夜、布団の中で昼間のことを思い返す。上司に言われた一言、送ってしまった返信、そのときの胸のざわつき。順番に思い出そうとしているのに、気づけば「なんで自分はいつもこうなんだ」という声だけが頭の中で大きくなっていて、実際に何が起きたのかは、かえってぼやけていく。診察で「最近どうでしたか」と聞かれても、出てくるのは「つらかったです」の一言だけ。何がつらかったのか、自分でもうまく取り出せない。
この記事は、そんなふうに固まりになってしまった一つの場面を、三つに分けてほどく練習の回です。連載「AIと一緒にできる認知行動療法セルフケア」の第2回にあたり、認知行動療法の教科書(ジュディス・S・ベック『認知行動療法実践ガイド』)の考え方を下敷きにしています。
つらさは一つの塊ではない
たとえば、こんな場面を考えてみます。
金曜の夕方、仕事の相談メールを上司Aに送った。返ってきたのは「わかりました。」の一行だけ。それを見た瞬間、胸のあたりが重くなって、週末のあいだずっと沈んだ気持ちが抜けなかった——。
これを思い返すとき、私たちはたいてい「上司の返信がつらかった」とひとまとめに記憶します。でも、この体験はよく見ると三つの部分でできています。
出来事は、「わかりました。」という一行の返信が来たこと。気分は、胸が重くなり、沈んだこと。そしてその間に、ふつうは意識にのぼらないもう一つの部分が挟まっています。返信を見た瞬間、頭をよぎった考えです。「呆れられたんだ」「面倒な部下だと思われた」——そういう言葉が、一瞬で通り過ぎている。
この「考え」は、じっくり検討して出した結論ではありません。速く、短く、自動的に浮かびます。あまりに速いので、本人には出来事と気分が直結しているように感じられる。「あの返信で落ち込んだ」と。でも実際には、同じ一行の返信でも、そのとき「金曜だから急いでるんだな」という考えがよぎった人は、同じようには沈みません。出来事と気分のあいだに挟まった考えが違うと、気分の動き方が変わるのです。認知行動療法ではこの見方を認知モデルと呼びます。
分けることは「考え方のせい」にすることではない
ここで一つ、はっきりさせておきたいことがあります。三つに分けるのは、つらさの原因をあなたの考え方に付け替える作業ではありません。
上司Aの返信がいつも冷たく、実際に高圧的な扱いが続いているなら、それは出来事の欄にそのまま書かれるべき現実です。過重な仕事量も、理不尽な扱いも、分けたからといって消えたり軽くなったりしません。むしろ逆で、頭の中で全部が混ざっているうちは「自分が弱いからつらいのかもしれない」という方向に流れやすいのですが、出来事の欄に事実を置いてみると、「これは誰が経験してもきついことだ」と現実の側の重さが見えてくることが少なくありません。
分ける目的は、責任の所在を決めることではなく、何が起き、何が浮かび、どう感じたかを、見失わずに言葉にすることです。それができると、診察でも「つらかったです」の先が話せるようになります。
もう一つ。浮かんだ考えは、強く信じていても、事実そのものとは限りません。「呆れられた」は上司の心の中の話で、返信の一行からは本当のところは分かりません。ただ、この記事ではその考えが正しいか間違っているかの判定には進みません。今日やるのは、考えを考えの欄に置くところまで。置いてみて、検討したくなった人のための手順は、コラム法の記事が担当しています。
分けようとすると、案外むずかしい
やってみると分かりますが、この三つはよく混ざります。
「上司に呆れられた」——これは出来事のようで、考えです。起きたのは「一行の返信が来た」ことで、「呆れられた」はそこに与えた意味のほうです。逆に「最悪な気分だった」と言うとき、気分の中身(落ち込みなのか、不安なのか、腹立たしさなのか)はまだ言葉になっていません。
それから、考えが思い出せないこともよくあります。「気づいたら沈んでいた。何を考えたかは覚えていない」。これは失敗ではありません。考えは速く浮かぶため、あとから思い出せないこともよくあります。そういうときは考えの欄を空欄のままにしておいてください。「この場面では、考えを掴まえる前に気分が動いていた」という記録として、空欄には空欄の意味があります。気分が一語にならないときも同じです。無理に名前をつけず、「胸が重い感じ」のような体の言葉のままで構いません。
また、考えは言葉とは限りません。上司のしかめ面が映像として一瞬浮かぶ、というようにイメージの形で通り過ぎることもあります。それも考えの欄に置けます。
だからこそ、一人で紙に向かうより、誰かに一つずつ聞いてもらうほうがほどきやすい。そこでAIの出番です。
AIに「聞き取り役」だけをさせる
第1回のプロンプト1は、思いつくまま話した内容をAIに一括で整理してもらう形でした。今回はもう一歩ていねいに、一つの場面について、AIに一問ずつ聞いてもらいながら、対話で三つの欄を埋めていきます。使い方の基本と、AIに守らせる約束事は第1回にまとめてあるので、初めての方はそちらから読んでください。
