福岡県春日市須玖北4丁目34 2階
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はじめに

「虐待されたわけではありません。むしろ、ちゃんと育ててもらったと思います。それなのに、親のことを考えると今も苦しくなります」

こういう話は、成人の方の診察でよく出てきます。そして多くの方が、そのあとにこう続けます。「だから、こんなことで悩んでいる自分がおかしいのだと思います」と。

この記事は、そういう方に向けて書いています。

なお、はっきりした逆境体験――暴力、ネグレクト、家庭内の深刻な問題――が背景にある場合は、子ども時代のつらい経験は大人の心にどう影響するか(ACE)のほうが、より近い話をしています。この記事で扱うのは、そこまでの出来事はなかったのに、それでも親との関係が重いという場合です。

「わかること」と「許すこと」は、別のことです

はじめに、この記事が拠っている資料について断っておきます。中心になる出典は、少女マンガを素材に「母と娘」の関係を論じた講演録です。 ですから、以下の記述はもともと母と娘について語られたものであり、ほかの組み合わせにそのまま当てはまるとは限りません。それでも診察で聞く訴えと重なる部分が多いため、参考として紹介します。

そのうえで、いちばんお伝えしたい点から書きます。

親を理解すること、親を許すこと、そして親を好きになること――この三つは、それぞれ別のことです。専門書は、これらがしばしばごっちゃになって混乱を生む、と指摘しています。

親の側にも事情があった、と分かることはあります。祖父母から受け取ったものを、そのまま次に渡してしまっただけだった、と見えることもあります。実際、ある専門書には、親自身が自分の親から言われ続けた言葉に苦しんでいた、という例が挙げられています。

しかし――理解できても、同情できても、それで自分の過去が作り変わるわけではありません。

「母を許せるかどうか分からない」という状態のまま前に進むことは可能です。むしろ、許せるかどうかという問いを先に片づけようとすると、そこで止まってしまうことがあります。

そして、和解しないという結末もあります。ある専門書は、他人どうしと同じで、母と娘であっても気の合わない組み合わせはあるに決まっている、と述べています。生涯にわたって折り合いがつかないままでも、それでかまわないのではないか――そういう文脈です(この出典は母と娘の関係を論じたものです)。

求めていたのは、理想の親だったのかもしれません

診察でうかがっていると、「親にこうしてほしかった」という訴えの中身が、ご本人にもうまく言葉にならないことがあります。

専門書には、こんな観察が記されています。「私のことをちゃんと愛してほしい」と訴えるとき、その方が求めている愛のかたちと、親が与えようとしている愛のかたちは、そもそも食い違っていることが多い。しかも、求めている側も、自分が何を得られれば満たされるのかを分かっていないことが少なくない、と。

だから、親がどれだけ言うことを聞こうとしても、その要求は満たされません。かみ合っていないやりとりが、何年も続いてしまうことがあります。

ここで手がかりになるのが、ある作品を引きながら専門書が紹介している気づきです。要約すると、親もまた、欠けたところのある一人の人間にすぎなかったという発見です。

この気づきには、痛みが伴います。求めていたのは「理想の親」であり、そういう対象は、大人になった今はもう手に入らない、ということでもあるからです。専門書はこれを断念と呼んでいます。

そして、断念の先にあるものについて、こう書かれています。

  • 「親はああいう形でしか愛せなかった」「あれが精一杯だったのだ」と受け止められるようになること
  • それと同時に、いまの自分をこれでよしと思える感覚が芽生えてくること

この二つが、同時に起きるとされている点が重要です。親への評価を下げることで自分を上げる、という取り引きではありません。専門書は別の箇所で、この到達点を、背伸びをする必要はない、かといって自分を実際より低く見る必要もないという気づきとして言い表しています。

心理的に離れるとは、どういうことか

「離れる」というと、家を出る、連絡を絶つ、といった物理的な行動を想像されるかもしれません。しかし、ここで言っているのはもう少し内側の話です。

精神分析の発達論では、次のように説明されています。親から適切に分離できている場合、人は成長のなかで、親以外にも取り入れる相手を増やしていくことができます。学校の先生、友人、先輩、友人の親――そういう人たちに触れて、「なるほど、こういう考え方もあるのか」「こちらのほうが自分には合っている」と選び取りながら、親の雛形ではない自分を作っていくことができます。

反対に、分離が進んでいない場合はどうなるか。親と違う考え方を「こちらのほうがいい」と思うこと自体が、親から離れてしまう、あるいは親に否定され見放されるという不安を呼び起こします。すると、自分の考えを持つこと自体が難しくなり、結果としてますます離れにくくなる――そういう循環が説明されています。

ここでいう「離れる」は、親を嫌いになることでも、縁を切ることでもありません。親と違う考えを持っても自分は大丈夫だ、と感じられるようになることです。

なお、この発達論はもともと子どもの発達を観察して組み立てられたものです(当院は18歳以上の方の診療を行っており、この記事は成人の方に向けて書いています)。ただ、社会生活を問題なく送っている大人でも、この課題だけを残している方はけっこういる、と専門書は述べています。

距離が近すぎるとき

一方で、対立ではなく、近さのほうが問題になることもあります。

専門書には、母と娘がきわめて近い関係になる時期について記載があります。服や持ち物を共有し、感じ方までよく似ていて、周囲から仲のよい親子と見られる。こうした状態は、思春期から青年期の一時期には自然に見られるものだ、と説明されています。

