はじめに
「そんなに嫌なら辞めればいいのに」「どうして離れないの」。そう言われて、うまく答えられなかったことはないでしょうか。あるいは、誰に言われるまでもなく、自分で自分に同じことを言っている。分かっている、分かってはいるけれど、体が動かない――。
この記事で扱うのは二つです。「動けない」がどういう仕組みで起こると考えられてきたのか。そして、その考え方をどこまで当てはめてよいのか。 下敷きにしたのは、精神科の専門誌が心理学の理論を臨床向けに解説した特集のうち、学習性無力感を扱った一編です。
先にひとつだけ。暴力や、相手からの強い支配のある関係のなかで動けずにいることには、この記事の説明を当てはめないでください。 理由は後半に書きますが、この理論を作った研究者自身がそう言っています。
「学習性無力感」は、動けないこと全部の呼び名ではありません
いちばん誤解されやすいところから書きます。学習性無力感(がくしゅうせいむりょくかん)という言葉は、動けずにいる状態のすべてに貼れる名札ではありません。 この理論が成り立つには、次の三つがそろっている必要があります。
- 出来事の側 ── 何をしても結果が変わらなかった、という経験があること
- 受け止めの側 ── そこから「この先も結果は伴わないだろう」という予測が生まれること
- 行動の側 ── あとから動かせる余地のある場面でも、試すこと自体をやめてしまうこと
三つのうちどれかが欠けていれば、この理論の話ではありません。つらいのに耐えている、離れられない、決められない――そうした一場面だけを取り出して貼れる名前ではありませんし、「あの人はもう何もする気がないのだ」と外から人に貼れるものでもありません。
軸になっているのは1です。効いているのは出来事の性質ではなく、自分のしたことと起きたことが結びつかなかったという点です。
どこから来た考え方か
この考え方は、1964年に、ペンシルベニア大学のリチャード・ソロモンの研究室で、予想が外れたことをきっかけに見つかったものです。
もともとは、犬に音の合図で電気刺激を避けることを覚えさせる、という学習の研究でした。ところが、先に避けようのない電気刺激を受けていた犬は、あとから逃げ道のある箱に移されても、そこから出るという動きを覚えられませんでした。当初は実験の手違いのように扱われたのですが、同じ研究室にいたマイヤーとセリグマンが、逃げずにじっと受け続ける犬の様子のほうに目を留め、条件を変えながら調べていきました。そこで浮かび上がったのが、電気刺激そのものではなく、「自分の行動では結果が変わらない」という経験のほうが効いている、という見方でした。
人ではどうだったか
セリグマンは、人でも同じことが起こるかを確かめるほうへ進みました。実験では参加者に、止めようのない騒音を聞かせる、あるいは解くのが難しい課題に取り組ませる、といった条件が用意されます。自分の側で止められる条件に置かれた人は、そのあとの不快な場面にも対応できました。何をしても止められない条件に置かれた人は、対応できませんでした。
1991年に発表されたメタ解析(ヴィラノヴァとピーターソン)では、こうした実験がまとめて検討され、自分では動かせない出来事を経験したあと、テスト課題の成績が下がることが確認されています。そして、その効果の大きさは、参加した人が何歳か、どの性別か、精神疾患があるかどうかによっても、出来事や課題の種類によっても変わりませんでした。 特定の弱さを持った人にだけ起きる、という結果ではなかったのです。「自分がふがいないからこうなった」という説明は、少なくともこの研究からは出てきません。
原因をどう説明するかが、あいだに挟まります
ただし、人の場合はもう一段あります。出来事そのものだけでなく、その出来事の原因を本人がどう説明するかが、あいだに入ると考えられるようになりました。説明のしかたを見る軸は三つあります。
- 原因を自分の側に置くか、自分の外に置くか
- ずっと続くものと見るか、そのときだけのものと見るか
- 何もかもに及ぶと見るか、その場面に限られると見るか
ご自身を採点するための三つではありません。押さえておきたいのは、同じ出来事に遭っても、そのあと何が起こるかは一律ではない、というところまでです。
一度そうなったら終わり、という枠組みではありません
同じ研究の流れから、逆向きのことも報告されています。
