってから〇か月たったのにまだ悲しいから、自分は病気なのだろうか」——そう心配される方は多いのですが、悲しみは期間だけで機械的に区切れるものではありません。命日や節目にぶり返すのは自然なことですし、深く悲しむ期間の長さにも大きな個人差があります。
目安になるのは、期間よりもむしろ「流れが動いているか、止まっているか」です。
- 波がありながらも、少しずつ日常のことに手がつくようになってきている → 悲しみは自然に進んでいると考えられます
- 悲しみの強さがほとんど変わらないまま、仕事や家事など生活が立ち行かない状態が続いている
- 逆に、悲しんだ実感がないまま、体の不調や気分の落ち込みだけが続いている
後の二つのような場合は、悲しみの流れがどこかで止まっている可能性があり、医療の場で一度整理してみる価値があります。うつ病などの病気が隠れていることもあるため、見極めは医師の診察で行います。悲嘆そのものの自然な経過や受診の目安については、大切な人を亡くしたあとのこころでも詳しく解説しています。
後から現れる悲しみ、止まったままの悲しみ
悲しみの流れが妨げられたとき、その表れ方には大きく二つのパターンがあります。
ひとつは、「遅延した悲哀」と呼ばれるものです。「否認」のところで立ち止まったまま、本来悲しむはずだった時期に十分に悲しめなかった場合に起こります。たとえば、小さな子どもを抱えて突然配偶者を亡くし、「悲しんでいる暇などない」と必死に働き続けてきたような場合です。当時は気丈に振る舞っていたのに、ずっと後になってから悲しみが表に出てくる。亡くなった人の命日や、病気の診断を受けた日付に、決まって調子が崩れる。あるいは、近所の方が亡くなったといった、もっと小さな別れをきっかけに、思いがけず気持ちが沈み込む。そんなとき、その奥には、まだ整理しきれていない過去の別れが隠れていることがあります。
もうひとつは、「歪んだ悲哀」と呼ばれるものです。悲しみが、頭痛やだるさ、しびれといった体の不調として現れ、検査を繰り返しても原因が見つからない、ということもあれば、いつまでも悲しみ続けることが日課のようになってしまう「終わらない悲しみ」として表れることもあります。後者の場合、悲しみを手放して前に進むことに、どこか罪悪感を抱いていることが少なくありません。「もう悲しまなくなったら、あの人を見捨てるようで申し訳ない」——そんな思いが、心の足を止めてしまうのです。
どちらにあてはまるのか、本当にそうなのかを見極めるのは医師の役割です。ここで大切なのは、「こういう形の悲しみもあるのだ」と知ることで、ご自身を責める気持ちが少しでも軽くなることです。
つらさが長引きやすいサイン
次のような点は、悲しみが自然に進みにくくなっているサインとして知られています。当てはまるからといって慌てる必要はありませんが、ご自身を理解する手がかりにしてみてください。
- 重要な日付に体調が崩れる:命日や、病気がわかった日などに、決まって心や体の調子が悪くなる
- 遺品を片づけられない:亡くなった人の持ち物に手をつけられず、その人が生きていた頃のままに部屋を保っている
- 関係を理想化する:「あの人との関係は世界一で、何の問題もなかった」と、良い面ばかりを語る
- 自分の価値を見失っている:「あの人を失った自分には何の価値もない」と感じ続けている
- 別れの場に向き合えなかった:葬儀に出られなかったなど、死そのものから目をそらしてきた
- 支えが乏しかった:悲しみのときに、気持ちを分かち合える人が周りにいなかった
- 喪失が重なった:短い間に、いくつもの別れが続いた
遺品を片づけることは、その人の痕跡を消すようで、とてもつらい作業です。手放すのは思い出だけではありません。「これはあの人にあげるはずだったのに」「これを着て一緒に出かけるはずだった」というような、これから訪れるはずだった未来も、一緒に手放すことになるからです。だからこそ手をつけられないのは自然なことですが、少しずつ向き合っていくことは、悲しみが前に進むための大切な一歩でもあります。
怒りや罪悪感も「当たり前の気持ち」
大切な人を亡くしたとき、悲しみだけでなく、もっと言葉にしにくい気持ちが心の中に生まれることがあります。苦しい別れを経験した人が抱きやすい気持ちとして、次のようなものが知られています。
- 同じような出来事がまた起こるのではないか、という怖れ
- 死を防げなかったことへの無力感や恥
- 亡くなった人への怒り
- 自分が生き残ったことへの罪悪感
- 喪失そのものへの深い悲しみ
たとえば、亡くなった人への怒り。「治ると言っていたのに、突然いなくなって裏切られた」「私ばかりが大変な思いをしてきた」。あるいは、看病が長く苦しかったとき、ふと「いっそ楽になってほしい」と願ってしまったこと。人生の最期の時期に、病気のために人が変わったようになってしまった家族を支えることは、心も体も深く消耗するものです。そうした中で生まれる気持ちを、後から「ひどいことを考えた」と責め続けてしまう方がいます。
また、「自分のあの一言がいけなかったのではないか」と、ご自身を責め続けてしまう方もいます。特にご家族を自死で亡くされた場合、多くの方が「自分がもっと優しく接していれば防げたはずだ」と感じます。けれど、うつ病などの病気による自死は病気の症状のひとつであり、どれほど愛情のある家族でも防げないことがある、ということが医療の場では知られています。