つまり、それ自体が異常なのではありません。専門書も、一過性のものとして記述しています。

困るとしたら、そこから動けなくなったときです。以下は専門書に書かれている基準ではなく、目安として挙げるものです。

  • 自分の選択なのに、親が納得するかどうかが先に頭に浮かぶ
  • 親に話すまで、自分がどう感じているのか分からない
  • 親と離れているときに、罪悪感や落ち着かなさが出る

こうしたことが続いていて、生活のしづらさにつながっているなら、扱う価値のあるテーマです。

「親を責める記事」にはしません

ここまで読んで、「では親が悪かったのだ」と結論したくなるかもしれません。しかし、それは目的ではありません。

理由は二つあります。

ひとつは、責任の割り振りをしても、いまのつらさは軽くならないからです。

なお、専門書が「片方だけに全部の責任がある、ということはありえない」と述べているのは、いま現在も続いている大人同士のやりとりについてです。子どもだったころに起きたことの責任が、子どもの側にもあったという意味ではありません。子どもだったあなたに、責任はありませんでした。

もうひとつは、悪者を決めた時点で、話が終わってしまうからです。「親のせいだ」で止まると、その先――自分がこれからどう暮らすか――に進めません。治療が何を目的とするかについては、逆境的小児期体験(ACE)の記事で詳しく述べています。

いま、できること

このテーマは、一回の診察で片づく種類のものではありません。それでも、手をつけられるところはあります。

やめてよいこと

  • 許せるかどうかを、先に決めようとすること
  • 「こんなことで悩む自分はおかしい」と自分を採点すること
  • 親の事情を理解したのだから納得すべきだ、と自分に言い聞かせること

やってみてよいこと

  • 親との距離を、いまの自分に合う形で決め直すこと(後で変えて構いません)
  • 親以外に、考え方を取り入れられる相手を増やすこと
  • 眠れない、気分が落ち込む、体調が悪いといった変化が出ていないか確かめること

とくに最後の点は大切です。親のことを考えると調子が崩れる、という状態が続いているなら、それは診察で扱える現象です。自分の反応の癖を眺める視点については、心が自分を守る仕組み(防衛機制)もあわせてご覧ください。

また、家族との関係を「どちらが悪いか」ではなく「役割への期待のずれ」として整理する見方は、家族や夫婦とのすれ違いがつらいときでお伝えしています。

当院での実際

当院には心理士がおらず、カウンセリングや、精神分析をはじめとする専門的な心理療法プログラムは行っていません。この記事でお伝えしているのは、診察のなかで一緒に確かめていける範囲の考え方です。本格的な心理療法をご希望の場合は、ご自身で実施している医療機関をお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。

当院の診療対象は18歳以上の方です。また、ご家族のみのご相談はお受けしていません。ご本人が受診に同意されている場合は、診察に同席していただくことができます。

体調が急に悪くなったとき、意識がはっきりしないなど差し迫った状況では、迷わず救急(119)を利用してください。通院中の方は、まず主治医にご相談ください。

まとめ

  • 「わかること」と「許すこと」は別のことです。理解できても、同情できても、過去が作り変わるわけではありません
  • 求めていたのは理想の親であり、それはもう手に入らない――この断念と、いまの自分をこれでよしと思える感覚は、同時に訪れると説明されています
  • 心理的に離れるとは、縁を切ることではなく、親と違う考えを持っても自分は大丈夫だと感じられるようになることです
  • 近すぎる関係も、それ自体が異常なのではなく、そこから動けなくなったときに問題になります
  • 責任を誰かに割り振る作業も、和解を成立させる作業も、この記事の目的ではありません

参考にした書籍

この記事は、次の書籍の記述を要約・再構成して作成しました(原文の転載ではありません)。

  • 『西村良二教授 退職記念講演録』
  • 『精神分析的人格理論の基礎――心理療法を始める前に』

よくある質問

親を許さなければ、前に進めないのでしょうか。

そうではありません。専門書は「わかること」と「許すこと」は別のものだと明確に区別しています。親の事情を理解できても、同情できても、それで自分の過去が作り変わるわけではありません。許せるかどうか分からないまま先に進むことは可能です。

親との関係を、切ったほうがよいのでしょうか。

正解はありません。判断の基準は「和解できたかどうか」ではなく、ご自身の安全と心の健康です。距離のとり方そのものについては、逆境的小児期体験(ACE)の記事で詳しく述べています。

親に悪意はなかったと思うので、こんなことで悩む自分がおかしい気がします。

悪意の有無と、いま重く感じるかどうかは別の話です。専門書には、親自身もまた不完全な一人の人間であり、その親もまた自分の親から受け取ったものを引き継いでいる、という視点が示されています。悪者を探さなくても、つらさは扱えます。

母と自分の距離が近すぎる気がします。仲がよいのは悪いことですか。

悪いことではありません。母と娘が一時期きわめて近い関係になることは、青年期には自然に見られるものだと記載されています。困るとしたら、その状態から動けなくなって、自分の考えや選択が自分のものだと感じられなくなっているときです。

受診したほうがよいのは、どういうときですか。

気分の落ち込み、眠れない、体調の不良が続くとき、親のことを考えると生活が回らなくなるときは、一度ご相談ください。差し迫った状況では、迷わず救急(119)を利用してください。通院中の方は、まず主治医にご相談ください。

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執筆・監修

精神保健指定医 野口晋宏

春日メンタルクリニック院長。精神科・心療内科の診療経験をもとに、受診前の不安や制度の疑問を整理しやすい情報提供を心がけています。

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