はじめに
つらい目に遭ったあとで、こう言われたことはないでしょうか。「そんなところに行くからだよ」「あなたにも隙があったんじゃないの」「もっと早く言えばよかったのに」。心配して言っているつもりの人もいれば、はっきりと責めてくる人もいます。どちらであっても、言われたほうには同じように刺さります。
この記事が扱うのは、責める言葉のほうがどこから出てくるのかです。「あなたに落ち度はありませんでした」と証明してみせる記事ではありません。証明が要るという前提のほうを、置きたくないからです。下敷きにしたのは、精神科の専門誌が心理学の理論を臨床向けに解説した特集のうち、被害を受けた人が非難される現象を扱った一編です。
人は、起きたことの理由を探します
何かが起きたとき、人は「どうしてこうなったのか」を考えます。事件でも、事故でも、病気でもそうです。この、原因がどこにあるのかを推し量る働きを、社会心理学などの分野では原因帰属(げんいんきぞく)と呼びます。どこに原因を置いたかは、そのあとの行動まで左右します。試験に落ちたとき、準備不足に原因を置けば、きまり悪さを覚えつつもう一度力を注ぐ方向へ向かえますが、自分の才能のほうに置いてしまえば、学ぶこと自体から手を引いてしまうかもしれません。
そして、この働きには弱点があります。人は、確率という形の説明が苦手です。世の中には、科学の言葉で言えば確率としか呼びようのない出来事――ひらたく言えば「たまたま運が向かなかった」というほかない出来事――が、実際にはよく起こります。ところが人は、それを確率のまま受け取ることがうまくできず、手近なところにいた人に理由を集めてしまいます。「あの人のせいで全部こうなった」という形にすると、話が一気に飲み込みやすくなるからです。
「世の中は、行いに見合った結果になるはずだ」
ここに、もう一つの見取り図が重なります。社会心理学者のラーナー(Lerner)が提示した、公正世界仮説という考え方です。人は幼い頃から、「よいことをした人にはよい結果が返ってきて報われ、悪いことをした人は悪い目に遭う」という素朴な見取り図を持ちやすい傾きがあり、これを信じる心の働きは公正世界信念(belief in a just world)と呼ばれます。実際の世の中はそうなっていないことのほうが多いのですが、この考えは思いのほか粘り強いものです。マース(Maes)は、この世でずるく成功した人も天国には行けない、という形で死後の世界まで動員してでも、世の中の公正さの帳尻を合わせようとする考え方が人のなかに現れることを示したとされています。
だから「落ち度」は、あとから探されます
ここで具合の悪いことが起こります。刑事事件になるような出来事では、まったく落ち度のない人が実際にしばしば巻き込まれます。ラーナーは、この事実を公正世界信念にとっての脅威と位置づけました。正しい人が報われるはずの世界像のなかで、落ち度のない人が傷つけられると、その世界像のほうが揺らいでしまうからです。
そこで顔を出すのが、解説が逆向き推論と呼んでいるものです。悪い結果が起きた、という事実を先に見る。世の中が正しくできているなら、その結果に見合う何かが、その人の側にあったはずだ。その「何か」を、あとから探しはじめる――という順番です。落ち度があったから被害に遭ったのではなく、被害という結果を見たあとで、それに見合う欠点が人物のほうに貼りつけられていく、という向きです。
ラーナーは、これを実験で確かめています。何も悪いことをしていない女性が罰されるところを見せられた実験参加者は、別の条件に置かれた参加者にくらべて、その女性のことを「罰を受けるだけのものがある、よくない人だ」という方向に評価しました。置かれた条件によって、人物への評価のほうが動いたことになります。解説は、これが実際の場面にも現れる例を挙げています。性被害を受けた女性について、裁判の場で加害した側が「向こうが性的に誘惑してきた」と述べ、被害を受けた側にこそ事の発端や非があったのだとする批判が寄せられることがある、という例です。同じ向きの意見は、いまも一部のSNSで見受けられます。
こうした責めは、本人にその自覚がないまま、自分の世界像――世の中はやはり正しくできている、という像――を守ろうとする営みが表に出たものです。そう言われたことは、そうであったことの証明にはなりません。
責めている人が守っているのは、自分の安心です