ここで大事なのは、AIの役割を聞き取り役に限ることです。AIは話を膨らませるのが得意なので、放っておくと「そのとき『自分はダメだ』と思ったのではないですか」と、あなたが話していない考えを先回りして埋めようとします。それをさせません。欄に入るのは、あなたが実際に口にした言葉だけ。埋まらない欄は空欄のまま。最後に「この整理で合っていますか」と確認させて、違うところはあなたが直します。
なお、調子が大きく崩れているとき——眠れない日が続いている、消えてしまいたい気持ちが強いようなとき——は、AIでこの作業をせず、診察で直接ご相談ください。
以下をコピーして、場面を一つ思い浮かべてから始めてください。音声入力で話すだけでも大丈夫です。
最近つらかった場面を一つ、「出来事」「頭に浮かんだ考え・イメージ」「気分」の三つに分けて整理したいです。あなたは聞き取り役です。次の順で、質問を1回に1つずつしてください。 1. いつ・どの場面がつらかったか 2. そのとき実際に何が起きたか(見たこと・聞いたことだけ) 3. その瞬間、頭をよぎった言葉やイメージ 4. そのときの気分 最後に、私が話した言葉だけを使って三つの欄に整理して見せ、「この整理で合っていますか」と確認してください。 守ってほしいこと: 質問は1回に1つ、全部で5つまで、10〜15分で終える。私が話していない考え・気分・出来事を推測して足さない。埋まらない欄は空欄のままにする。考えが正しいかどうかの判定、原因の分析、アドバイスや励ましはしない。人の名前や会社名は「上司A」「会社X」のように置き換えて扱う。私がやめたいと言ったら、その時点で作業を終える。私が「消えてしまいたい」「自分や誰かを傷つけたくなる」といった内容を話したら、深掘りせず、主治医に相談するよう勧めて作業を終える。
実際の会話は、たとえばこう進む
あなた「金曜の夕方のことを整理したいです」
AI「わかりました。その場面で、実際に何が起きましたか。見たことや聞いたことだけで教えてください」
あなた「上司Aに相談のメールを送ったら、『わかりました。』の一行だけ返ってきました」
AI「その返信を見た瞬間、頭をよぎった言葉やイメージはありましたか。思い出せなければ、なくて大丈夫です」
あなた「うーん……『面倒な部下だと思われた』みたいなことが、ちらっと」
AI「そのときの気分を、言葉にするとどうなりますか」
あなた「落ち込み、ですかね。あと少し不安もあった気がします」
AI「お話しいただいた言葉で整理します。 出来事: 上司Aに相談メールを送ったら「わかりました。」の一行だけ返ってきた 頭に浮かんだ考え: 面倒な部下だと思われた 気分: 落ち込み、少し不安 この整理で合っていますか。違うところがあれば直してください」
あなた「合ってます。ただ、落ち込みというより、がっかりのほうが近いかも」
AI「では『がっかり』に直します」
ここで終わりです。5分か10分。AIは考えの中身を評価していませんし、「上司はそんなつもりじゃないですよ」とも言っていません。ただ聞いて、あなたの言葉のまま三つの欄に置いただけです。でも、布団の中でぐるぐるしていたときと比べると、何が起きて、何が浮かんで、どう感じたのかが、初めて別々のものとして目の前に並んでいます。
一つ補足すると、実際の体験には、胸が締めつけられるといった体の反応や、返信できずに画面を閉じたといった行動も含まれます。ただ、この回で欄として揃えるのは出来事・考え・気分の三つで十分です。また、「なぜそう考えてしまうのか」という方向にはAIにも自分にも掘らせないでください。考えの奥にある層の話は、連載の第6回・第7回が担当しています。
埋まった表は、診察に持って行けます
この整理は、それ自体が診察の材料になります。スマホの画面のまま見せていただいて構いません。「この場面で、こういう考えが浮かんで、がっかりしました」のように示せると、診察で「つらかったです」の先を伝える材料になります。
当院には心理士がおらず、認知行動療法の専門的なプログラムそのものは提供していませんが、診察のなかで、考え方の整理などCBTの考え方を取り入れた助言を行っています。本格的な心理療法が必要な場合は紹介状を作成します。整理がうまくいかないまま、どうするか決めかねている段階でも、そのままお越しください。そして、消えてしまいたい気持ちが続いているときの行き先は、AIではなく、緊急なら救急(119番)、それ以外は主治医・当院です。
まとめ
出来事と考えと気分は別のもので、分けて置くと「何がつらいのか」が見えやすくなります。間に挟まっている考えは速くて自動的で、事実そのものとは限りませんが、今日はそれを検討せず、置くところまで。AIには一問ずつの聞き取りだけをさせ、あなたが話した言葉だけで三つの欄を埋めます。空欄が残っても、それは失敗ではなく記録です。
分けたあと、その考えを検討してみたくなったらコラム法の記事へ。連載の全体像とAIとの約束事は第1回にまとめてあります。
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- ジュディス・S・ベック『認知行動療法実践ガイド:基礎から応用まで 第2版』(伊藤絵美・神村栄一・藤澤大介訳、星和書店、2015年)第3章