こうした気持ちは、人に話すのがとても怖く、恥ずかしく感じられるものです。「こんなふうに思う自分はひどい人間だ」と、ひとりで抱え込んでしまいがちです。けれど、苦しい別れを経験した方の多くが、同じような気持ちを抱きます。これらは、つらい状況に置かれた人なら誰もが感じうる、当たり前の気持ちなのです。
心理療法では、こうした気持ちを否定せず、「そう感じる方は多いのですよ」「そう感じて当然ですね」と受け止めていきます。怒りや罪悪感を言葉にできたとき、それは間違いではなく、回復に向かう大切な一歩になります。
心理療法でどう進めていくか
対人関係療法では、悲哀を扱うときの目標を大きく二つ置きます。止まっていた悲しみの流れをもう一度動かすこと、そして新しい興味や人とのつながりを取り戻せるように支えることです。順を追って見ていきましょう。
まず事実の経緯を語ることから始める
「悲しみを話してください」と言われても、いきなりは難しいものです。だからこそ、まず事実の経緯を語ることから始めます。
「亡くなったとき、どう感じましたか」と問われると言葉に詰まる方でも、「どのようにしてその知らせを受けたのですか」「亡くなる前に、最後に交わした会話はどんなものでしたか」「言っておきたかったのに言えなかったことはありますか」と尋ねられれば、答えることができます。それは事実の説明だからです。そして、死の前後の出来事を順にていねいに語っていくうちに、その出来事にまつわる気持ちが自然と動き出してきます。
なかなか言葉にならないときには、アルバムなど思い出の品を手がかりに振り返るという方法もあります。
気持ちを言葉にし、受け止めてもらう
事実が語られたら、そこに伴っていた気持ちを少しずつ言葉にしていきます。悲しみのプロセスが止まっていた背景には、「感情に直面したら、自分は耐えられないのではないか」「罪悪感に押しつぶされてしまうのではないか」という不安があることが少なくありません。だからこそ、治療の場では、どんな気持ちが出てきても驚かず、急かさず、静かに受け止めることが大切にされます。
感情は、心の中に抱え込んでいると、かえって大きくふくらんでいきます。けれど、安全な場で言葉にして外に出せば、一時的に強まったように感じることはあっても、長い目で見れば落ち着いていきます。あなたがその気持ちを語っても、驚かれたり責められたりすることはありません。
故人との関係を、良い面も悪い面も振り返る
このとき大切にされるのが、亡くなった人との関係を、良い面も悪い面も両方振り返り、現実の姿として捉え直していくことです。「亡くなった人のことを悪く言いたくない」と感じる方は多いものです。けれど、相手を理想化して良い面だけを見ようとすると、かえって悲しみの流れが止まってしまうことがあります。どんなにすばらしい関係にも、少しは難しいところがあるものです。すべてをありのままに、いろいろな角度から見ていくことは、故人をおとしめることではなく、むしろその人を本当の意味で大切にし、敬意を払うことにつながります。
かつては地域や親族が集まり、一緒に悲しみ、思い出を語り合う時間がありました。その中では「酒癖は悪かったけれど、根は優しい人だったね」というように、良い面も悪い面も語られたものです。今は、そうした場が少なくなりました。心理療法は、専門的な視点を持ちながら、そうした支えの役割を一部担うものだと言えます。
新しいつながりに心を開いていく
悲しみの流れが動き出すと、多くの方は自然と、ほかのことにも心を向けられるようになっていきます。ただ、亡くなった方だけが親しい相手だった場合や、長い間閉じこもるような生活が続いていた場合には、新しい興味や人とのつながりを取り戻すことそのものも、治療の中で一緒に考えていきます。誰かと関わる機会をどう作るか、どんな場なら安心して踏み出せるかを、小さな一歩から検討していくのです。
これは故人を忘れて「代わり」を探すことではありません。故人との関係を心の中の大切な場所に納めたうえで、これからの生活を支えるつながりを育てていく、ということです。なお、どの進め方が合うかは一人ひとり異なり、治療方針は医師と相談しながら決めていきます。
ご家族や周囲の方にできること
身近な人が死別のあとつらそうにしているとき、周囲の方にできることもあります。
- 驚かずに聞く:故人への怒りや罪悪感など、言いにくい気持ちが語られたとき、驚いたり否定したりせず、「そう感じるのも無理はないね」と受け止める。それだけで、話しても大丈夫だという安心感になります
- 思い出を一緒に語る:良い思い出だけでなく、困らされた話も含めて自然に語り合える場は、悲しみが前に進む助けになります
- 急かさない:「もう元気を出して」「いつまでも泣いていたらだめ」と励ますことは、かえって気持ちに蓋をさせてしまうことがあります
- 生活を支える:食事や家事、手続きなど、具体的な負担を少し肩代わりすることも大きな支えです
- 受診をすすめる目安を知っておく:眠れない・食べられない状態が続く、生活が立ち行かない、死にたい気持ちを口にする、といったときは、精神科・心療内科の受診をすすめてください。切迫した危険を感じるときは、ためらわず救急(119)に連絡してください