もし被害を受けた人に何の落ち度もなかったのだとしたら、自分や自分の家族が、いつ同じ目に遭ってもおかしくないことになります。自分や家族の命でさえ、根本のところでは100%思いどおりにはできない――この身も蓋もない事実を抱えていることは、しばしば、こらえがたいものです。そこで、自分の心を平らに保っておくために、こう思いたくなる。あの人と自分は、同じではない。被害を受けた人のほうに落ち度を求め、自分との違いを見つけ出して、「だから自分はそういう目には遭わない」という安心を求めるのです。
例として解説が挙げているのが、新型コロナウイルス感染症をめぐる出来事です。「感染した人は気がゆるんでいたのだ」「あちこち出歩いていたからだ」という受け取り方が2020年前半にはことに目立ち、「コロナ差別」と呼ぶべき事態になっていました。誰がいつかかるか分からない、という受け取り方は不安を大きくします。かかった人にはかかるだけの生活があったのだ、と個人の責任に原因を置けたほうが、安心していられるからです。
言う側の不安から出てきた言葉であっても、言われた側がそれを引き受ける理由にはなりません。仕組みが分かることと、納得することは別です。腹が立ったままでいてくださって構いません。
社会の側にも、後押しする背景があります
解説は、個人の心の働きだけでなく、この流れを後押しする日本社会の背景にも触れています。危険との付き合い方を長く積み重ねてきたヨーロッパの社会では、思いきって動いたことがたたえられる場面もしばしばあり、自分から動いたこと自体が批判されるのはあまりない。一方、世界のなかでも危険をとりわけ嫌うとされる日本社会では、戦地の取材で中東に入った報道関係者が捕らえられたとき、「自己責任」を掲げる非難が起こり、その家族が報道陣を前に頭を下げる光景も見られました。被害を受けた側の落ち度を大きく見積もることで、「あんなところに近づかなければ、こんな目に遭わずに済んだのだ」という語られ方が出てくる、という筋です。
その背景として紹介されているのが、山岸俊男が安心社会という言葉で捉えた日本社会のありようです。毎年同じことが繰り返される農業の社会では、いつもと違うことは日照りや台風や洪水であって、ほとんどよいことがない。変わらないことが安全だった暮らしから何ごともなかったことを喜ぶ気風が生まれ、いつもと違う出来事は、起きたというだけで不吉なものになります。その結果、被害を受けた当事者のほうが「お騒がせしました」と頭を下げることになる、と解説は書いています。さらに、いまの日本に限らず、新自由主義の影響を受けた社会では、貧しさを「自業自得」と見なす捉え方に表れているように、あらゆる不幸の原因を本人に置く説明のしかたが広がりやすい。この流れも関わっているだろう、とも述べられています。
責める言葉には、これだけの背景があります。そう言われたことは落ち度の証明ではありませんし、「お騒がせしました」と頭を下げなければいけない理由もありません。
病気、とくに心の不調は、誤解されやすいところです
病気も、この仕組みと無縁ではありません。解説は、ある政治家が透析治療を受けている人を差別し、見下すような発言をした出来事を挙げています。そして、心の病についてはとくにそうだと続けます。本人の心構え次第、ものの考えようひとつでどうにかなるはずだ、と人はしばしば安易に受け取ってしまい、そこで誤解が起きる。「やる気がないだけだ」「周りに甘えているのだ」といった見方も、ここから出てきます。
なぜそうなるかの説明は、これまでと同じ形です。自分もかかりうるありふれた病なのだと認めることは、怖い。自分とは違う心構えのせいでそうなったのだ、と原因を置ければ、自分だけは傷のつかない場所に離れて立っていられる気がしてくる。こうして安心を求めた結果、その人の置かれた状況を取り違え、差別や非難が起こります。「気の持ちようだ」と言われたことは、実際に気の持ちようだったことの証明ではありません。言った人が、自分は違うと思っていたいだけかもしれないからです。
解説が挙げている「防ぎ方」は、責める側に向けたものです
解説は最後に、被害を受けた人への非難を防ぐにはどうするかを述べています。人の心にこうした傾きがあること自体を自分のこととして知っておき、それが自分の側に顔を出したときに、いったん引いて眺めて抑えられるようになること。罪のない人を責めて得られるのは、自分の心理的な安心感にすぎないと知ること。不幸な人と自分を引きくらべる「社会的比較」という働きを知って、自分で扱えるようになること。人と比べるのではなく、自分だけで自分を肯定できること、自分の側に舵があるという感覚を持てること。そして、セルフ・コンパッション――自分をいたわる気持ちを、自分自身へ向けること。