動物を対象にした研究では、先に「自分の行動で結果が変わる」経験をしていた場合には、そのあと無力な状態が認められませんでした(免疫効果と呼ばれています)。また、いったんそうなったあとでも、外から働きかけて逃げる動きをさせたところ、逃げる行動が戻ったことが観察されています(治療効果と呼ばれています)。人を対象にした実験のメタ解析でも、この状態が時間とともに薄れていくこと、治療効果にあたるものが人でも認められることが確認されています。
ここで戻ったのは、外から働きかけられてのことです。「自分で頑張って逃げられる経験を積みましょう」という話ではありませんし、実験の場で用意できることと、暮らしのなかで起きていることも同じではありません。ここから言えるのは、「一度そうなったら、もう変わらない」という前提のほうを外してよい、というところまでです。
うつ病と同じものではありません
セリグマンらは、この理論がうつ病の説明になりうるかを追っていきました。
悪い出来事の原因を「自分のせい・ずっと続く・何もかもに及ぶ」という形で説明する傾向と、抑うつとの関係については、1986年に発表されたメタ解析(スウィーニーら)があります。15,000人以上が参加した104の研究をまとめたものです。抑うつのある人は悪い出来事をそうした形で説明し、良い出来事のほうは逆の形――自分の外・一時的・その場面に限られる――で説明する傾向がありました。また、そうした説明のしかたをする人はあとで抑うつになる可能性が高く、ある時点の抑うつがその後の説明のしかたに影響することも確かめられています。悲観的な説明のしかたは、抑うつの手前にも、あとにも置かれる、ということです。
そのうえで、この理論はうつ病そのものと同じものとしては扱われていません。うつ病の一部を説明するモデルであって、重い症状の全部を置き換えるものではない、という位置づけです。セリグマンが扱っていた抑うつも、繰り返し起こる内因性のうつ病よりは、出来事に対する反応としての抑うつ状態に近いと考えられています。ですから、「自分のこれは学習性無力感だから、病気ではない。受診しなくてよい」とは切り分けないでください。眠れない、食べられない、朝起きられない――そうした変化が続いているなら、名前がどうであれ相談していただける事柄です。
この説明を当てはめてはいけない関係があります
ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。
本来なら力を尽くすはずのところで、そうしないこと。目的もなくただ耐えていること。そうした度を越した受け身は、人にとって説明が難しい――だからこの理論が都合よく使われてきたのかもしれない、と専門誌の解説は理由を推し量っています。なかでも問題になったのが、家庭内暴力への当てはめです。
ウォーカーという研究者は、家庭内暴力の被害を受けた女性に見られる状態を被殴打女性症候群と呼び、そこにこの理論を用いました。400の事例を調べたところ、その3分の2で経過が共通していた――そこから、暴力のサイクル理論と呼ばれる考えを立てました。
けれども、理論を提唱したセリグマン自身は、この当てはめに反対しました。 恐怖と、危険が現に続いていることのほうを重く見たからです。心的外傷の研究で知られるハーマンも、長い期間にわたって傷を受けてきた人たちの置かれ方にこの概念を持ち込むのは間違いだと、はっきり書いています。支配のもとで起こる無力化や孤立には、加害する側が作り出している条件が大きく関わっている。 当事者のなかで起きている複雑な葛藤を、単純化して扱ってはならない――という位置づけです。
「逃げないのは、無力感を学習してしまったからだ」という説明を、暴力や強い支配のある関係に当てはめてはいけない理由は、二つあります。ひとつは、危険が現に続いているからです。 この理論が必要としている「あとから動かせる余地のある場面」という条件が、そもそも満たされていません。もうひとつは、原因を、被害を受けている側の内面に移してしまうからです。 危険を作り出しているのは、力をふるう側です。
職場で怒鳴られる・追い詰められる、家庭のなかで力によって従わされる、といった圧力が現に続いている場面でも、同じことが言えます。そこで動けずにいることを、内面に起きた学習として説明しないでください。身の安全の確保が先で、相談先を含めて安全が脅かされているときにまとめてあります。そのうえで、そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。 ご自身の受診としてお話しください。職場のことでしたら、仕事に行こうとすると涙が出る・体が動かないにも書いてあります。
