はじめに
「長いことうつ病の薬を飲んでいるのに、よくならない」「薬を何度変えても気分が乱高下する」「ある先生にはうつ病、別の先生には双極性障害と言われ、診断名が定まらない」——そんな経験を重ねて、出口の見えない気持ちになっている方は少なくありません。
そう感じているのは、あなただけではありません。実は、境界性パーソナリティ障害(きょうかいせいパーソナリティしょうがい、英語の頭文字でBPDとも呼ばれます)は、うつ病や双極性障害ととても間違われやすい病気です。症状が重なって見えるため、専門家でも見分けには慎重さが求められます。診断名が二転三転するのは、あなたや主治医のせいというより、これらの病気がもともと「見分けにくい」性質を持っているからなのです。
この記事では、BPDがなぜうつ病や双極性障害と間違われやすいのかを、やさしく解説します。気分の変わり方の違い、抗うつ薬が効きにくい理由、併存(両方あること)や診断の見直しという現実、そして「正しい診断」がなぜ大切な一歩なのかをお伝えします。なお、ここでの説明は自分で診断するためのものではありません。最終的な診断は、経過を含めて医師が行います。
なぜBPDはうつ病や双極性障害と間違われやすいのか
BPDは、気分の落ち込み、衝動的になりやすさ、対人関係の不安定さなど、幅広い症状が同じ人に同時に現れる病気です(全体像は連載1回目のBPDとは?の記事で解説しています)。このうち「気分の落ち込み」だけを切り取ると、うつ病や双極性障害とよく似て見えます。実際、BPDの方は気分が沈む時期が長く、そのつらさを抱えて受診されるのですから、医師がまずうつ病や双極性障害を考えるのは、ある意味で自然なことです。
しかし、ここに落とし穴があります。気分の症状にばかり注目すると、その背景にある「人との関係のなかで気持ちが大きく揺れやすい」「衝動的に行動してしまう」といった、BPDを特徴づける部分が見過ごされてしまうのです。気分の落ち込みは多くの病気に共通して現れるため、落ち込みという一点だけでは病気同士を見分けられません。ある専門書も、気分の症状だけに目を向けて抗うつ薬を出すことが、パーソナリティの面をきちんと診ないままになる一因だと指摘しています。「気分」だけでなく「気分がどう変わるか」「ふだんの対人関係はどうか」まで含めて見ることが、見分けの鍵になります。
気分の「変わり方」が違う――3つの手がかり
BPDとうつ病・双極性障害を見分けるうえで最も役立つのが、「気分がどう変わるか」という変化の質です。同じ「気分の波」でも、次の3つの点で性質が異なります。
手がかり1: きっかけ(誘因)があるか
BPDの気分の変化は、何か出来事がきっかけで起こりやすいのが特徴です。人との行き違いやちょっとした言葉のすれ違いなど、周囲で起きた出来事に反応して気分が大きく動きます。ていねいに振り返ると、気分が変わる前に「引き金になった出来事」が見つかることがほとんどだと言われています。
一方、うつ病(とくに典型的なタイプ)や双極性障害の気分の波は、はっきりしたきっかけがなくても、内側から動いていく傾向があります。精神医学の専門書でも、「外の出来事に反応して動くかどうか」は、気分の病気を見分けるうえで信頼性の高い手がかりのひとつとされています。
手がかり2: 変化の時間の単位
BPDの気分の波は、数週間ではなく、数時間という短い単位で動くことが多いとされます。穏やかだったのが、何かをきっかけに急に強い怒りやつらさへと移り変わる——そんな揺れ方が起こりやすいのです。
これに対して、双極性障害の気分の波は、もっと長い時間をかけて続きます。落ち込む時期や気分が上向く時期が、数週間という単位でまとまって現れます。たとえるなら、双極性障害の波は「数週間かけて満ち引きする潮の流れ」、BPDの波は「小石が落ちるたびに立ち、数時間で収まるさざ波」のようなイメージです。
手がかり3: 「人との関係」の文脈で動くか
BPDの気分の揺れは、多くの場合、対人関係の文脈のなかで起きます。「見捨てられたと感じた」「拒絶されたと受け取った」「怒られた」——そう感じた直後に、気分が急降下したり、強い怒りがわいたりするのです。返信が来ないだけで気分がどん底まで落ちる、予定の変更で激しく動揺する、といった形をとることもあります。
うつ病や双極性障害でも人間関係のストレスは気分に影響しますが、BPDほど「対人関係の出来事と気分の揺れが一対一で連動する」ことは目立ちません。受診のとき、ご自身の気分が「どんなときに」「どれくらいの時間で」「誰との間で何があった後に」変わるかを伝えられると、判断の大きな助けになります。
双極II型との見分けが、いちばん紛らわしい
双極性障害のなかでも、II型と呼ばれるタイプとの見分けは、とくに難しいとされています。双極II型は、激しい躁状態ではなく「軽躁(けいそう)」という比較的目立たない高めの時期と、長いうつの時期を繰り返すタイプで、うつの症状が前面に出る点も、気分の波がある点も、BPDと重なって見えるからです(双極II型そのものについては双極性障害II型とうつ病の違いの記事でくわしく解説しています)。