ここで確かめておきたいのは、これらが、責めてしまう側の心の動きをどう抑えるか、という文脈で書かれていることです。責められた側への宿題ではありません。「自己肯定感が低かったから責められた」のでも、「自己肯定感を高めれば、もう責められずに済む」のでもありません。責められたことの原因は、責めた側の心の動きと、その人が置かれている社会のほうにある、というのがこの解説の筋です。
それでも、責められた言葉が自分の内側に住みつき、言われたことを自分でも繰り返すようになることは起こります。そうした声との付き合い方は自分に厳しすぎるとき 「甘えているだけ」と自分を責める声との付き合い方にあります。
受診の目安
次のようなことが続いているときは、何があったかの説明がつくかどうかはいったん置いて、相談をお考えください。
- 眠れない、食事が取れない、体重が落ちてきている
- 仕事や家事、身のまわりのことができなくなってきている
- 言われた言葉が頭のなかで繰り返し再生されて、止まらない
- 人に会うのが怖い、外に出ると見られている気がする
- 自分を責める考えが止まらない
- 涙が止まらない、朝になると体が動かない
暴力や強い支配のある関係のなかでこうした変化が出ているときも、そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。ご自身の受診としてお話しください。相談先は安全が脅かされているときにまとめてあります。そして、自分や他の人を傷つけそうな考えが出ているとき、食事も水分もほとんど取れていないときは待たず、通院中であれば主治医に連絡し、命に関わる切迫した状況ではためらわず救急(119)を利用してください。
当院での実際
当院は福岡県春日市の精神科・心療内科です。ご相談は、まずWEB予約(デジスマ)でご予約のうえ、初診前のWEB問診にお答えいただく形をとっています。初診の所要時間の目安は、問診を含めて30分程度です。通院を始めた場合は、2週間に一度の通院が基本で、再診の所要時間の目安は5分前後です。
何があったのかを話さないままでも受診していただけます。話したくないことを話していただく必要はありませんし、話さないでいることが体調に響いているようなら、そのことのほうを診察で扱えます。どうするかを決めかねている段階のままでも、そのままお話しいただいて構いません。
ご家族のみの相談はお受けしていません。ご家族が心配されている当のご本人が受診され、同席に同意されている場合には、ご家族に同席していただけます。そのご本人がどうしても受診できない状況の場合は、お住まいの地域の保健所、市区町村の精神保健相談、精神保健福祉センターなどの公的相談先、または受診を予定している医療機関への問い合わせをご案内しています。
当院には心理士がおらず、カウンセリングや認知行動療法などの専門的な心理療法プログラムは行っていません。トラウマに特化した専門治療(トラウマ焦点化認知行動療法・EMDR など)も行っていません。実施している医療機関はご自身でお探しいただくことになりますが、紹介状(診療情報提供書)は必要に応じて作成します。保護命令や離婚の調停といった法的な手続きのご相談も、当院ではお受けしていません。当院の診療対象は18歳以上の方です。
まとめ
責める言葉は、責められた人を正しく評価した結果ではなく、言う側の世界像と安心を守るために出てくることがあります。だから、責める言葉が出てきたことは、責められるだけのものがあったことの証明にはなりません。そして、証明が済まないと相談してはいけない、ということもありません。眠れない、食べられない、言われた言葉が止まらない――そうした困りごとのほうを、そのままお持ちください。
そのほか近いところにあるもの ── 「逃げればいいのに」ができないのは意志が弱いからではありません・身近な人からの傷つきはなぜ深いのか・子ども時代のつらい経験は大人の心にどう影響するか(ACE)・家族や友人が心の危機にあるときの接し方(PFA)
参考にした資料(要約・再構成。原文の転載ではありません):