なお、当院ではご家族のみの相談はお受けしていません。ご本人が受診に同意されたうえでの同席は可能です。ご本人が受診できない場合は、受診を予定している医療機関へお問い合わせください。
当院での診察について
当院では、対人関係療法などの専門的な心理療法プログラムは提供しておらず、心理士も在籍していないため、心理士によるカウンセリングも行っていません。診察のなかで、この記事で紹介したような考え方——事実から順に語ること、気持ちを当たり前のものとして受け止めること、故人との関係を多面的に振り返ること——を取り入れた助言を行っています。構造化された専門プログラムとしての心理療法を希望される場合は、ご自身で実施している医療機関をお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
受診の目安
以下のようなことに心当たりがあれば、一度ご相談いただくことをおすすめします。
- 大切な人を亡くしてから、悲しみやつらさがほとんど和らがないまま続き、生活に支障が出ている
- 命日や特定の日付が近づくと、決まって心や体の調子が崩れる
- 亡くなった人の遺品をどうしても片づけられない状態が続いている
- 亡くなった人への怒りや、「自分のせいだ」という罪悪感を抱え込み、つらい
- 眠れない、食べられない、気分の落ち込みが続くなど、心や体の不調がある
- 検査では異常がないのに、体の不調が続いている
- 悲しみについて、安心して話せる相手が周りにいない
これらは、あなたが弱いからでも、おかしいからでもありません。つらさを言葉にできる場があるだけで、心は少しずつ動き出していきます。死にたい気持ちが強く、危険が切迫していると感じるときは、救急(119)へ連絡するか、通院中の方は主治医にご相談ください。
まとめ
大切な人を亡くした悲しみは、人それぞれのペースで進む自然なものであり、期間だけで機械的に区切れるものではありません。悲しみが後から現れたり、止まったように感じられたりするとき、ご自身を責める必要はありません。亡くなった人への怒りや罪悪感も、苦しい別れを経験した人なら誰もが抱きうる、当たり前の気持ちです。事実の経緯を語り、気持ちを安全な場で言葉にし、良い面も悪い面も含めて故人との関係を振り返り、そして新しいつながりに少しずつ心を開いていく——悲しみはそのようにして前に進んでいきます。ひとりで抱え込まず、つらさが続くときは、どうか気軽にご相談ください。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 水島広子『対人関係療法入門ガイド』
- 堀越勝・野村俊明『精神療法の基本』
よくある質問
大切な人を亡くして何か月もたつのに、急につらくなりました。おかしいのでしょうか。
悲しみは後から強く現れることがあり、それ自体は珍しいことではありません。命日や別の小さな喪失をきっかけに表に出てくることもあります。生活に支障が出ているなら、一度ご相談ください。診断は医師が行います。
亡くなった人に対して怒りや「いなくなってほしい」と思ったことがあり、自分を責めてしまいます。
看病や別れの過程で、怒りや罪悪感が生まれるのは多くの方が経験する自然な気持ちです。それを口に出すことは故人を裏切ることではありません。安全な場で言葉にすることが、回復の一歩になります。
遺品をどうしても片づけられません。
亡くなった人の持ち物に手をつけられないのは、つらい気持ちのあらわれであり、おかしなことではありません。それは思い出だけでなく、これから訪れるはずだった未来も手放すことだからです。無理に急ぐ必要はありませんが、つらさが続くようなら、その気持ちを支えながら少しずつ進める道もあります。
心理療法では具体的に何をするのですか。
まず亡くなった前後の出来事を事実として語ることから始め、そこに伴う気持ちを少しずつ言葉にしていきます。良い面も悪い面も振り返りながら、つらさを安全に表現できるよう支えていきます。
こんなことを話して、かえって具合が悪くなりませんか。
一時的に気持ちが強まったように感じることはあるかもしれません。ですが、つらい気持ちは安全な場で表現していくことで、長い目で見れば落ち着いていくものです。心理療法はその過程を、無理のないペースで支えていきます。
家族が死別後にふさぎ込んでいます。周りは何ができますか。
そばにいて、話が出たときに驚かずに聞くこと、思い出を一緒に語ること、生活の負担を少し肩代わりすることが支えになります。眠れない・食べられない状態が続く、死にたい気持ちを口にするといったときは、受診をすすめてください。なお、ご家族のみの相談はお受けしていません。ご本人の同意のうえでの診察への同席は可能です。
貴院で対人関係療法を受けられますか。
当院では対人関係療法などの専門的な心理療法プログラムは提供しておらず、心理士によるカウンセリングも行っていません。診察のなかで、この記事で紹介したような考え方を取り入れた助言を行っています。専門プログラムを希望される場合は、ご自身で実施している医療機関をお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。