名前をつけて終わりにしないために
専門誌の解説は、最後にこの理論の守備範囲を書いています。この理論は、病気や症状そのものの説明ではありません。何かに出会ったとき、その人のなかで何が動くのか――その過程の一部を扱う枠組みです。そのうえで、診療の場で役立つ視点はいまも多いとされています。例のひとつは、適応障害という形で診療の場に来られた方について、自分の力ではどうにもならない出来事がその前になかっただろうか、と問い直してみることです。
一部の側面をとらえる枠組みなのですから、「あなたは学習性無力感です」と名前をつけて終わりにするための言葉ではありません。 読んで「自分は当てはまる/当てはまらない」と判定していただく必要もありません。
受診の目安
次のようなことが続いているときは、当てはまるかどうかの判定はいったん置いて、相談をお考えください。
- 眠れない、食事が取れない、体重が落ちてきている
- 仕事や家事、身のまわりのことができなくなってきている
- 朝、体が動かない。出かけようとすると涙が出る
- 何をしても無駄だ、という考えが頭から離れない
- 自分を責める考えが止まらない
暴力や強い支配のある関係のなかでこうした変化が出ているときも、ご自身の受診としてご相談いただけます。何があったのかを話さないままで構いません。そして、自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは、待たないでください。通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。まずWEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただきます。初診の所要時間の目安は問診を含めて30分程度です。通院を始めた場合は2週間に一度が基本で、再診は5分前後です。
診察では、休養がうまくいっていない方に、「休めていますか」ではなく「休もうとすると何が邪魔をしますか」と、休めない理由のほうを伺っています。休めていないことを、ご本人の意欲の問題として扱わないためです。どうするかが決まっていない段階でも、そのままお話しいただけます。何があったのかを話さないままでも構いません。
当院には心理士がおらず、カウンセリングや認知行動療法などの専門的な心理療法プログラム、トラウマに特化した専門治療(トラウマ焦点化認知行動療法・EMDR など)は行っていません。実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。
ご家族のみの相談はお受けしていません。ご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族も同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。当院の診療対象は18歳以上の方です。
まとめ
「逃げればいいのに」ができないことについては、心理学のなかで長く検討されてきた道筋があります。何をしても結果が変わらなかった経験と、そこから生まれる見通しと、あとから動かせる場面でも試すのをやめてしまう行動。この三つがそろって初めての話であって、動けないこと全部に貼れる名前ではありません。
特定の弱さを持った人にだけ起きるものではなく、一度そうなったら終わりという枠組みでも、うつ病と同じものでもありません。そして、暴力や強い支配のある関係には当てはめてはいけません。 理論の提唱者自身が、そう言っています。危険が現に続いている場面で動けないことを、本人の内面に起きた学習として説明しないことが大切です。
判定がどちらであっても、いま困っているという事実は変わりません。 その困りごとのほうを、そのままお持ちください。
そのほか近いところにあるもの ── 「やる気が出ない」のではなく、準備の途中かもしれない・自分に厳しすぎるとき・対人トラウマとは・複雑性PTSDとは・子ども時代のつらい経験は、大人の心にどう影響する?・適応障害で休職するには
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻4号(2022年)特集「精神科臨床に役立つ心理学理論」より、学習性無力感を扱った解説(高橋知久・松井茉莉江・戸田裕之)
よくある質問
「そんなに嫌なら辞めればいいのに」と言われますが、動けません。意志が弱いのでしょうか。