ここで鍵になるのが、軽躁の「持続」です。軽躁とは、気分が高ぶったり、開放的になったり、いらだちやすくなったりする状態が、ある程度の日数(おおむね数日以上)にわたって続くことを指します。ポイントは「一時的に元気」ではなく、「高めの状態がしばらく持続する」という点です。
BPDの方でも、一時的に気分が高ぶることはあります。けれども、その高ぶりは長続きしないことが多く、ていねいに聞くと、高揚した気分のなかに悲しみや不安、とくに怒りが入り混じっている、と専門書は指摘しています。つまり、数日以上ずっと気分が高い状態が続く本来の軽躁は、BPDではあったとしてもまれだとされているのです。
見分けをさらに難しくしているのは、軽躁がご本人にとって「調子がいい時期」と感じられやすいことです。困っていないので受診のときに話題にのぼらず、うつの時期だけを見た医師が、うつ病やBPDの落ち込みと区別しにくくなります(このテーマは軽躁は気づかれにくいという記事でも扱っています)。過去の軽躁を後から正確に振り返るのは簡単ではありません。自分だけで判断せず、医師がていねいに経過を確認していくことが大切です。
「どちらか一方」とは限らない――併存もありうる
ここまで「見分け方」をお伝えしてきましたが、実際の診療では、BPDと気分の病気が同じ人に併存することも少なくありません。専門書では、BPDの方のかなり多くが、経過のどこかでうつ病などの気分の症状を併せ持つと報告されています。
ですから、「BPDか、うつ病か」と白黒をつけること自体が、いつも正しい問いとは限りません。大切なのは、いま生活のつらさの中心になっているのはどの症状かを見きわめ、それに合わせて治療の力点を調整していくことです。たとえば、しっかりしたうつの時期には気分の症状への治療を優先し、気分が持ち直してきたら対人関係や衝動性への取り組みを進める、といった具合に、治療の中身は経過とともに変わっていきます。
診断が途中で変わるのは、珍しいことではない
「前の病院ではうつ病と言われたのに、今度は違う診断になった。どちらかが間違っていたのでは」と不安になる方もいるでしょう。けれども、診断が経過のなかで見直されること自体は、精神科の診療では珍しくありません。
理由のひとつは、初診の時点でわかる情報に限りがあることです。たとえば双極性障害は、最初の症状がうつであることが多く、その時点では「うつ病」と見分けがつかないのが普通です。実際に、うつ病として治療が始まった方の一部が、のちに双極性障害へと診断が変わっていくことは、複数の追跡研究で知られています。BPDについても同じで、うつの症状の背景にある対人関係のパターンや気分の揺れ方は、通院を重ねるなかで初めてはっきり見えてくることが多いのです。
つまり、診断の見直しは「前の医師の失敗」というより、経過という新しい情報が加わって、見立てがより正確になっていくプロセスです。診断名が変わったときは、「なぜそう考えるのか」「治療はどう変わるのか」を遠慮なく主治医に聞いてみてください。納得しながら治療を進めることが、回復への近道になります。
BPDには抗うつ薬が効きにくい――薬だけでは安定しにくい理由
「薬を変えても良くならない」という悩みには、実は理由があります。BPDの方では、うつ病ほどには抗うつ薬が効きにくいことが知られています。ある専門書でも、うつ病と診断されてさまざまな抗うつ薬を試したものの、薬を変えるたびに数週間だけ良くなってはまた元に戻る、という経過をたどった方の例が紹介されています。
なぜ薬だけでは安定しにくいのでしょうか。BPDのつらさは、気分の落ち込みだけにとどまらないからです。人との関係のなかで気持ちが大きく揺れること、衝動的に行動してしまうことなど、薬では届きにくい部分が重なっています。逆に言えば、「抗うつ薬がなかなか効かない」「効いてもすぐ元に戻る」という状態そのものが、背景にBPDがあるかもしれない、と見直すきっかけになることがあります。
ただし、「薬に意味がない」という話ではありません。つらい症状を和らげるために薬が役立つ場面はあります。大切なのは、薬だけに頼らず、後で述べる精神療法と組み合わせていくことです。薬の効き方で気づいたことがあれば、自己判断で中止せず、必ず主治医に伝えてください。
診断によって治療の方向が変わる――だから正しい見立てが大切
なぜここまで「見分け」にこだわるのかというと、診断によって治療の中心がはっきり変わるからです。
- 双極性障害では、気分の波そのものを整える薬(気分安定薬など)を軸にした治療が基本になります。とくに双極性障害のうつ状態に抗うつ薬だけで対応することは、かえって波を不安定にするおそれがあるため慎重にすべきとされ、気分を整える薬と組み合わせて考えるのが基本です。この点でも、「双極性障害かどうか」の見きわめは薬の選び方を大きく左右します。
- BPDでは、逆に薬は補助的な位置づけです。気分を安定させる薬がBPDに十分な効果を示すという裏づけは乏しいとされ、治療の中心は、対人関係のパターンや感情の揺れへの対処を扱う精神療法になります。必要のない薬が増えれば、かえって負担になることもあります。