- 精神科治療学 第37巻4号(2022年)特集「精神科臨床に役立つ心理学理論」より、被害を受けた人が非難される現象を公正世界仮説から論じた解説(北村英哉)
よくある質問
つらい目に遭ったあとで「あなたにも落ち度があった」と言われました。やはり自分が悪かったのでしょうか。
その言葉が出てきたこと自体は、落ち度があったことの証明にはなりません。専門誌の解説は、社会心理学の研究をもとに、順番がむしろ逆になる場合があると説明しています。落ち度があったから被害に遭ったのではなく、被害という結果を先に見た人が、そこに見合う欠点をあとから探しはじめる、という向きです。社会心理学者のラーナー(Lerner)は、何も悪いことをしていない女性が罰されるところを見せられた実験参加者が、別の条件に置かれた参加者にくらべて、その女性を「罰を受けるだけのものがある、よくない人だ」という方向に評価した、という結果を報告しています。条件のあいだに差が出た、という結果です。ですから、責める言葉が出てきたことと、実際に何かがあったかどうかは、別のことです。
責めてくる人は、悪意があってそう言っているのですか。
専門誌の解説は、悪意の有無ではなく、心の働きのほうから説明しています。こうした責めは本人にその自覚がないまま出てくることがある、と書かれています。人は物事の理由を探そうとしますが、確率としか呼びようのない出来事を確率のまま受け取ることが苦手で、手近な人物に理由を集めやすいとされています。さらに、まったく落ち度のない人が巻き込まれたという事実は、「世の中は行いに見合った結果になるはずだ」という素朴な見取り図を揺るがします。その揺らぎを抑えるために、被害を受けた人の側に自分と違うところを見つけて、「だから自分はこうはならない」という安心を得ようとする、と書かれています。この記事の側から言えば、だからといって責める言葉が正しくなるわけではありませんし、言われた側が受け止めなければならないものでもありません。
「自己肯定感を高めれば、責められなくなる」ということですか。
そうは読まないでください。専門誌の解説の最後には、自分だけで自分を肯定できること、不幸な人と自分を引きくらべる働きを知って自分で扱えるようになること、セルフ・コンパッションが挙げられています。ただしこれは、責めてしまう側の心の動きをどう抑えるか、という文脈で書かれているものです。責められた側への宿題ではありません。「自己肯定感が低かったから責められた」という話でも、「自己肯定感を高めれば責められずに済む」という話でもありません。
暴力や強い支配のある関係のなかで責められています。この記事は当てはまりますか。
当てはめないでください。手が出ていない場合も同じです。逆らうと怒鳴られる、物を壊される、黙り込まれて折れるまで待たれる、「あなたが悪い」と正しさを盾に責め立てられる、過ぎたことを何度も持ち出される、病気であることを持ち出して思いどおりに動かされる、暮らしのお金を渡してもらえない、どこへ行くのかをいちいち確かめられる、怖くて向き合えない――そういう形で相手を思いどおりに動かすために力が使われている関係も含みます。この場合は、責める言葉の仕組みを理解することより、身の安全を確保することが先になります。相談先を含めて「安全が脅かされているとき ── 関係改善の話が当てはまらない場面」にまとめてあります。そのうえで、そうした関係のなかで出てきた症状についてのご相談は、当院で承っています。ご自身の受診としてお話しください。なお、保護命令や離婚の調停といった法的な手続きのご相談は、当院ではお受けしていません。
責められたことが頭から離れず、体調に響いています。受診してもよいですか。
そのままご相談いただけます。眠れない、食べられない、朝になると体が動かない、人に会うのが怖い、涙が止まらない――そうした変化が続いているなら、何があったかの説明がつくかどうかとは関係なく、相談していただける事柄です。何があったのかを話さないままでも受診していただけます。話さないでいることが体調に響いているようなら、そのことのほうを診察で扱えます。どうするかを決めかねている段階のままでも構いません。なお当院には心理士がおらず、カウンセリングや認知行動療法などの専門的な心理療法プログラムは行っていません。トラウマに特化した専門治療(トラウマ焦点化認知行動療法・EMDR など)も行っていません。当院の診療対象は18歳以上の方です。