意志の強さ弱さとは別の枠組みで検討されてきた領域があります。専門誌の解説は、何をしても結果が変わらなかったという経験が続くと、あとから動かせる余地のある場面でも試すこと自体をやめてしまうことがある、という理論を紹介しています。人を対象にした実験のメタ解析では、この効果の大きさが、参加した人が何歳か、どの性別か、精神疾患があるかどうかによって変わらなかったと紹介されています。特定の弱さを持った人にだけ起きる、という結果ではありませんでした。なお、暴力や強い支配のある関係で動けないことについては、この理論を当てはめないでください。危険が現に続いていることのほうが先にあります。
学習性無力感とうつ病は、同じものですか。
同じものとしては扱われていません。悪い出来事の原因を、自分のせい・ずっと続く・何もかもに及ぶ、という形で説明する傾向と抑うつとの関係については、15,000人以上が参加した104の研究をまとめたメタ解析があると紹介されています。ただし専門誌の解説は、この理論をうつ病の一部を説明するモデルとして位置づけており、重い症状の全部を置き換えるものではないとしています。理論の提唱者が扱っていた抑うつも、繰り返し起こる内因性のうつ病より、出来事への反応としての抑うつ状態に近いと考えられる、と書かれています。ですから、「これは学習性無力感だから病気ではない」と切り分けて受診をやめる、という読み方はなさらないでください。
いま動けなくても、変わることはあるのでしょうか。
動物を対象にした研究では、先に自分の行動で結果が変わる経験をしていた場合に、そのあと無力な状態が認められなかったとされています(免疫効果)。いったんそうなったあとでも、外から働きかけて逃げる動きをさせたところ、逃げる行動が戻ったことが観察されています(治療効果)。人を対象にした実験のメタ解析でも、この状態が時間とともに薄れていくこと、動物と同じように治療効果にあたるものが認められることが確認された、と紹介されています。ただし、これは動物の実験を含む話で、暮らしのなかにそのまま重ねられるものではありません。そして戻ったのは外から働きかけられてのことで、「では自分で試してみよう」という話ではありません。とくに暴力や強い支配のある関係では、動けるかどうかを試すこと自体が危険になります。その場合は身の安全の確保が先です。そのうえで、この記事の側から言えるのは、「一度そうなったら、もう変わらない」という前提のほうを外してよい、というところまでです。何をどう変えるかを一人で背負っていただく必要はありません。眠れない、朝になると体が動かないといった変化が続いているなら、そのままご相談ください。
暴力のある関係から離れられないのは、学習性無力感なのでしょうか。
その説明を当てはめないでください。専門誌の解説によれば、家庭内暴力の被害にこの理論を用いた研究者がいた一方で、理論を提唱したセリグマン自身は、恐怖と、危険が現に続いていることのほうを重く見て、この当てはめに反対しました。心的外傷の研究で知られるハーマンも、これを間違いだとはっきり書いていると紹介されています。支配のもとで起こる無力化や孤立には加害する側が作り出している条件が大きく関わっており、当事者のなかで起きていることを単純化して扱ってはならない、という位置づけです。危険を作り出しているのは、力をふるう側です。手が出ていなくても、怒鳴られる、物に当たられる、黙り込まれて折れるまで待たれる、正しさを盾に責め立てられる、昔のことを繰り返し持ち出される、病気を理由に思いどおりに動かされる、生活費を渡してもらえない、出かける先を確かめられる、怖くて向き合えないという形も含みます。身の安全の確保が先で、相談先を含めて「安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面」にまとめてあります。そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。ご自身の受診としてお話しください。
どうするか決まっていないのですが、その状態で受診してもよいですか。
そのままご相談いただけます。どうするかを決めかねている段階、これからどうしたいかが定まっていない段階のままでも構いません。決心がついてから受診する必要はありません。また、何があったのかを話さないままでも受診していただけます。話さないでいることが体調に響いているようなら、そのことのほうを診察で扱えます。なお当院には心理士がおらず、カウンセリングや認知行動療法などの専門的な心理療法プログラムは行っていません。当院の診療対象は18歳以上の方です。