もしBPDの方が「気分の病気」とだけ診断されると、薬中心の治療が続く一方で、本当に役立つ精神療法につながる機会を逃してしまうかもしれません。逆に、双極性障害の方がその見立てのないまま抗うつ薬だけで治療されるのも、望ましくありません。どちらの方向のずれも、正しい見立てによって防ぐことができます。
そのうえで、BPDという診断がつくことには、次のような前向きな意味があると専門書では整理されています。
- バラバラに見える症状を、ひとつのまとまりとして理解できる……気分、衝動、対人関係の幅広いつらさが「なぜ同じ自分に重なって起きるのか」が見えてきます。
- 経過の見通しが立てやすくなる……BPDは思春期ごろに始まり、成人早期にピークを迎えたのち、年齢を重ねるなかで徐々に和らいでいくことが多いとされ、中年期に向けて落ち着いていく方も少なくありません。この見通しは、希望を持って治療を続ける支えになります。
- どんな治療が合うかが見えてくる……BPDには抗うつ薬が効きにくい一方で、この病気に合わせた精神療法が役立つことには十分な根拠があるとされています。
つまり、正しい診断は「終わり」ではなく、効果的な治療への「入り口」です。診断名が定まることは、これまでの治療を否定するものではありません。
受診の目安
以下に当てはまる方は、一度ご相談いただくことをおすすめします。
- 長くうつ病の治療を続けているが、なかなか良くならない、または良くなったり崩れたりを繰り返している
- 抗うつ薬を何度変えても効きにくい、または効いてもすぐ元に戻ると感じる
- 気分が、人との行き違いなどの出来事をきっかけに、数時間という短い単位で大きく揺れる
- 医師によって「うつ病」「双極性障害」など診断名が変わり、自分でも定まらないと感じている
- 気分の波だけでなく、対人関係のつらさや衝動的な行動にも悩んでいる
これらはBPDかどうかを自分で決めるためのものではなく、医師と話し合うきっかけとしてお使いください。診断は医師が行います。
まとめ
境界性パーソナリティ障害(BPD)は、気分の落ち込みが目立つため、うつ病や双極性障害と間違われやすい病気です。見分けの手がかりは、気分の変わり方の質にあります。BPDの波は「出来事がきっかけで、数時間単位、対人関係の文脈で」動くのに対し、双極性障害の波は「きっかけによらず、数週間単位で」続き、数日以上続く本来の軽躁はBPDではまれだとされています。とくに双極II型との見分けは専門家でも難しく、併存することもあり、経過のなかで診断が見直されるのは珍しいことではありません。
診断によって治療の中心は変わります。双極性障害では気分の波を整える薬が軸になる一方、BPDでは薬は補助にとどまり、精神療法が中心になります。正しい診断は、レッテルではなく、効果的な治療への第一歩です。これまでの治療を否定する必要はありません。診断名や薬のことで悩んでいるなら、ひとりで抱え込まず、医師と一緒に整理していきましょう。
参考にした書籍(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 境界性パーソナリティ障害の治療(ジョエル・パリス)
- 気分症群(講座 精神疾患の臨床、中山書店)
- 双極性障害の診かたと治しかた(寺尾岳)
よくある質問
うつ病や双極性障害と、BPD(境界性パーソナリティ障害)はどう違うのですか?
大きな違いは「気分の変わり方」にあります。BPDの気分の波は、人との行き違いなどの出来事をきっかけに、数時間という短い単位で動くことが多いとされます。一方、双極性障害の気分の波は、数週間という長い単位でゆっくり続き、出来事のあるなしにかかわらず内側から動く傾向があります。見た目が似ていても、変わり方の質が異なります。最終的な診断は経過を含めて医師が行います。
抗うつ薬を変えても良くならないのですが、なぜですか?
BPDの方では、うつ病ほどには抗うつ薬が効きにくいことが知られています。気分の落ち込みだけでなく、衝動的になりやすさや対人関係のつらさが重なっているため、薬だけでは安定しにくいのです。薬が効きにくいこと自体が、診断を見直す手がかりになる場合もあります。自己判断で中止せず、主治医にご相談ください。
BPDとうつ病・双極性障害は、両方あることもあるのですか?
あります。BPDの方の多くは、経過のどこかでうつ病などの気分の病気を併せ持つことが知られています。どちらか一方に決めなければいけないわけではなく、「いま、どちらの症状が生活のつらさの中心になっているか」を見きわめながら、治療の力点を調整していくことが大切です。
診断名が途中で変わりました。誤診だったのでしょうか?
必ずしもそうではありません。これらの病気はもともと見分けが難しく、初診の時点でわかる情報には限りがあります。通院を重ねるなかで経過という新しい情報が加わり、見立てがより正確になっていくのは自然なことです。診断名が変わることは、これまでの治療の否定ではなく、治療をより合ったものに調整していくためのステップと受け止めていただければと思います。